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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

事実上の終戦宣言 。

9月19日、文大統領が平壌市内のヌンラド5.1競技場で行なった演説の全文。
事実上の終戦宣言と見ることができよう。
正式の終戦宣言は、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が今年中にソウルを訪問したときになされる予定という。
いよいよ朝鮮半島も、事実上の「統一」時代にはいるのかもしれない。
今後数年間は、ここ朝鮮半島は、激動の時代になっていくものと思われる。
激動の中に「戦争」が含まれないことが、最大の要点。
戦争なき激動。大いに歓迎だ。以下、演説全文。

「文大統領のヌンラド5.1競技場演説」

平壌市民の皆様、北朝鮮の同胞兄弟のみなさん、平壌で皆さんをこんなに会えて本当に嬉しいです。
南の大統領として金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の紹介で皆さんに挨拶をするようになり感激を言葉で表現できません。
皆さん、私たちは今こうして共に新しい時代を作っているのです。

同胞の皆さん、金正恩委員長と私は今年の4月27日、板門店(パンムンジョム)で会って熱い抱擁をしました。
両首脳は韓半島で、これ以上戦争のない、新たな平和の時代が開かれたことを8000万韓民族と全世界に厳粛に宣言しました。
また、我が民族の運命は自ら決定するという民族自主の原則を確認しました。

南北関係を全面的かつ画期的に発展させ、断絶した民族の血脈をつないで共同繁栄と自主統一の未来を繰り上げるよう固く約束しました。

そして今年秋、わたくし文在寅はこのように平壌を訪問することにしました。
平壌市民の皆様、愛する同胞の皆さん、今日の金正恩委員長と私は、
韓半島で戦争の恐怖と武力衝突の危険が完全に除去するための措置に具体的に合意しました。

また、白頭(ペクドゥ)から漢拏(ハンラ)まで、美しい韓国の山河を永久に核兵器と核の脅威のない平和の基盤にして
子孫に譲り渡すことを確約しました。
そして、さらにこれ以上手遅れになる前に離散家族の苦痛を根源的に解消するための措置を迅速に取ることにしました。

私は、私と一緒にこの大胆な旅程を決断し、民族の新たな未来に向けてこつこつと歩いている皆さんの指導者、
金正恩国務委員長に惜しみない賛辞と拍手を送ります。

平壌市民の皆様、同胞の皆さん、今回の訪問で私は平壌の驚くべき発展をこの目にしました。
金正恩委員長と北朝鮮の同胞たちがどんな国を作っていくのか胸熱く見ました。
どれほど民族の和解と平和を渇望しているか切実に確認しました。
難しい時代にも民族のプライドを守り、遂には自分たちで立っていこうとする不屈の勇気を見ました。

平壌市民の皆様、同胞の皆さん、わが民族は優れています。わが民族は逞しいです。わが民族は平和を愛します。
そして私たち民族は一緒に暮らさなければなりません。

私たちは5000年を一緒に暮らして70年を別れて暮らしました。
私は今日この場で、70年の敵対を完全に清算して、再び一つになるための平和の大きな一歩を踏み出すことを提案します。

金正恩委員長と私は、北と南8000万民族の手を固く握りしめて新しい祖国を作っていくつもりです。
私たちは一緒に新しい未来に進みましょう。

今日多くの平壌市民、青年、学生そして子供たちが、大集団体操を繰り広げてくださり、
さらに韓国代表団を熱烈に歓迎してくださったことに対して、もう一度感謝申し上げます。
本当にお疲れ様でした。ありがとうございます

出典:http://www.gobalnews.com/news/articleView.html?idxno=26020

山形へ

わが故郷、山形。
誇らしい田舎だ。ずーずー弁が懐かしい。

今、山形(米沢)と福嶋の県境にある吾妻山(あづまやま)が噴火の兆候を示しているということで
ニュースになっている。
まだまだ大丈夫だと思うけど、ちょっと心配な気もする。

ネットを見ていたら下のようなニュースがあった。台湾から山形へのツアーが人気だという。

      75e0a_1290_b25a8ca4_c8d689a4.jpg  
    ライオントラベルの游国珍社長

旅行大手のライオントラベル(雄獅旅遊 台湾)は今年の日本ツアー用として、   
桃園国際空港と山形空港を結ぶ直行便を29本チャーターした。10月19日から運航される。同社が13日に発表した。

