天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

ピーター・ドラッカー "鄭周永会長は私が主張した企業家精神の劇的な事例"

ピーター・ドラッカー教授と鄭周永(ヂョン・ヂュヨン 元現代)会長の出会いについての朝鮮日報の記者の文章です。記者(筆者)は、ドラッカー教授の先見の明に感動しています。

♦ここから引用♦
ヒョンデの鄭会長はこの世の中の誰よりも忙しい人だったが、広い分野にわたって人々と交流するのに時間を割いた。特に世界的な碩学たちと会うのにはいくら仕事が忙しくても時間を作った。その中でも世界の碩学とされるピーター・ドラッカー教授と鄭会長との出会いは、彼の驚くべき慧眼と洞察力、そして鄭会長との率直な対話のため、特に記憶に生々しい。

ドラッカー教授は、『断絶の時代』、『経済人の終末』、『産業人の未来』、『新しい社会』、『経営の実際』など数多くの著書があり韓国国内でもつとに有名。特に理論と現実の間の乖離を鋭く分析することにより、経営学の泰斗という世界的な賛辞とともに経済社会分野の未来学者として名望の高いドラッカー教授が韓国を訪れたのは1977年10月だった。

ピーター・ドラッカー教授の韓国での日程は、その名声にふさわしくわずかの隙もなくびっしり詰まっていた。それだけ彼に会いたい人が多かったということだ。連日の講演会やマスコミのインタビューはもとより、彼から知恵を得ようとする国内企業家たちの面談要請も相次いだ。そのうちの何人が実際にドラッカー教授と会うことができたか今となっては記憶にないが、鄭周永(ヂョン・ヂュヨン)会長は、むしろドラッカー教授みずからが一番会いたいと考えていた韓国人の一人だった。

ドラッカー教授は、1977年10月12日、短い訪韓期間中に時間を作って鄭周永会長を訪ねてきた。1915年生まれの鄭周永会長は、当時62歳、還暦を迎えた年であり、ドラッカー教授は1909年生まれで70歳を目前に控えた歳だった。還暦を過ぎた韓国財界の巨木と世界経営学界の巨木がまるで長年の友人のように親しげに握手を交わし席に座った時間は、午後2時ごろ。晴れわたった透明な秋の空が窓の外に広がる中、世界的な碩学と普通学校出身の傑出した企業家の出会いは、そのように始まった。

"世界経営学の泰斗である教授と、このようにお会いできて本当に光栄です。"

鄭会長が先に挨拶をした。

"あ、いえ…。"

二人はいずれも満面に笑みを浮かべたまま、わけ隔てなく対話を交わした。

二人の話は、通訳をする筆者にも胸ときめくものだった。鄭会長も達弁であったが、ドラッカー教授もそれに負けないくらい口達者だった。ただ差があったとすれば、鄭会長の言葉が非常に速い半面、ドラッカー教授は彼に比べて少し遅い方だった。

"今、鄭会長が私を経営学の泰斗と呼んでくださりましたが、実に過分なお言葉です。むしろ鄭会長とお会いでき、恥ずかしい限りです。まず私は、第2次世界大戦以降、世界各国の経済成長モデルを分析し、その未来を展望しましたが、韓国のように長い植民地被支配と、第2次大戦および6・25(ユギオ、朝鮮戦争)という二つの大きな戦争を戦い、極度の貧困と劣悪な成長環境下でも急成長した独特なモデルについては、十分に知らなかったことが恥ずかしいです。また、このような戦後の荒廃した中で「漢江の奇跡」を成し遂げた韓国経済を主導した鄭周永会長のような非常に独特で偉大な企業経営事例についても、やはり研究をしていませんでした。私がこれを恥ずかしく思う理由は、まさに鄭会長が発揮されている企業家精神が私が主唱して教えてきた核心なわけですが、これを実践した最も劇的な鄭会長の事例についてよく知らなかったという点です。"

"そのように言っていただき、むしろ私のほうこそ恥ずかしいです。ただ私がしたことといえば、後先省みずただ懸命に企業をひっぱってきたことだけです。それが韓国経済の発展に多少なりとも役立ったとお伺いし、本当にありがたい次第です。しかしドラッカー教授は、既に経営人だけでなく一般の方々も広く知っているほど有名な経営学の泰斗じゃないですか。たとえ事業をする人や経営学を勉強する人でなくても、未来について少しでも関心がある人ならば、全世界の誰もが教授の話に耳を傾けます。私はただ先生のその驚くべき洞察力と未来予測に驚くだけです。"

当時既に京釜(キョンブ)高速道路建設の主役であり、かつ中東進出、現代造船の設立、韓国初の独自自動車モデルの開発などで国内外に広く知られている鄭周永会長と、世界経済の懸案や流れに卓見を持つドラッカー教授との出会いは、それだけでも格別なものだった。ドラッカー教授の話が続く。

"ハハハ、身に余るお言葉です。ここで私、正直に申しますと、私が鄭会長様ほどお金を稼ぐことができたなら、たぶん、経営学教授などしてないですぐ事業をしたはずです。いまもってまだ私が経営学教授に止まっているのは、実際にその度胸および自信がなかったからです。私は一介の理論家であるだけです。私が韓国経済と鄭周永会長にお目にかかって悟りえたのは、経営は学識と頭だけでやるものではないということです。理論と頭は極めて一部分に過ぎないと思います。企業家の精神は、頭ではなく胸と気質から沸き出るもののようです。理論ではなく生まれつきの天性から出てくるという話です。鄭会長はその点で、天性を持って生まれた方です。多くの不確実性と危険要素、難関という霧におおわれた遠い未来の事業機会を鋭い四知力を持って看破し、これを強力に実践するリーダーシップと行動力を、鄭会長は理論以前に先天的にもって生まれもった方です。私は一介の理論家にすぎないです。"

