天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

死を前に平穏であるためには


朝鮮日報にソン・ヤンミン教授の「100歳時代、引退大辞典」というシリーズものがあります。
その中から今回は「死を前に平穏であるためには」という文章をお届けします。
ソン・ヤンミンさんは、嘉泉大学保健大学院院長です。

♦ここから引用♦

"彼に死が迫ったのではなく、彼が死を成就したのだ。"

数年前、世界の人の哀悼の中この世を去ったアップル(Apple)の創立者、
スティーブ・ジョブズ(1955∼2011年)の葬式で彼の妹であり小説家でもあるモナ・シンプソンが
詠んだ追悼の辞の一部分だ。
息をひきとる前日、スティーブ・ジョブズは子どもと妻ローレンを順に呼び、長い間眺めた後、
短い感嘆詞を言って目を閉じたという。
膵膓癌で死亡した彼は死ぬ直前に、自身の自叙伝を出版し、日頃から構想してきた
新型IT機器を相次いで発売するなど、自分の死を準備してきた。

彼は2005年、膵膓癌の治療を受けつつ米国スタンフォード大学の卒業式で行った有名な
演説文はネットでも見られ、韓国語でも翻訳されている。

"すぐにも死ぬだろうという考えは、人生において重要な選択をするとき、大きな助けになる。
人びとの期待、自尊心、失敗に対する恐怖などほとんどすべてのものは死の前で無意味になり、
本当に重要なことだけが残るからだ。
死ぬという事実を受け入れるなら、何か失うことがあるという考えの落し穴を避けることができる。
あなたは失うものがないのだから、心の命ずる声に従わない理由など何もない。"

妹が追悼の辞で 'お兄さんが死を成就した' と表現したのは彼のこのような人生の姿勢のためかもしれない。

私たち人間は生まれた瞬間から、全て死に向かっての旅程にある、、、結局いつかは死に直面することになる。そのため、ドイツの実存主義哲学者ハイデッガー(Heidegger)はかつて
"人間は、生まれてすぐに死に向かっていく存在(Sein zum Tode)"と語った。
また、哲学者キム・ヨルギュは"死は人生とともに育つ"と述べ、
宗教学者の鄭鎮弘(ヂョン・ジンホン)は "死は人生が到達した最後の生活形態" とした。
生と死がコインの表と裏のように、結局、一つという話だ。

それにもかかわらず、人々は死を恐れ考えることをはばかっている。
死の科学研究の先駆者であるキューブラー=ロス(kübler-Ross)は、
死を前にした患者500人余りをインタビューした上で、
人々が、死に接した時、
'否定' と '孤立' → '怒り' → '妥協' → '憂鬱' → '収容' など5段階の心理的変化を経験することになる
と明らかにした。

死が迫ったことについて、初めは否定し、憤慨するが、一定時間が過ぎた後は、自分の運命と妥協して憂鬱だが、結局、死を受け入れる過程を踏むというわけだ。

人間の生が死に順応するしかない運命なら、もう少し積極的な姿勢で死を迎えるのはどうだろうか?
死の不安心理を克服するためには、死と生が一つという事実を認識することが必要である。
そしてどんなことが、美しい老年であり、またどのように死ぬのが美しい死かを自覚しなければならない。

このような内的省察を通じて、私たちは生と死の意味についてさらに真摯な姿勢が持てるようになり、
今日我々が暮らすこの地(地球)の現実を前にしてももう少し充実した態度が取れるのではないか。
これが最近の韓国の新しい話題になっている幸せな最期(well-dying、上手に死ぬ)の概念だ。

英国メディカル・ジャーナル紙(BMJ)は上品な '良い死(good death)' について、
'どこで、誰と、どう生活を終了するかに対して自主的に選択することができること' と定義している。

自分の死の方式を自ら選択するというのは、死に 'やられる' より、堂々と死を迎えるという意味を持つ。
幸せな最期に対する認識が必要なのは、韓国人の死の質(quality of death)が全般的に低い水準にとどまっているからだ。
先日、英国エコノミスト研究所が40カ国の '死の質' を評価した資料によると、韓国は32位となり下位圏に甘んじている。

死に対する議論がまだ社会的にタブー視されていて、韓国の高齢者の70%が病院で治療を受けて死亡するという理由などでこのような結果が出たもの。
韓国が名実共に先進国になるには、韓国社会の死の文化が一段階レベルアップしならなければならない。

生前遺言状や事前医療意向書などを書いておいて自分の死にあらかじめ備えることも
幸せな最期に必要な要素だ。

死を意識するとき、人々は2つの姿を見せる。

第1グループはなんとしてでも死を避けようと努力する集団だ。
驚いたことに多くの人々が死に瀕してもまるで辞世を避けることができるかのように行動する。
ある人は名医を探して数多くの病院を歩き回り、またある人は万病に効く薬を求めてさまよっ
たり、ある人は急に宗教にすがりつくことになる。

第二グループは死を生のまた別の形態として淡々と受け入れる集団だ。
彼らはむしろ自分の死にあって家族があまり傷つくことのないよう配慮し、自分が生きてくるなか
で積みあげたものを他の人々に与えようと努力する。美しい死、幸せな最期を準備する人々だ。

我々が希望する幸せな最期は、「尊厳死」とも一脈相通じるものだ。死は誰も避けられない。
それゆえ昔の賢人たちは "死が目前に迫っているが如く毎日を生きよ" と言い、
あるいは死を称して '我々の肩の上に来て止まった鳥' と表現した。

死は避けられないものと悟り、残りの人生を一日一日充実して生きることになるなら、
現在の生活はより意味あるものと変わることになるだろう。

ソース:朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/10/05/2014100501203.html?csmain

♦ここまで引用♦

死は誰も避けられないことは頭ではわかっていてもなかなか心の芯までわかる、という段階になるのは難しいことです。
でも、この文章にあるように、死を前にしてじたばたしなくてもいいように
普段から心構えだけでも整えておきたいものです。
死を前にしたときの態度は、人によって千差万別ですよね。
誰でも慌てふためくものですが、その後の心の持ち方、態度が重要なんだと思います。
慌てることはあってもすぐ気持ちを取り直し、落ち着いて行動できればいいですよね。

これをお読みになっている皆さんはお元気のことと察します。
日々を生きるに、武蔵のような覚悟で生きられれば、最高ってことですよね。
ここまで読んでいただいた皆さんのご健闘(ご健康)をお祈りいたします。



スポンサーサイト

コメント

좋은글이네요.





コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://cheonan.blog.fc2.com/tb.php/187-e3896ad2

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

韓流 (90)
学生エッセイ (79)
ランの窓 (2)
心と体 (12)
韓国のジョーク (4)
ふるさと (52)
詩 (12)
釜山さむらい (6)
数学 (9)
サッカー (11)
筆者のエッセイ (28)
未分類 (30)

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

検索メニュー

RSS リンクの表示

リンク

이 블로그 링크에 추가하기

ブロとも申請フォーム

블로그친구신청

FC2Ad

Template by たけやん

動画ランキング