天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

金正男

北朝鮮の金正男が13日、テロに遭い死亡した。
金日成、金正日、ときて第三代目が今の金正恩(キム・ヂョンウン)であるが、
本来なら金正男が跡取りとなっているはずだった。
金正男が第三代目となっていたら、またちがった「北の形」になっていたであろうが、
それは勿論夢物語だ。

マレーシアはクアラルンプール。この空港の中で変にあった。
2001年頃、弟の金正恩によって第三代目の座を奪われたあとは、
叔父にあたる張成沢(ヂャン・ソンテク)が面倒をみていたらしいが、
この人も2013年にバズーカ砲のようなもので処刑されてしまった。
そのあとは、中国政府が金正男のめんどうをみていたらしいが、
この日は、警護はついていなかったようだ。
暗殺の危険性は常時あったはずであるが、なぜ金正男は一人で行動をしていたのであろうか。

北朝鮮の三代にわたる世襲制に対しても「反対だ」とはっきり言っていた人だ。
常に死と隣り合わせで暮していたわけだが、
このテロにより、永遠の世界へと旅立った。

金正男の息子と娘がいるのだが、彼らの行方も今現在わかっていないという。
おそらくどこかにひっそりと暮しているのであろうが、心配であることは心配である。

金正男は、金正恩に首領の座を奪われてからは、
「おれはなんとも思っていないよ」と語っていた。あの座に執着はないと。
だから正恩としても、正男を殺す必要はないのであるが、結果的にこうなってしまった。

実は、生い立ちの点で正男のほうがより「正統」なのだ。
長男であること、そして生母が正男のほうは純粋な朝鮮の人であるが、
正恩のほうは在日僑胞である点、この2点。
(朝鮮血統は白頭血統(ペクトゥ ヒョルトン)、日本血統は富士山血統(フジサン ヒョルトン)と言ったりする。)
この2点のせいで、正恩としては常に目の上のたんこぶ的存在だったのである。
できればいないでいてほしい、というのが現首領様の本音というわけだ。

これまで何度も正男暗殺が試みられてきたらしいが、すべて失敗していたようだ。
5回くらいは決定的な瞬間があったらしい。
どことなく人間的で親しみのもてた正男が暗殺されてしまい、
身内でもなんでもないんだけど、かなり悲しい思いがわが身を取り巻いている。

冥福を祈るばかりだ。。安らかに眠り給え。

韓国激震

本ブログは、なるべく政治的なことは書かないというコンセプトでやっている。
しかし今回は、慶州地震ならぬ「韓国激震」ということでアップする。
大統領「バク・クネ」地震ともいえる激震が韓国全土をおおっている。
毎週毎週、週末に100万、200万単位の市民デモが繰り広げられている。

こんなことは、筆者が韓国に来た1988年以来、はじめてのことである。
この「まじめ」な大統領が、なんでこんなことになってしまったのか。
ただただ驚くばかりである。

彼女(バク・クネ 朴槿惠)は、大統領になったとき、
自分には欲というものはない、ただ「大韓民国」と結婚した女だ、と語った。
その気持ちは今も同じだと思う。
彼女にはこれまでの大統領のように
何億、何十億、何千億と掠め取ってやろうなどというセコイ欲はない。
「大韓民国」を夫として仕えようという意志でもってこれまでやってきたと思う。
それは確かなのだが、一人の女のためにすべてを失おうとしている。

昔の記事をちょっと見てみよう。(別ブロ)。
バククネが大統領に就任した2013年2月当時は、
第18代大統領として彼女は「はじめての」が、6つも付く栄光に輝いている。
1.はじめての女性大統領。
2.はじめての独身大統領。
3.はじめての父娘大統領。
4.はじめての過半数得票の大統領。
5.はじめての理工系出身の大統領。
6.はじめてジンクスを破った大統領。
 (投票率が高いと野党に有利であるというジンクスをやぶり、75.8%という高い投票率にもかかわらず与党の彼女が当選した。)

といった記事を別のブログに書いている。
就任当時は、彼女にはかなり好意的だった。(ブログ筆者は。)