同日、ドラッカー教授が言った経営理論と実践の問題は後日、本人の著書『資本主義以降の社会』でさらに言及している。彼はこの本を通じて「知識労働者」という用語を使用し、社会的に広く認められる大学教授や学者などの理論的な知識人と、実践的な知識人の違いを区別している。称賛なのか分析なのか分からないようなドラッカー教授の話が終わるやいなや、鄭会長は直ちに冗談で応酬した。

"それならドラッカー教授、私のように企業をになってみたいととおっしゃいましたが、私たち二人を合わせるたらどうなりますか? 教授の頭と私の気質が出会えば、世界的な企業が誕生するんじゃないでしょうか。"

同席した人たちの笑い声が収まるのを待って、鄭会長が多少真剣な表情で言葉をついだ。

"さっき先生が韓国経済についてまだうまく分析をしなかったとおっしゃいましたが、今回の機会に韓国のいたるところをよく見ていただき、良いご忠告をたくさんして与えてください。実は私たちは今まで前だけ見て走ってきました。後ろを振り返る余裕がなかったんです。しかし、身体をすくめたカエルがもっと遠くまで飛ぶという韓国の諺があります。今、先生のような世界的な碩学とお会いしてみると、わが韓国経済と企業の現実を今一度振り返らなければならないという思いがしてくるんです。"

"はい。韓国経済と鄭会長については、深く研究してみる考えで韓国を見て回っています。韓国は今まで私が接することができなかった非常に独特な経済成長の事例であるため、私の研究におきましてもも助けになるところ大です。"

それからドラッカー教授はしばらく沈黙した。何かもっと話したいことはあるが、言葉を大切にするように迷った末にドラッカー教授が再び口を開いた。

"事実私の目で直接確認した韓国の経済成長は本当にまぶしいほどです。その劣悪な環境を乗り越え、今日の発展を成し遂げたのは、いくら褒めてもすぎることはありません。しかし、一つの懸念もないというわけではないものと思います。その第一は、まさに韓国経済があまりにも目前の現実に重点を置いているのではないのかということです。すぐに現れる現実も重要だが、長期的な未来を準備するのもそれに劣らず重要です。そしてもう一つ申し上げますと、それはまさに韓国の労使関係です。"

7年前の1970年11月13日、清渓川(チョンゲチョン)平和市場の労働者だったヂョン・テイルの焼身自殺以降、韓国においても労働運動の炎が燃えだした。韓国の企業家たちにとって労働問題は、多くの場合、物を作って売ることそのものよりもっと厳しい課題だった。しかしドラッカー教授は、いったん話を切り出すと、自分の見解をじっくり、しかし、断固として率直に表明した。

"短い期間ではありますが私が韓国経済界を見回しますと、韓国の労使関係はほぼ従属的な情緒と理解のレベルにとどまっているようです。しかし、もう変わらなければならないと思います。労働者を経営のパートナーとして認識しなければならないという話です。労働者も企業家もいずれも厳しい状況で、今まで韓国経済をうまくリードしてきましたが、パートナーとしての労使関係を新たに確立しなければある時点で大きな問題に直面することになるかもしれない。韓国も今は、より成熟した資本主義と産業社会に進入する過程にあります。これに先立ってこの過程の試練を経た先進国の事例を参考にしなければならないと思います。"

"はい。かしこまりました。"

鄭会長としても何かもっと話したいことがあるようだったが、結局、何も言わなかった。そして、あれこれの話をしばらく続けたあと、鄭会長とドラッカー教授の出会いは終止符が結ばれた。

鄭会長とドラッカー教授が会った2年後、韓国は労使問題がきっかけとなるいわゆる「YH事件」を起爆剤として「ビルマ事件」、10・26の宮井洞の銃声につながる激変の渦に巻き込まれことになる。そしてこのような労使問題の葛藤は、その後新軍部統治下5~6年間の抑圧期を経て、1986年と1987年にいたり、また爆発的な噴出事態へとつながった。ドラッカー教授もすでに故人となったが、彼の予知力を改めて思い知らされる次第である


出典 朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/11/04/2014110401479.html?csmain

ここまで引用

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なんのいわれもないスポンサーサイトなるもの

ブログ管理人です。
最近になって突然「スポンサーサイト」なるものが
画面に生じましてご迷惑をおかけしております。
お金をもらっているわけでもなく、
わたしに何のことわりもなく書かれてしまっているんです。
fc2をお使いの皆さんに質問なんですが、
これを消し去るわざは、あるでしょうか?
あったらぜひ教えてください。;;;;;;;;

わたくしは現代(ヒョンデ)と無関係の人間ですが、
鄭会長の人間の大きさに惚れ込んでいて
ときおり登場します^^。
これからもまたたまに登場するかと思います。

ゾーセン

鄭会長の話がこのブログによく登場しますね。
現代を作った人ですが、度量の大きな人だったみたいですね。
僕も現代と取引のある会社で働いているせいか、
現代には関心があります。
また鄭会長の話、あったら書いてください。

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韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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