天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

ウェルエイジング(well-aging)

「10月の最後の夜」という歌が韓国にはあります。普通の歌謡曲です。
「シーウォル マジマク バム」という発音になります。
10月が終われば11月。
で、「11月の最後の夜」となれば寒くてどうしようもありません。
また、「9月の最後の夜」、といえばどうでしょう。
「8月の最後の夜」でも、「7月の最後の夜」でも、あまり変わりないような気がします。
つまり「10月」の最後の夜ということで、なにか独特の雰囲気が出てくるわけなんですが、
この感覚はわたしだけのことなんでしょうか。

「10月の最後の夜」にふさわしい、思索するひととき。
「死」について、また「生」について、あれこれ思索してみてはいかがでしょうか。

♦ここから引用♦

韓国にはまだ定着していないが、西洋には'死の学'という学問がある。
人生と死の意味について考え、死を尊厳ある態度で迎える対応方法を教える学問である。
死への準備教育は、米国や欧州など先進国では40年余り前から始まっており歴史が長い。
死に対する哲学的議論が活発で、高齢化によって老人が増え、自然にそうなったもののようだ。
'死の学'の学者フェイフェル(Feifel)の'死の意味(The Meaning of Death)'や
キューブラー=ロス(kübler-Ross)の'死と死んでいくこと(On Death and Dying)'という本が発刊され、
当時社会的に大きな反響を呼び起こしたことも「死の教育」の拡散に貢献した。

米国と欧州では1960年代から、日本では1970年代後半から死の教育が普及し始めており、
現在、死への準備教育が小・中・高校と大学の正規のカリキュラムに含まれているほど一般化している。
死の教育がこのように広がり、'死の学'という学問分野まで樹立された。

反面、韓国では西江(ソガン)大学や翰林(ハンリム)大学など、少数の大学が大学生たちのための教養科目として
死の教育講座を開設運営しているだけだ。

幸い、最近になって一部の大学病院と社会福祉館などが、福祉サービスと患者教育の一環として死への準備教育を実施し始め、一般人にも勉強の機会が生じている。'第2の人生' の目標を探せず放浪する引退生活者に、筆者は死への準備教育を一度受けてみるよう強く勧めたい。
死の教育を通じて人生の意味を改めて悟り、生活の満足度が上昇して死に対する不安が低くなる效果があるというのが学者たちの一致した意見だ。

結論的に言って、死に対する考え方や勉強は、引退後の生活の目的を探す重要な手がかりとなる。このような点で幸せな引退設計の最後は、'死に対する計画'と言える。このように、どう死ぬかに対する幸せな最期(well-dying)の計画がないなら、どう生きるかについてのウェルエイジング(well-aging、上品に老いていくこと)も完成されないという意味だ。

先日、韓国国内で上映された映画のうち、'エンディングノート(ending note)'という日本のドキュメンタリー映画があった。映画の中で、40年余りにわたるサラリーマン人生を終えて退職した男性の主人公は、引退をきっかけに第2の人生を準備しようとする。しかし偶然に受けた健康診断で癌の宣告を受けることになり衝撃をうける。その時彼は残り少ない人生の最後の時間、家族のために何ができるか悩み、自分のエンディングノートを書く場面が出てくる。

この映画の上映以降、日本ではエンディングノートを書くのが大きく流行したが、エンディングノートというのは、一言で言って死ぬ直前に自分がしなければならない事を書いたノートをいう。家族たちに良い思い出を残すために、何をして、これからも長い間生きていかねばならない家族の財政的な裏づけをどうするか。また、友達とはどのように別れるかを書いてみるのだ。このような点でエンディングノートは死ぬ前にやりたいことのリストを書いて見る'バケットリスト(bucket list)'とも似ている。

エンディングノートは遺言状とは違って、法的に何の拘束力もない。日記を書くように、軽く作成し、自分の老後と死について考えてみるのがエンディングノートの目的だ。エンディングノートとバケットリストの作成は、自分の死を後悔なしに迎えられるように手を差し伸べ、家族たちに良い思い出を残すようにしてくれるという点で、人生の終わりで一度やってみるのも無意味ではないだろう。

