天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

上杉鷹山(2)

米沢は、わがふるさと。
米沢といえば、やはりこの人、 「上杉鷹山」(うえすぎようざん)のことを
ご紹介するシリーズです。
わたしのオリジナルの文章ではなくて、
内村鑑三著『代表的日本人』という岩波文庫の本の中から、
抜粋してアップしたいと思います。
内村鑑三の文章のリズムも味わっていただければ幸いです。


上杉鷹山その(2)で、3月13日ブログ上杉鷹山(1) の続きです。


年若い鷹山は、この話を聞かされるたびに涙を流しました。
身分の高い家柄の子弟たちが、厳しく分け隔てて育てられ、
その結果おおむね部下に対する義務も、自分に力と富とが与えられているわけも、
忘れてしまっている時代です。

そんな世にあって、まことに珍しい感性の持ち主でありました。
中国の聖賢の、民をいたわること、わが体の傷のごとくせよとの言葉は、
鷹山の心の奥深くにまで強い印象を与えたようで、
これをよくわきまえ、終生を通じて民をみる心掛けとしました。

このように感性豊かな人間は、当然、宗教的な人間でもありました。
藩主になる日のこと、鷹山は次の誓文を、一生の守護神である春日明神に送って献げました。

  一、文武の修練は定めにしたがい怠りなく励むこと
  二、民の父母となるを第一のつとめとすること
  三、次の言葉を日夜忘れぬこと
         贅沢なければ危険なし
         施して浪費するなかれ
  四、言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼、を犯さぬようつとめること
   これを今後堅く守ることを約束する。
   もし怠るときには、ただちに神罰を下し、家運を永代にわたり消失されんことを。
                           以上
                           上杉弾正大弼
                           藤原治憲
  明和四(1767)年8月1日  


この人物が直面することになった仕事は、他人なら皆しりごむ内容でありました。
鷹山が養子として入った上杉藩は、太閤以前の世にあっては、全国でもっとも強大な藩でした。

広大で豊かな越後領をはじめ、日本の西岸に数ヶ所の領地を所有していました。
太閤の手で会津の地に移され、大幅に勢力をそがれました。
それでも、まだ百万石余の大藩で、藩主は全国の五大名の一人に数えられていました。

関が原の戦い(1600年)で反徳川方にまわったため、ふたたび藩領を移されました。
今度は、三十万石に減封され、中央から外れた米沢の地が与えられました。
その後、悪いことには、石高はさらに半分に減らされました。
  
                                                           ここまで上杉鷹山(2)。『代表的日本人』(内村鑑三)より

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韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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