山形は紅葉狩りや温泉が楽しめるほか、蔵王温泉スキー場の樹氷など見所が多く、
今年9月に販売開始したツアーは、すでに7割が埋まっているという。

昨年日本を訪れた台湾人旅行者は約456万人で、
今年は1~7月までですでに299万人(前年同期比8.06%増)に達しており、日本旅行人気は依然高い。
山形ツアーの好調な売れ行きについて游社長は、台湾人が目的地を首都圏から地方に移し始めていることを指摘している。

だんだん日本への旅行の形態が変わってきているのかもしれない。
やれ東京だ大阪だと、大都市志向がずっと続いてきていたが、
これからは、岐阜だとか秋田だとか山形だとか、そういう「奥地」の観光が増えてくるような気がする。
多次元の日本を知ってもらうためにも、これは非常に望ましい兆候といえる。
ぜひ、大都市ではない自然がそのまま生きている奥地あるいは辺鄙といわれる地方を
多くの外国人には訪れてほしいものだ。

田舎バンザイ! 奥地バンザイ!。

         Taoyuan_Air_02 (2) Taoyuan_Air_02 (1)  桃園国際空港風景(台湾)

                                                                                                                                          ライブドア  参照。

サックスの思い出(パート4)_ 釜山サムライエッセイ0011

釜山サムライさんのエッセイ。サックスの思い出、パート4をお届けします。

サックスの思い出 (パート4)。

私はお酒を好きで、練習につけ舞台につけ、一人で若干のお酒をのみながら
演奏したものだ。いわば、飲酒演奏。。
私のこういう振る舞いを、音楽を楽しむ方々は共感されてくれるかな。。

サックスを手に入れてかれこれ、9年となった。
この頃は一週間に2~3回は口につける。
このくらいの練習でもやらないと、ふっと怠けているのではないかという気になる。

あるプロの言ったことが思い浮かぶ。
"一日やらねば、本人が感じる。二日やらねば、仲間が感じる。
三日やらねば、観客が感じるものであるー"
名言となるこの言葉を、上のそらではなく、心の奥深く銘じておいた。

あ~~もう9年が経ったなんて。。私が思うにも少ない時間ではない。
9年という時間の中ではいろんなことも多かった。
しかしながら、その中でも忘れられない、これからも決して頭から消すことのできない出来事がある。
悲しい中にも、一方では、私がサックスを今までやってきたやり甲斐のあることだった。

今年、桜のつぼみが花を咲かせようとする3月初めのことだ。
私の高校同窓であるKについての話だ。
Kを含めて数名の友が長年の間、付き合い、たびたび夫婦づれの集まりもやってきたものだった。
こういう友だちの中でももっとも馬が合う彼だった。
昨年、2017年8月、膵臓癌という診断をうけ, 闘病生活を続けたがついに旅立った。
さほど酒ずきではないが、集まりで歌を上手に歌った彼だっだ。

診断をうけてから、初めから自分の家ではなく、遠く離れた他の地方、
カンウォンド(江原道)の方へ行って闘病生活をし始めた。
それゆえ、お見舞いに行くのも簡単なことではなかった。
日頃、健康だった彼なのですぐ治おると思っていた。
しかし、時間が経つにつれて病状はだんだん悪くなつてきた。

結局は、家へ戻ってきて、近くの病院のホスピス病棟に入院した。
こういう状況で、Kの見舞いに行くことになった。。
死ぬ1週日前の日曜日、2回目の見舞いに友らと行ったときだった。
友らに囲まれたKが、私をしばし見つめながら力のない声で言う。

"おい~さむらい~! 一つだけ頼んでもいいか。。"

死を目前にしたのを感じたからか。。
Kは自分の得意の歌をはじめ、何曲かをサックスで聞きたいとのことだった。
"あ~~そうかい、聞きたい曲があれば、何でもいいよ。。"
Kからこういう頼みを聞いた瞬間、はっと気づいた。
今までこの友らの前で、演奏をやったことが一度もなかったことに。

Kをベッドに残して俺たちは病室を出た。見送りに出たKの婦人にそっと聞いてみた。
"いつごろ来たらいいですか"と。
"主人の様子をみると今度の日曜日のこのくらいの時間(午後1時)に、来ていただければいいかと。。"
彼女の表情は暗い。

3月3日、土曜日だった。朝9時ころ、Kの婦人から電話がかかってきた。
"侍さん~~時間をちょっと繰り上げてもらえませんか。"
電話を切ると側で聞いていた妻が、はやく仕度せよと促す。
出発の仕度に急いでいたところ、また電話がかかてくる。
"申し訳ないんですがもっと早く来てもらえませんか。。"
泣き声のまじったKの婦人の音声が受話器から流れてくる。
 