♦また、2013年2月25日のブログ(別ブロ)には 「大統領の就任式」と題して、
バク・クネ大統領の就任式の2013年2月25日には、ヨウィドの韓国・国会議事堂の広場で
就任式が開かれカンナムスタイルでおなじみの歌手「サイ」も参席してお祝いのムードを盛り上げた。
参席者は全部で6万人ほど。韓国人、外国人がだいたい半々ぐらい。
著名外国人としては、メルケルドイツ総理やタイの総理「インラク チナワット」なども来賓として出席した。
バク・クネ氏の人選は、すばらしいという評価は下されていない模様だ。
難航していて、どうもイマイチ ばしっといかないので、もどかしく感じている人も多いようだ。

といったことを筆者は書いている。
2013年、大統領就任当時は、このように筆者もかなり好意的だったのだ。
しかし、今、どうだ。

      バク・クネ、すぐに下野しろ。

の200万単位のデモだ。このように落ちぶれてしまうとは、誰が予想したろうか。

過去記事の就任式に関するブログでちょっと目がいくのは、
「バク・クネ氏の人選は、すばらしいという評価は下されていない。
難航していて、どうもイマイチ ばしっといかないので、もどかしく感じている人も多いようだ。」
と書いてある点だ。

いまから思えば、このときすでにバク・クネは、
あのチェ・スンシル(崔順實)のアドバイスを受けていたものと思われる。
バク・クネの人選は、最初のころからみんなが「えー???」と思うようなものばかりだった。
人の話を聞かないで、自分ひとりで決めてしまう、といった「批判」が多かったものだが、
それは、陰でチェ・スンシルの話だけを聞いていて、
国務総理の話や野党らの助言などにまったく耳を傾けない性向の表れであったのだ。

韓国激震のいちばんの本質は、
バク・クネという女性が、大統領という最も公人であるべき立場にありながら
私的な「親友」かなんか知らんけど、一私人にかしずき、
そういう一私人のアドバイスを頼りに国政を行っていた、というこの一点であると筆者は考える。

21世紀は確かに女性の時代であると思うのだが、
政治の面においては、(あるいは全ての面においてもそうかもしれないが)
女性だからなんでもOKというわけにはいかない、ということなのであろう。
血なまぐさい「男の論理」よりは、
ぽにゃぽにゃと柔らかい「女の論理」が重視されていくべきであることにはかわりないけど、
女が頭に立つとき、こういう事態も起こりうるものだという
非常に強烈な「反面教師」の役割を
バク・クネは演じてくれたものと思う。

きょう12月6日(火)、国会聴聞会があって、韓国の9個の大企業の総帥らが
国会に来て聴聞会を行うことになっている。
今午後3時だが、すでに行われているのだろう。
どのような回答がなされるのか、
全国民、注視だ。

赤秋

今日は、韓国の「教育新聞」という新聞に載っていたエッセイを翻訳してお送りします。
「赤秋」(せきしゅう)ということばは、筆者は知りませんでした。
やはり日本の書籍を200冊以上も翻訳してきている翻訳の大家だけのことはありますね。



「赤秋」

 かなり長い間、日本の書物を韓国語に翻訳してきたのだが、先月、とうとう最後の翻訳作業を終えた。これまでの仕事を振り返ったことはないが、おそらく200冊はゆうに越えているものと思われる。調べたことはないけれど、たぶん私がこの韓国では一番老いぼれの翻訳作家だと思う。そんな関係もあってかときどき聞かれることがある。「日本語の中で一番好きな表現は何ですか?」。私は躊躇なく答える。赤秋(せきしゅう)っていうことばだけど聞いたことある?って。日本語が朝鮮半島から渡っていったということは多くの人々が知っているけれど、「赤秋」ということばは韓国語にはない。ことばそのまま「赤い秋」という意味だ。何がそんなに赤いといういうのか。紅葉だろうか。あるいは夕日がしばし立ち止まる広大な草原だろうか。

 「赤秋」ということばは、日本では高齢者の青春という比喩で用いられている。物質と出世という世の束縛から逃れ、これからは自分の好きなことを自分勝手にやれるという自由を手にしたということなのである。