ホスピスの専門医である大津秀一氏は4年前、病床で死んでいく患者さんたちと最後の対話を交わしながら、彼らが、死の淵で残した言葉を整理して本として発行した。日本と韓国で100万冊以上が売れたこのベストセラーの名前は『死ぬときに後悔すること25』だ。

本当にしたいことをしながら夢をつかもうと努力しなかったこと、
普段余暇を謳歌しながら行って見たい所に旅行に行っていなかったこと、
愛する家族や友達に自分の心を文章や言葉で表現していなかったこと、
もっと謙虚に人生を送っていなかったこと、
健康をもっと大事にしていたなら、
神の教えをあらかじめ知っていたなら…などなど。

ここに概観したように、末期患者たちが語る人生の後悔の数々は、我々が直ちに実践に移すことができる小さな行動だ。死ぬときにこのような後悔をしない生を生きるのが、まさに'ウェルエイジング(well-aging)'ではないかと思う。死を目前にした患者たちが吐露した '後悔する25の過ち' は以下の通りである。

ㆍ1番目の後悔: 愛する人に感謝していたら
ㆍ2番目の後悔: 本当にしたい仕事をしていたら
ㆍ3番目の後悔: 少しだけもっと謙遜だったら
ㆍ4番目の後悔: 親切を施していたなら
ㆍ5番目の後悔: 悪いことをしなければ
ㆍ6番目の後悔: 夢を見てその夢をつかもうと努力していたら
ㆍ7番目の後悔: 感情に振り回されなかったら
ㆍ8番目の後悔: 会いたい人を会ったら
ㆍ9番目の後悔: 記憶に残る恋愛をしたなら
ㆍ10番目後悔: 死ぬほど仕事ばかりしなかったら

ㆍ11番目の後悔: 行きたいところに旅に出ていたら
ㆍ12番目後悔: 私が生きた証を残していたら・・・
ㆍ13番目の後悔: 生と死の意味を真剣に考えたら
ㆍ14回目の後悔: 故郷を訪ねてみたら
ㆍ15番目の後悔: おいしい料理をたくさん味わっていたら
ㆍ16番目の後悔: 結婚をしていたら
ㆍ17番目の後悔: 子どもがあったら
ㆍ18番目の後悔: 子どもを婚姻させておいたら…
ㆍ19番目の後悔: 遺産を予め念頭に置いておいたら…
ㆍ20番目の後悔: 自分の葬式を考えていたら
ㆍ21番目の後悔: 健康を大事にしていたら
ㆍ22番目の後悔: もっと早くタバコをやめたら
ㆍ23番目の後悔: 健康な時最後の意思を明らかにしておいたら
ㆍ24番目の後悔: 治療の意味を真剣に考えたら
ㆍ25番目の後悔: 神の教えを知っていたら

人は死ぬときに最も率直になって真実な心を持つ。
病室で最後の人生を整理しするがん患者らが、心の中から切々と吐露する人生の心残りは、我々に有効な人生の警告だ。
生きている生前の今、心に留めてみてはいかがだろうか?
特に人生の後半戦に突入した人たちに末期患者たちが語る人生の警告は、
'エンディングノート'を整理することにも大きく役立つことになろう。

典拠:http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/10/12/2014101200939.html?csmain
ソン・ヤンミン教授が朝鮮日報に「100歳時代、引退大辞典」というコラムを連載していて
上はその23回目の記事です。

♦ここまで引用♦

光奈 広大さんのすばらしいブログ(自由人のカルマ・ヨガ ノート)の2014.09.23号(と10.15号)に似たテーマですが、もっと深い内容があります。
アドレス:
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/page-1.html 究極のリスト
ご参考まで。

筆者が光奈広大さんのブログ(2014年9月23日号)で非常に心に残ったのは、
『自分の心を守りましょう』(伊勢白山道著)という本にある内容としながら、
死ぬ前ではなくて「死後」の話――として紹介している内容です。