この電話を受けるがはやいか、妻と一緒にあたふたと車に乗りこんだ。
病院までは1時間ぐらいの距離。11時ころ着いた。
ところが、前にいた一般病室とは違った特別病室だ。
Kは身内に取り囲まれ、ベッドに横たわったまま息が弾んでいた。
病室に入いる私を見たKの婦人は彼に言い出した。
"あなた~侍さんが今来たんですよ。どうか目をあけてよ。。今まで友が来ると
よく頑張ってくれていたじゃないですか。。"
そう言いながら早くサックスの音を主人に聞かせてと私に頼んだ。
病室の前のソファーでKが一番好んで歌ってきた曲を演奏した。
私も涙が流れてくる。
曲が終わらないうちに鳴き声が聞こえる。
入ってみると、計器板の心臓拍動数がだんだん落ちていっていた。
間もなく拍動数の表わす印が、すっかり消えてしまった。
11時30分ころのことだった。

葬儀の時、
Kの婦人が私に聞かせてくれた話はこういったものだった。
"その日、主人からこういうことを言われました。
意識が消えかかっている主人の声でしたが、私は確かに聞きました。
"自分のために、わざわざここまで来る友のためにも、先に目を閉じてはいけないんだ。。
そして、友に頼んでいたこともあるんじゃないか。。
あなたも分かっているように、亡き親父に前々から聞き習った、
この歌だけは友から、ぜひサックスで聞かせてもらいたい。。"
そういうことを言った後、急に意識が微かになってしまったという。
"しかしながら、主人は意識が薄れていきながらも、きっとサックスの音を聞いた
はずだと私は固く信じています"

こういった話を言いついでやってから、背を向けている婦人の横顔から
言葉では表せない何か安らかな気配が見られる。

私の胸が熱くなった。
"ありがとう~友よ~ 私との約束を守るために、あの辛い時間を堪えていたということか。。"
"そうだね~、私もお前との約束を守ることができてよかったよ~~"

葬式を終えて戻っていく道。道端の桜のツボミが、何か私に声をかけそうに見える。
"あなたという人、不出来な人間だったけど、いざという時に何かをやったね。
よくやりましたよね~~!!"
まさに、そうであった。
この度の出来事によって、私が感じたことがある。

今に至るまで覚えていなかった大きな喜びであった。                                              ー終りー


*参考まで。Kさんが好んで歌った歌は パク・ジェラン(박재란) の ニム(님)である。
(一名、「格子なき監獄」としてもっと知られている)
この歌は、私の十八番の曲であり、韓国の人々の愛唱曲でもある。
1964年に発表された曲で、いまでも4~50代以後の人から変わらず愛されている。
歌詞が刻みこまれた歌碑は、慶尚北道、蔚山市 温陽邑 大雲山自然休養林
の入り口に立てられている。

나는 술을 즐기는 편이다.
혼자 연습하든,무대에 서든, 약간의 술을 마셔가며 연주를 하곤 했다. 그야말로 음주연주..
음악을 즐기는 분들은 나의 이러한 행동을 공감해 주시려나..

섹소폰을 시작한지 벌써 9년이 지났다.
요즘은 1주일에 2~ 3번 정도 분다.
이 정도도 하지 않고 있으면 문득, 게을러져 있지 않는가 하고 느낄 때면
어느 –프로-의 말이 생각난다.
- 하루를 쉬면 본인이 알고, 이틀을 쉬면 동료가 알고, 삼일을 쉬면 관객이 안다 -
명언인 이 말을 건성으로 듣지 않고 나의 마음속 깊이 새겨 놓았다.
아~~벌써, 9년이라니..지금 생각해도 적은 시간이 아니다.
9년이란 시간속에는 여러 가지 일들도 많았다.
그렇지만,그 중에서도 잊을 수 없는, 앞으로도 결코 머릿속에서 지워지지 않을
사건?이 있다.
슬픈 사연이면서, 한편으로는 내가 섹소폰을 지금까지 해온 보람이 있었던 일이다.

올해, 벚나무의 꽃봉우리가 꽃잎을 피우려 하던 3월초순때의 일이다.
나의 고고동창인 K에 대한 이야기이다.
K 를 포함해 몇 명의 친구들이 오랜 기간동안 사귀어 왔고,때로는 부부동반으로
모이곤 했다.
이런 친구들 중에서도 가장 마음이 맞는 친구였다.
작년인 2017년 8월 췌장암이란 진단을 받아 투병생활을 계속하다 결국 세상을 떠났다.
그다지 술은 좋아 하지 않았지만 모임때 노래를 멋지게 부르곤 했던 그였다.