 老年期に差しかかった人なら誰でも共感する話だ。青春が青い春の日だとすれば、赤秋は赤い秋だ。春夏秋冬の四季の中で春と秋は対称をなしている。満開の夏を準備する春が青春とするならば、もう一度土に返る冬を準備する時期が秋、すなわち赤秋だ。冬が残っているからまだ終りではなく、それに結実の時でもある。豊かで美しい紅葉はおまけだ。

 荒涼とした秋風がもの悲しく吹いても、華やかだった春の日と暑い夏が過ぎ去ったのだからよく見ればこれもまた休息にもなろう。秋は確かに冷たい季節だが、豊かな収穫の時でもある。仮に炭疽病が流行って苦労した代価をもらえないとしても、私が流した汗の証拠として秕(しいな)と鳴子百合(なるこゆり)が残っている。秕も捨てずに大地においておけば肥やしになるしそこから新しい生命が生まれてくる。虚無であるはずはない。

 アカデミーで2回も主演女優賞をもらったジェーン・フォンダの老年は、社会運動家としてさらに大いなる名声をとどろかせた。彼女は老後を自分自身を取り戻す時期と定義した。幼少年期および成年期に続く人生の第三幕というわけだ。三幕の舞台で繰り広げられる演技は過去との和解だ。自分がなんで今の自分になったのかという棋譜の並べ返し作業だ。今まで生きてきながら数多くの事件と記憶が積み重なっている。間違っていた過去もあるしうまくいったこともある。それらが集まって今の自分ができている。したがって今の自分をばかにしてはいけない。だめなやつだと思うのもよくない。全てが終わったと思うのはもっとよくない。

 今年で86歳。今こそ私の人生で最も特別の時期じゃないだろうかと思う。今が一番幸せだし今が一番楽しいし今が一番自由であると自分自身がそう信じ、そう言い、そのように行動している。それでこそ今後もそうなるだろうこと間違いないので、私は誰よりも「熱い秋」を送ろうと計画中なのである。

  出典:    教育新聞2016年10月10日号。김욱(작가/컬럼니스트) <여든여섯, ‘붉은 가을’을 고대하며>  より

金日成は平和主義者だった?

「ソウル市民の皆さん、白頭山・金日成(キムイルソン)がやってきました。
北朝鮮はけんかが強く、南朝鮮は裕福です。
この二つを合わせれば、わが民族は世界のどこに行っても怖いものはありません。」

この演説は誰がやったのか?
なんとキムイルソンが「やろうとしていた」演説文なのだ。
1994年7月に平壌で予定されていた南北首脳会談。それを終えて、
その返礼訪問としてソウルを訪問したときにやろうとしていた演説文だという。

首脳会談が近づいたある日、金イルソンは天津製鋼所のギ社長に電話をかけ
「あす、あさってには統一だよ。わたしがソウル市民らに一言演説すれば統一だ。
必要なら大統領のポストも譲ってやってもいいさ」と語ったというのである。

このとてつもない内容は、北朝鮮の統一前線部に勤務していて
2004年に韓国に脱北した金日成綜合大学出身のヂャンヂンソン(張真晟)詩人が
日本の文芸春秋に公開した内容だ。
演説文は、金日成が眠っている錦繍山記念宮殿に展示されているらしい。

ここまで準備されていたのに、
息子のキムヂョンイル(金正日)が反対し

「北朝鮮のない地球なんて意味がありません。
 地球を爆破してしまいます」

としながら、政権維持のために核開発に強くのめり込んでいくことになる。

1994年7月8日午前2時に脳梗塞で金日成は突然死亡する。
その死亡は、金正日(チョンイル)によって画策されたものではないかという見方を
上掲の張詩人が試みているわけである。

1994年といえば、ブログ筆者が韓国に渡ってきて6年目ごろのこと。
ニュースははっきりと覚えている。
突然死亡したのか? 変だな、という気持ちは今も覚えているが、
その裏にこういうミステリがあったとは知らなかった。
韓国のとある新聞に最近載ったコラムからの内容であるが、
なかなか説得力はあると思う。

それにしても惜しい。
金日成がこれほどまでに統一を願い、平和を望む平和主義者だったというのか。
張詩人の暴露も、一つの「説」に過ぎないわけだが、
金日成綜合大学出身で北の統一前線部に勤務していたというその経歴から見て、
いたずらに否定せずともよいのではないかと思える。
その詩の才能により「御用詩人」として金正日に尊重されていたらしい。
あるミスによって粛清の危険を感じとり、南に脱北してきた人間のようだ。