1.死んでみて、誰も悪くなかったことが分かった
2.人生で、あんなくよくよ悩まなければよかった
3.他人が自分のことをどう思うかなんて、気にしなければよかった
4.もっと他人に親切にして、励ますだけでもすればよかった
5.生きている時に、あんなに心配しなければよかった
6.他人の言葉より、もっと自分の思いを信じればよかった
7.一瞬一瞬をもっと大切に生きればよかった
8.他人と言い争いなどしなければよかった
9.もっと他人のために、何でも尽くせばよかった
10.もっと自分自身を大切に扱えばよかった

光奈広大さんのことばで簡潔にまとめられた10項目は、生きるうえでの指針として大きな力を持つものと思えます。2,3,4,5 あたりは、わたくしにはジーンときました。胃の腑の奥までズシーンと響きました。1の「死んでみて、誰も悪くなかったことが分かった」は、この境地になるまでまだまだだな、と感じました


ところで、本文中にある「エンディングノート」。
日本で2011年10月1日に封切となった映画のようですね。
映画のオフィシャルサイトで評を見てみると、
「観た見た! 泣いてるじぶんが笑いだし、笑うじぶんがしゃくりあげる。いやぁ、21世紀のすばらしい落語を呼吸した思い、いろいろ言わずに、100点をあげたい。」とか「自分の最期を見る思い、私もまたこのようにハッピーに死にたい。いい娘だなあ。」といったコメントがあります。自分の父の最期をしっかりと見つめる娘さんのパワーがかなりすごいようです。

終活という造語が使われてますが、なかなか笑わせますね、このことば。
ヤングは就活、ロートルは終活ですか。
蓋し名言、含蓄のあることばだと思います。
ウェルエイジング(よりよく生きる)のためにはよき終活が必須です。

次のことばできょうのブログを締めたいと思います。
「生とともに死はあり、死とともに生はある」。。。(同じことを誰かさんが言っていたらスイマセン)。



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おばんです

「自分で言うのもなんですが、過去は精一杯、生きてきたつもりです」なんて、バーソさん、泣かせますよね^^。
バーソさんは、「自分で言うのもなんですが」と言わなくても、きっちりと生きてこられた方だと思います。

現在は、ずいぶん ゆるやかに、狭い世界で生きています、とありますが、「狭い世界」ですか。
もし可能ならばこの「狭い世界」ってどういう意味なのか、
ご教示いただければありがたいんですが、、、。

ことばの魔術師「バーソ」さんですが、
こういう生と死といったシビアなテーマでも書いて
らっしゃるんですか。(はじめて知りました。スイマセン)
今度、注意してみさせていただきます。^^

こんにちは

私も、同様のテーマで何度かブログの記事を書いたことがあります。
人は死ぬときに、人生で しなかったことを悔やむ場合が多いようですね。
しなかったのは、ひとの思惑や世間的な通念を気にしたせいもあるようです。

精神世界には、たとえ人がどんな人生を歩んできたとしても、
人生に失敗はない、どんな人生でも完璧なのだ、という考えがあります。
人が(宗教的な人格神ではない)神の子(分身)であれば、そう考えるほうが
辻褄が合いますし、そう考えれば、死に際して人生を悔やむこともなくなります。

今まで出会ったイヤなヤツも、じつは自分にとっては良い教師だったと思えれば、
頭の中から過去の記憶という亡霊が取れて、感情的に平安になれます。
結局は、すべての出会いや出来事は必然であった、ということなんでしょうね。

私個人は、自分で言うのもなんですが、過去は精一杯、生きてきたつもりです。
現在は、ずいぶん ゆるやかに、狭い世界で生きています。
こういう人生でよかったのだろう、面白い人生を過ごせた、と今は思っています。
ですが、だからといって、まだ命は終わらせたくないですね。(笑)

東海の磯さん。

いつもありがとうございます。
「10月最後の夜」という歌、見つかりましたか。
http://www.youtube.com/watch?v=shxMYxzZ8UM

参考まで。^^

韓国にあるという「10月の最後の夜」という歌、
なかなかのタイトルですね。
さっそくネットで探して聞いてみます。

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Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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