진단을 받고 나서 처음부터 자신의 집이 아닌 멀리 떨어진 타지방, 강원도쪽으로
가서 투병생활을 시작했다.
그 때문에 “병문안”가는 것도 쉬운 일이 아니었다.
평소 건강했던 그였기에 조만간 나을 것으로 생각했다.
그러나 시간이 지남에 따라 병세는 점점 나쁘게 되어 갔다.

결국은 집으로 돌아와 집근처의 병원 호스피스 병동에 입원했다.
이런 상황에서 K의 병문안을 가게 되었다.
죽기 1주일전인 일요일, 2번째 병문안으로 친구들과 갔을 때였다.
친구들에게 둘러 쌓인 K가 나를 잠깐 주시하더니 힘없는 목소리로 말한다.
“ 사무라이 부탁할게 하나있는데 괜찮을까 ?
너가 허락해 준다면,. 그렇게 해 주면 좋겠는데..“

죽음을 앞에 둔 것을 느꼈기 때문일까..  K 는 자신이 즐겨 부르던 노래를 비롯해
몇곡을 섹소폰으로 듣고 싶다는 것이다.
“ 아~~그래~~ 듣고 싶은 곡이 있으면 무엇이라도 좋네..”
K 로부터 이런 부탁을 받자마자 문득“지금까지 우리 친구들 앞에서 연주한 일이 전혀
없었다는 것을 깨달았다.


K를 남겨 두고 우리들은 병실을 나왔다.
배웅하러 나온 K의 부인에게 살짝 물어 보았다.
“언제쯤 오면 되겠습니까?”
라는 나의 말에“남편의 상태를 보니 다음주 일요일, 이 시간정도(오후 1시경)에
와 주시면 될 것같습니다.“
라고 말하는 그녀의 얼굴에 걱정어린 표정이 가득하다.

3월3일, 토요일이었다.
아침 9시경 K의 부인에게서 전화가 걸려 왔다.
“사무라이씨, 시간을 조금 당겨서 와 주시겠습니까?..”
전화를 끊자 옆에서 듣고 있던 안사람이 빨리 준비하라고 재촉한다.
출발준비에 서두루고 있을 때 또 전화가 걸려 왔다.
“죄송하지만 좀 더 빨리 와 주실수 있을까요?...”
울음섞인 부인의 음성이 수화기에서 들려 온다.

이 전화를 받자마자 안사람과 함께 허겁지겁 차에 올라 탔다.
병원까지 거리는 약 1시간, 11시경 도착했다.
그런데 전에 있었던 일반병실과는 다른 특별한 병실이었다.
K는 가족,친지들에 둘러 쌓여 침대에 길게 누운채 숨을 헐떡이고 있었다.
내가 병실에 들어 가자 K의 부인이 그에게 말한다.
“여보,사무라이씨가 오셨어요. 어서 눈을 떠 봐요...
지금까지 친구가 온다고 잘 견디어 주셨잖아요....“
그렇게 말하며 빨리 섹소폰소리를 남편에게 들려 주라고 나에게 부탁한다.
병실앞 소파에서 K가 제일 좋아했던 곡을 연주했다.
나도 눈물이 흐른다,
연주가 마치기도 전에 울음소리가 들려 온다.
병실에 들어 가 보니 계기판에 보이는 심장박동수가 점점 떨어져 가고 있었다.
잠시후, 박동수를 나타 내는 그 표시도 완전히 사라져 버렸다.
11시30분경의 일이었다.

장례식때, K의 부인이 내게 들려준 이야기는 이러했다.
“그날 남편이 이런 말을 했습니다.
의식이 점점 멀어져 가는 남편의 목소리였지만 나는 똑똑히 들었읍니다.“
- “나를 위해 일부러 여기까지 오는 친구를 위해서도 먼저 눈을 감을 수는 없다.
그리고 그 친구에게 부탁한 것도 있지 않느냐.. 당신도 알다시피 돌아가신 아버지에게
오래 전에 들어 배웠던 이 노래만큼은 꼭 친구에게서 섹소폰으로 듣고 싶다.“
그런 말을 한후 남편의 의식이 급격히 떨어졌다고 한다.
“그렇지만, 남편은 의식이 사라지면서도 틀림없이 섹소폰소리를 들었을 것으로
나는 믿고 있습니다,

이러한 말을 전해준 뒤 뒤돌아 서는 부인의 옆모습에서 말로는 표현할 수 없는
어떤 편안한 기색이 엿보인다.

