天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

韓国の肥やしになれ

ドイツ出身の神父と修道女の方が、
韓国での奉仕活動が認められ、ドイツ大使館において独逸十字勲章を受賞したという話題です。
愛に満ちた人々は、世界のあらゆるとことにいらっしゃいますね。
心あたたまる内容だったので、ご紹介します。

♦ここから引用♦           1018하신부와수도녀1

ソウル城北洞(ソンブクドン)の在韓ドイツ大使館邸で10月17日に特別な勲章の授与式が行われた。勲章を受賞した人は、ドイツ出身のアントン・トゥラウノ(92・韓国名、河アントニオ・)神父とマリア・ベルティルデ修道女(77)。50年間、韓国で疎外された人々を助けてきた功労が認められ、同日、ドイツ十字功労勲章を受賞した。ドイツ政府が自国の発展や対外広報などに大きな功労をたてた民間人に授与する勲章だ。

韓国で人生の大半を送った神父とベルティルテ修道女は、お互いに話す時も母国語の代わりに韓国語を用いる。90歳を超えた神父の韓国語には、ドイツ語のイントネーションと釜山(プサン)方言が混ざっていた。

二人にとって韓国は未知の地だった。
ベルティルテ修道女は、"知ってることばは、'静かな朝の国'  という表現だけだった" と語った。
彼らを韓国に導いたのは戦争だった。
河神父は "第2次世界大戦の時、ドイツ軍通信兵して参戦し、ソ連軍に捕まって4年間捕虜生活をした"、"分断された地で、平和の使徒になりたかった" と語る。

河神父とベルティルテ修道女はそれぞれ1958年、1967年に韓国の地を踏んだ。河神父は "肥料がたくさん詰まれた貨物船に7週間乗って釜山港に到着した"、"韓国のための肥料になれという神の思し召しだと信じた"  と言う。河の名前から由来した自分の本来の苗字 'トゥラウノ' に合わせて '河' を自分の苗字とした。一番最初に覚えた韓国語が 'アイゴー、ヂュッケッタ(ほんと、死にそう)' だったという。それくらい大変な時代だった。戦争孤児、バスの車掌、貧民や障害者を支援し、彼らとともに苦痛に耐えた。河神父は、戦後バラックがうっそうとしていた 'ヂョッキ(釜山市南区戡蛮洞一帯)'に住み着いた。"ヂョッキは、逆に読めば'奇跡'でした(韓国語ではそうなる)。 いつも信者たちに '苦しくても奇跡が起きるように努力しよう'と言ってたんです" 。

米軍が援助したトウモロコシや小麦粉を家々に配ることから始めた。障害がある戦争孤児7人もの司祭館に連れてきて、わが子のように育てた。人びとは、このような姿に "天使が歩く" と表現した。私財をはたいてもとうていお金が足りなかった。河神父とベルティルテ修道女は、ドイツの知人たちに助けを要請する手紙を数百通書いた。母国を回りながら募金活動にも乗り出した。一人息子を異郷の地に送ることになった神父の母親は、'良いことに使って' と全財産を処分して送ってくれた。おかげで河神父は、教育院 '愛の家'、韓独女子実業学校(現釜山文化女子高)、無料助産院を、ベルティルテ修道女は、釜山初の無料幼稚園を立てることができた。これらの施設を訪れた韓国人は数万人に上る。

交通事故で片足が少し不自由な河神父は、1974年から毎年5月に臨津閣で統一を念願する祈祷会を開いている。臨津閣(イムジンガク)近くに南北統一を念願する聖堂も建てている。"私の最後の願いは、北朝鮮の人々を助けることです。その願いが叶うまで、この地に住みたいと思います"。

河下神父は叙勲式の終わりに受賞の感想に代えたいとしながら、' ウリエ ソウォヌン トンギル(私たちの願いは統一) ' を歌い始めた。彼が " 私たち~の " まで歌うと、大使館邸に集まった50人余り全員が、彼に続いて統一の歌を合唱した。

出典 朝鮮日報;http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/10/18/2014101800099.html?csmain

♦ここまで引用♦

本文中、ベルティルテ修道女のことばとして、知ってることばは「静かな朝の国」という表現、という部分がありますが、韓国を象徴することばとしてこの「コヨハン アッチメ ナラ(静かな朝の国)」というフレーズがあります。日本の皆さんはご存知かどうかわかりませんが、77歳になる修道女のベルティルテさんは、昔ドイツから韓国へやってくるときに、この表現を知っていたということですから、韓国に関してかなり勉強してきたんだな、ということが察せられます。

ちなみに本文中、「河アントニオ」は、「ハ・アントニオ」という発音となります。この河神父が最初に覚えた韓国語が「アイゴー ヂュッケッタ」(まったく死にそう)という表現というのがおもしろいです。これはいまでも韓国の人がよく使う表現です。当時はことばそのものの意味で「死にそう」だったんだと思います。今は、冗談的にあるいは軽いノリで使いますね。日本語でも「死にそう」は、よく使いますよね。意味を考えるとかなりシリアスですが、ことばだけのノリで使っているわけです。

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韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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