歴史に if はないとはよく言われることだが、
このとき金日成が死なず南北首脳会談が実現していれば
ここ朝鮮半島の情勢は今とは180度異なったものになっていたかもしれない。

「国際ブッカー賞」に韓国の小説家・韓江氏

権威ある英文学賞ブッカー賞の国際版で翻訳作品も対象とした
「国際ブッカー賞(Man Booker International Prize)」の受賞者に16日、
小説『菜食主義者(The Vegetarian)』を執筆した韓国人作家、
韓江(Han Kang)氏(45)が選ばれた。
韓国人で同賞を受賞したのは同氏が初めて。(アジア圈ではじめて。)
賞金5万ポンド(約790万円)が授与される同賞は今年、作者と翻訳者が初めて共同で受賞した。
翻訳者のデボラ・スミス(Deborah Smith)氏(28)は、
韓国語の勉強を始めてからわずか3年後に本書の翻訳を手掛けたという。
韓氏は、韓国ですでに成功を収めている作家で作文教師。同賞を受賞したことで、
海外での作品の販売部数が急増しそうだ。
AFPの取材に応じた韓氏は、「とても光栄」と述べ、
「人間性の闇の部分から自身を救うために、人間であることを捨て、植物になりたいと願う主人公」を描いたこの小説について、
「この極端な物語を通じて、人間であるという難題を問いかけることができたと感じる」と語った。
AFPBB News


韓江(ハンガン、1970年11月27日〜) は、光州広域市で出生、大韓民国の小説家。
1970年韓国・光州生まれ。 延世大学国文学科を卒業。
1993年季刊「文学と社会」に詩が、翌年ソウル新聞の新春文芸に短編小説「赤い碇」が当選し文壇にデビューした。
デビュー後、地道に作品を書き下ろしており、現在ソウル芸術大学文芸創作学科で教授として在職中。
2005年審査委員7人の全員一致の評決で、彼女の作品《モンゴル飯店》が李箱文学賞に選ばれた。
李箱文学賞の歴史上1970年代生まれの作家として最初の受賞者であるハンガンは、
他の70年代生まれの文人とは違って、慎重な文章と奥ゆかしい世界認識で93年デビュー以来、
早くから'次世代の韓国文学の旗手の一人'と名指されてきた。
文学評論家 李御寧(イ・オリョン)は、この作品について、
"ハンガンの《モンゴル飯店》は奇妙な素材と独特の人物設定、
そして込み入った話の展開が変なふうに流れてしまう可能性もあったが、
レベルの高い象徴性と優れた作法により、小説を読む楽しさを教えてくれた"と評価している。
2016年5月、ハンガン《菜食主義者》にこの本を英語に翻訳したデボラ・スミスと共に、
国際ブッカー賞受賞者に選定された。


ブッカー賞とは:
英国のマンブッカー賞は、ノーベル文学賞やフランスのゴンクール賞と共に、世界3大文学賞と言われている。1969年に英総合物流流通会社であるブッカ―グループが制定して「ブッカー賞」と呼ばれていたが、2002年、金融投資会社であるマングループが後援することになり、今の名前に変わった。
この賞は、本賞と国際賞とに分けられている。
本賞は英国を始め英連邦作家を対象にしていたが、2014年から国籍とは関係なく英語で書かれ、英国で出版されたすべての文学書を対象にしている。韓江(ハン・ガン)が受賞した国際賞は2005年に制定され、現在は英語外の言語で書かれた小説と翻訳者に共同で授与している。昨年まで、国際賞は作家の作品世界全体を評価して隔年制で表彰してきたが、今年から作家の一つの作品を対象に、毎年表彰する形に変わっている。英語圏出版関係者の推薦を受けた小説を対象に、評論家や小説家、学者で構成された選定委員会が受賞作を選ぶ。国際賞候補にノミネートされるためには、非英語圏作品でも英語で翻訳され、英国で出版されなければならない。
(参考 東亜日報 http://japanese.donga.com/List/3/08/27/534299/1)

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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