나의 가슴이 뜨거워졌다.
“고맙다, 친구야~~  나와의 약속을 지키기 위해 그 힘든 시간을 견디었느냐..
그래, 나도 너와의 약속을 지킬수 있어서 기쁘다.“

장례식을 마치고 집으로 돌아 가는 길이다.
길가의 벚나무 꽃봉우리가 나에게 뭐라고 말을 하는 것 같이 보인다.
“당신이란 사람, 변변치 못한 사람이었어도 정작 누군가에게 필요할 때
뭔가를 했네요,,잘 했습니다...“
정말로 그랬었다.
이번 일로 인해 느낀 것이 있다.

지금까지 살아 오면서 느끼지 못했던 커다란 기쁨이었다.              -끝-

>참고로 K가 즐겨 불렀던 노래는  –박재란의 님- 이다.
일명“창살없는 감옥”으로 더욱 알려져 있다.
이 노래는 나의 18번이기도 하며, 한국인들의 애창곡이기도 하다.
1964년 발표되었던 곡으로, 지금도 4~50대 이상의 사람들에게 변함없이 사랑받고 있다.
가사가 새겨진 비석은 경상북도 울산시 온양읍 대운산 자연휴양림입구에 세워져 있다.

サックスの思い出(パート3) _ 釜山サムライエッセイ0010


釜山サムライさんのエッセイ。サックスの思い出、パート3をお届けします。


サックスの思い出 (パート3)。

冬が終わらないうちにAさんとの練習は終わりを告げた。
Aさんはほぼ1年ぶりに新しいプロジェクトを受注したという(事業家である)。
やむを得なく下山することになり、私はひとりで続けた。
時は冬であったので狭い自動車の中で、サックスをやるよりほかなかった。
車の中を照らす日差しが消えてしまうと、
また日差しのよいところへ移動する。
まるで太陽を追っ掛けていきながら顔の方向をかえるヒマワリのように光が差すところへ
転々と動く始末だった。

春になってからは山だけでなくあちこちに移っていった。
車の外でやるので、雨の日は橋の下で、風の強い日は風を避けられる、どこかの場所でやった。
同好会にはいるとこういう苦労はしなくてもすむ。
だが、そこには行かなかった。
練習はそっちのけにして揃って酒ばっかり飲むのが火を見るよりも明らかだからだ。
振りかえれば雨につけ、雪につけ一日、10時間ずつやったものだった。
私は、その当時、これっといった仕事がなかったので、こういうことができたのかも知れない。
"そう、腕のよいAさんが 一日、7時間ずつ2年間やったといったっけ~!
だったら、俺は10時間ずつ3年間だけやってみよう。。"
こういった思いを固めたからには,一日でも休んではならないという妙な
覚悟みたいなものができたものだ。

かくして、春を迎え、冬を送り出すこと3回。
一日も練習を欠かさなかったのは無論のこと。
ほどんどの人々は信じられないことと思われるはずだが、これは事実である。
3年間の練習の結果はどうであれ、自らの約束を守り抜いたということが誇らしかったものだ。

一方、その時には、山の下に住んでいたAさんはその間、元の家から遠く
離れたところへ引っ越ししたという。
"山へ来るには仕事が忙しいし、そこまで距離も遠い。練習はうまくいっていますか~"
たまに電話でAさんの声だけ聞いていたものであった。

"せっかくの休みの日ですよ~"といいながら、お酒を持って訪れてきたAさんと
久しぶりに話し合った。

Aさんは山から下りて行った以後、今までサックスは口につけることは全くなかったという。
"一曲、聞かせてもらえますか~" 彼に頼まれた曲を演奏した。
    
演奏が終わるころ、彼の口元に笑みがこぼれる。
"やっぱり短い時間だったけど、共に練習したやり甲斐がありましたね~~"
前に書き記したBさんには、あれほどつれないことをよくも言ってのけた彼が、私をほめるなんて。。。"
とにかく、気持ちはよかった。

例の山で練習していたところ、ある車が私の近くに止った。
60代半ばのおとなしそうな男が車から降りる。
自分はグァンアンリ(廣安里)浜辺の舞台で公演するチームのリーダーだと言いながら名刺を取出す。
この道を通りかかるたびに、サックスの音が聞こえてくるので、車の中で何回も私を見守り、演奏も聞いたという。
彼の話は、いっしょに活動するのはいかがでしょうかということであった。
"へえ~~舞台で演奏をするなんて、、この人の目には私がそれくらいの腕が備わっていたと見えていたってことか"

Aさんに電話をかけ、こういう事情を伝えたところ、電話の向こうからげらげらという笑いが聞こえてくる。
"サムライさん~先日、山であなたの演奏を聞いたじゃないですか。
十分ですよ。もう、下山してもよろしいのではないかと。。
思うぞんぶん働いてください。。"という。
なんと、あの厳しい師から認められたことがどれほど嬉しかったことか。

こうして、演奏チームに参加することになった。
4月から10月末まで、毎週,土曜日ごとに3時間くらいの舞台だった。
初めは自分たちの選んだ曲をやったが、2年目からは観客の申請曲を主として
やることになった。
だが、こういうことも一時の楽しみであった。
時が経つにつれ嫌気がさしてくる。
そもそも毎週,土曜日ごとにやるということが無理だった。
時々、個人的の事情で演奏の日に抜けることも、すまないことだし。。
音楽をやるって、自ら楽しもうとやったのに、ストレスを受けながらやるべき
理由があるのかいな。

チームのリーダーに了解を得て、2年ほどやってきたこのチームを去った。
けれども、こういう活動が負担もあったけど、一方では、多くの人の前でやってきたと
いうことが十分に実戦経験を踏んだものともなった。


섹소폰의 추억 (3)                                    パート3。韓国語。
겨울이 끝나기도 전에 A씨와의 연습은 끝이 났다.
A씨는 약 1년만에 새로운 프로젝트를 받았다고 한다.
어쩔 수 없이 하산하게 되었고 나는 혼자서 계속 연습헀다.
때는겨울이었기 때문에 좁은 자동차안에서 연습할 수 밖에 없었다.
차안을 비추는 햇살이 사라지면 다시 햇살이 잘 드는 곳으로 이동한다.
마치 태양을 쫓아 가며 방향을 바꾸는 해바라기처럼 햇빛이 비추는 곳으로
이쪽저쪽 움직이는 처지였다.

봄이 되고 부터는 산뿐만이 아니고 여기저기 옮겨 다녔다.
차밖에서 연습하기 때문에 비오는 날에는 다리밑에서, 바람이 센 날은 바람을 피할 수 있는
어딘가의 장소였다.
동호회에 들어가면 이런 고생을 하지 않아도 된다.
하지만 거기에는 가지 않았다.
연습은 뒷전이고 모여서 술만 마실 것이 불을 보듯 뻔하였기 때문이다.

돌이켜 보면 비가 오나, 눈이 오나 하루 10시간씩 연습했다.
나는 그 당시에 특별한 업무가 없었기 때문에 이런 것이 가능했는지도 모르겠다.
“그래, 솜씨좋은 A씨가 하루 7시간씩 2년을 했다고 했지...
그럼 나는 10시간씩 3년만 해 보자..“
이렇게 생각을 굳힌 후부터는 하루도 연습하지 않으면 안될 것 같은 묘한
각오같은 것이 생겼다.

이렇게 하여 봄을 맞이하고 겨울을 보낸 것이 3번이나 지났다.
하루도 연습을 거르지 않았던 것은 말할 것도 없다.
대다수의 사람들은 믿을 수 없다고 생각하겠지만, 이것은 사실이다.
3년간의 연습결과가 어찌되었든 스스로 약속을 지켜 낸 것이 자랑스러웠다.
한편,그때는 산밑에 살았던 A씨는 원래 살았던 곳에서 상당히 먼곳으로 이사를 갔다고 한다.
“산에 오기에는 업무도 바쁘고, 거기까지는 거리도 멉니다..
연습은 잘하고 있습니까?“
가끔씩 A씨의 목소리를 전화로 들을 뿐이었다.

“모처럼의 휴식입니다~~ 라며 술을 가지고 찿아 온 A씨와 오랬만에 얘기했다.
A씨는 산에서 내려간 이후 색소폰을 전혀 불지 않았다고 한다.
“한곡 들려 주세요~”그가 부탁한 곡을 연주했다.
연주가 끝나갈 무렵 그가 슬며시 미소를 짓는다.
“역시 짧은 시간이었지만 같이 연습한 보람이 있네요~~
앞에 기술한 B씨에게는 그토록 무정한 소리를 했던 A씨가 나를 칭찬하다니..“
어쨌던 기분은 좋았다.

매일 연습하던 산(황령산)에서 연습을 하고 있을 때 웬 차가 내 가까이에 선다.
60대 중반의 점잖게 생긴 남자가 차에서 내린다.
자신은 광안리,해변무대에서 공연하는 팀의 –리더-라고 말하며 명함을 꺼낸다.
이 길을 지날 때 마다 음악소리가 들려서 차안에서 몇 번이나 나를 지켜
보았고 연주도 들었다고 한다.
그의 이야기는 “같이 공연활동을 하면 어떻겠냐”는 것이었다.
“예~에~~??  무대에서 연주를 하다니...
이 사람이 보기에는 내가 그정도 실력을 갖추었다고 보는 것인가??
A씨에게 전화를 걸어 이런 얘기를 했더니 전화기 저편에서 껄껄거리는 웃음소리가
들려 온다.
“일전에 산에서 사무라이씨의 연주를 들었지 않았습니까.
충분합니다.
이제 하산해도 좋을 것같습니다...마음껏 실력을 발휘하세요..“
웬걸~~!!이 지독한 선생에게서 인정받았다는 것이 얼마나 기뻣던지...

이렇게 하여 연주팀에 참가하게 되었다.
4월부터 10월말까지, 매주 토요일마다 3시간정도의 무대였다.
처음에는 내가 선택한 곡을 연주하였으나, 2년째 부터는 관객의 신청곡위주로 연주하게 되었다.
하지만 이러한 것도 잠깐의 즐거움이었다.
시간이 지나자 실증이 나기 시작한다.
애초부터 매주 토요일마다 한다는 것이 무리였다.
때로는 개인 사정으로 토요일날 빠지는 것도 미안한 일이고 해서..
음악을 스스로 즐기기 위해 하였는데, 스트레스를 받아 가며 해야만 할 이유가 있는 것일까 ??
팀의 –리더-에게 양해를 구하고 2년정도 해 왔던 이 팀을 떠났다.
하지만 이러한 활동이 부담도 있었지만, 한편으론 많은 관객들 앞에서 연주해왔던 것이
충분한 연주경험을 쌓게 된 것이었다.


サックスの思い出(パート2) _ 釜山サムライエッセイ0009

釜山サムライさんの久しぶりのエッセイ。サックスの思い出、パート2をお届けします。

(パート2)
かくして、運指法から習ってからびっしり鍛えられるうちに冬がやってきた。
手の指が冷えて外で練習するのは無理なのでやむなくボンゴ車に入って毎日練習した。
朝10時ころ山に登る時、おやつにするとパンを持って行ったものだ。

夕方になって装備を取りまとめて、片付けようと車内を見回す。
朝、買ってきたパンの袋が手つかずのままである。こういうことは茶飯事であった。
この二人、どれほど夢中になっていたかは皆さんの想像に。。

何日が経ったころ、二人、初めて酒を飲むことがあった。
酒が回るとAさんにこう言った。
「一日7時間くらい練習をやったってのは嘘ではなかったですね~ 本当に驚きました」。
すると、Aさんのいうには
「僕もみずから激しく練習してきたと思っていたけど、あなたこそ僕より粘りづよい人であることが分かりましたよ~。僕よりもっとすごい人がいるというのを今になって知りました」。という。

Aさんはサックス以外の唯一な趣味といったら海づりである。波が散る磯で釣りをする姿をセルフで撮った写真をみせる。
酔いが回るとAさんは
「僕は他人との付き合いが苦手なもので何だってひとりでやるんです。幼いころ両親が旅立って、自分は一人ぼっちになったせいか、朗らかではない性格で生きてきました」。
そのためか、口が重い。人の前で自慢は決してしない。ひいては自分をみずから厳しく戒める方であるという。

私がサックスを習ったばかりのころ、こういう性格を彼がみせた出来事があった。
共に練習中のある日、だれかが音を聞きつけてやっってきた。自分(Bさん)もサックスをやっているという。
サックスを手にとって2年ほどになると言いつつ車からサックスを持ち出してくる。
こうして何日か過ぎた。3人で酒を飲んでいたところ、AさんがBさんに向かって真顔になって言う。
この二人は、歳もほぼ同じであった。
「あなたは音楽を止めたほうがあなたのためにもよいことと思います。2年もやったという実力がこれしかできないなんて。拍子もろくに取れない人が音楽をやるなんてむりです」と。

Bさんの顔色をうかがうこともなくきっぱりと割りきって言ってのけるのだった。
いや~~酷いことをいうもんだ。それもよく知らない人に。。

けれども、私の師であるAさんの言ったことは正しいことであった。。。。というのは、
何日間か3人ともにいたので私もそう思っていたからであった。

自分は上手だと思って素人の私にあらゆるスケールばっかり誇らしげにやってみせていたBさんが
Aさんからこんな酷い話を目の前で聞かされて、どれほど恨めしかったことか。
恨めしさのあまりなのか。。涙まで流していた。
言うまでもなく、その後からはBさんは二度と顔を出さなかった。

では、こういう厳しいAさんの下で、私はどうなったでしょうか。。
(パート2)ここまで

한국어(パート2)
이렇게 해서 운지법부터 배우고, 열심히 연습하는 동안 겨울이 찿아 왔습니다.
손가락이 시려워 밖에서의 연습은 무리. 어쩔수 없이 봉고차안에 들어 와
매일 연습했다.
아침 10시경, 산에 오를 때 간식으로 빵을 가지고 가곤 했다.
저녁이 되어 장비를 정리하고 차안을 둘러 본다.
아침에 사 갔던 빵봉지가 손대지도 않은 채 그대로 있다.
이 두사람, 얼마나 연습에 열중했는가는 여러분의 상상에..

얼마간의 날들이 지났을 때쯤, 둘이 처음으로 술을 마시게 되었다.
술기운이 돌자 나는 A씨에게 이렇게 말했다.
“하루 7시간씩 연습했다는 것이 거짓말이 아니었네요.
정말 놀랐습니다“
그러자 A씨 말은 ”나도 스스로 독하게 연습해 왔다고 생각하고 있었지만
당신이야 말로 나보다 근성이 강한 사람이라는 것을 알게 되었습니다~
나보다 더 지독한 사람이 있다는 것을 오늘이 되어서야 알았습니다“
라고 한다.

A씨는 섹소폰이외의 취미라면 바다낚시이다.
파도가 부서지는 바위에서 낚시를 하는 자신의 모습을 셀프로 찍은 사진을
보여 준다.
취기가 더 오르자 A씨는 나는 다른 사람과 어울리는 것이 서툴러서 무엇을 하든
혼자 합니다. 어릴 때 양친이 돌아 가셔서 자신이 외톨이가 된 기분이 들어
밝지 못한 성격으로 살아 왔습니다“
그 때문일까?  그는 입이 무겁다.사람들 앞에서 자기자랑은 결코 하지 않는다.
더욱이나 자신을 스스로 엄격하게 다스리는 편이라고 한다.

내가 섹소폰을 막 배우기 시작했을 때 이러한 성격의 그가 보여준 사건이 있었다.
같이 연습중인 어느 날, 누군가가 소리를 듣고 왔다. 자신도(B씨) 섹소폰을
하고 있다고,,
섹소폰을 손에 잡은지 2년됐다고 말하면서 차에서 악기를 꺼내 온다.
그리하여 몇일이 지났을까. 3명이 술을 마시는 자리에서 A씨는 B씨를 향해
정색을 한 얼굴로 말한다.
이 2사람의 나이는 거의 비슷했다.
“B씨~~! 당신은 음악을 그만 두는 것이 당신을 위해서도 좋을 것이라 생각합니다.
2년이나 했다는 실력이 그것 밖에 되지 않습니까~~!
박자도 제대로 못맞추는 사람이 무슨 음악을 한다는 말입니까~!!
B씨의 표정에도 신경쓰지 않고 단호하게 딱 잘라 말한다.

으와~~~!!! 심한 말을 하네. 그것도 잘 모르는 사람에게...
하지만, A씨가 말한 것은 틀린 것이 아니었다.
라고 하는 것은, 몇일간 3명이 같이 연습을 하였기에..
나도 그렇게 생각하고 있었기 때문이다.

자신을 스스로 상당한 실력자라고 생각하여,초보인 나에게 온갖 스케일을
자랑스럽게 보여 줬던 B씨가 A씨에게서 이런 험한 말을 눈앞에서 듣고는
얼마나 서러웠을까.
서러운 나머지,,,눈물마저 흘리고 있었다.
말할 것도 없이, B씨는 두번 다시 얼굴을 보이지 않았다.

그럼, 이런 엄격한 A씨 지도하에 있던 나는 어떻게 되었을까요?
                                                                   (パート2)

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treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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