天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

お越しいただけますか?_ 学生エッセイ0006

きょうはyjhさんの作品です。ちょっと長いですが読みごたえがあるかと思います。
途中、日本人は自分を基準にして話す、という部分があります。
これはたとえば、「彼に行ってもらう」というように「_てもらう」という表現があります。
これは、文には登場してませんが、「わたしは」という主語が大前提として存在しているわけです。
私という主体が中心に据えられていて、
彼が私の代りに行ってくれるとき、「彼に行ってもらいました」と言うわけです。
このように「_てもらう」という表現は、特にことわりがなにもなくとも、
自然と「私」が中心に据えられているんですね。このことをこの学生は指摘しているもののようです。
それではお楽しみ下さい。

<お越しいただけますか?>
日本に行ったばかりのときの話だ。当時の会話力は小学生並みにもならなくて、
敬語や日本式の表現はほぼ聞き取れないと言っても過言ではないほどだった。
ここで私が言う日本式の表現は‘来てもらう’なんかのもらうが付く表現だ。

ちょっと遅いお昼を食べに行ったときの話だ。
ご飯のあとは映画だったので簡単に食べようとして店に入った。

相手はおそばで私は定食を頼んだけど、その店は湯豆腐を売っていたところで、
私は湯豆腐を食べたことがなかった。それで悩みに悩んで追加で湯豆腐を頼んだ。
そうすると、店員さんが来て「こちらのテーブルお越しいただけませんか?」と言った。
二人席で座っていたけど、4人席を指しながらそう言った。

一緒に行った人が日本人だったので、すぐ席を移ったが移りながらも私は意味が分からなくてぼうっとしていた。
そう!私は「敬語+日本式表現」を聞き取るためには時間がかかるのだ。
それだけではない。
敬語の中でも形が完全に変わる表現も聞き取れないのだ。
特に上に書いたように、「来る」が「越す」に変わったり「もらう」が「いただく」に変わったりする表現が
代表的だ。

日本には自分のことを下げる表現がある。
それを謙譲語と言う。
日本みたいに自分を下げる表現が少ない韓国では珍しい表現だ。

日本の場合、幼い頃から他人に迷惑をかけないように教える。
迷惑をかけないからか、日本は敬語も発達したみたい。

韓国も「チョンデンマル」と言う敬語はあるがそれは相手を高める表現だ。
日本の場合、自分を下げて相手を上げる謙譲語を使うから自分より相手のことを重んじると思った。
しかし、相手を重んずる前にまず、自分を基準として話すのだと思う。
謙譲語と良く使われる「_てもらう」と言う表現がその理由だ。

韓国では日本が個人主義だというのもこれのせいではないかと思う。
自分のことを基準にするから、団体の融和を先にする韓国から見ると(日本は)個人主義だと思われるのかもしれない。

実はどっちがいいか悪いかもないんだけど。

私が感じた日本の個人主義は韓国でみんな言う激しいものではなかった。
韓国で日本は自分のことしか分からないとか他人に興味がないと言うが、それは当たり前なことかもしれない。
はじめて会う人や自分と関係ない人に興味が出るのはなかなか難しいと思う。

しかし、世界における日本人はシャイだけど、やさしいという評判だ。
一方韓国は韓国なりに情がある国だという評判だ。

そう見てみると、言葉と言うものはその国の性格をチラリと見ることができるのではないかと思う。
特に、日本の「_てもらう」と言う表現は、日本を理解するポイントになるのではないかとも思う。


<한국어 원문>
일본에 간 지 얼마 되지 않았을 때의 이야기다. 그 때의 회화 능력은 초등학생 정도도 되지 않아,
경어나 일본식의 표현은 거의 알아듣지 못했다고 해도 과언이 아닐 정도였다.
여기서 내가 말하는 일본식 표현은 ‘오게 하다(직: 와 받다)’ 등의 ‘받다’가 붙는 표현이다.
아무튼, 조금 늦은 점심을 먹으러 갔을 때의 이야기다. 밥을 먹고서는 영화였기 때문에,
간단하게 먹으려고 가게에 들어갔다. 상대는 소바를, 나는 정식을 시켰지만
그 가게는 유도후 (두부를 작은 냄비에서 물을 끓여 건져먹는 요리)를 파는 가게였다.
나는 유도후를 먹어본 적이 없었다. 그래서 고민에 고민을 하여 추가로 유도후를 시켰다.
그렇게 하고 나니, 점원이 와서 “이쪽의 테이블로 오시면 안될까요?”라고 말했다.
2인석에 앉아있었는데, 4인석을 가리키며 그렇게 말했다. 같이 간 사람이 일본인이었기에,
바로 자리를 옮겼지만 옮기면서 나는 의미를 몰라서 멍하게 있었다.
그래! 나는 ‘경어+일본식표현’을 알아듣기에는 시간이 걸린다. 그것뿐 만이 아니다.
경어 중에서 형태가 완전히 변하는 표현도 알아듣지 못 한다.
특히, 위에 써있듯이 오다가 오시다로 바뀌거나 받다가 ‘받다(한국에는 없는 표현)’로
바뀌거나 하는 표현이 대표적이다.
일본에는 자신을 낮추는 표현이 있다. 그것을 겸양어라고 한다.
일본처럼 자신을 낮추는 표현이 적은 한국에서는 드문 표현이다.
일본의 경우는 어렸을 때부터 남에게 폐를 끼치지 않게 가르친다.
폐를 끼치지 않기 때문일까, 일본은 경어 역시 발달한 것 같다.
한국 역시, 존댓말이라는 경어가 있지만 그것은 상대를 높이는 말이다.
자신을 낮추며 남을 올리는 겸양어를 쓰기 때문에, 자신보다 남을 중요시 한다고 생각했다.
하지만, 남을 중요시 하기 전에 자신을 기준으로 말을 한다.
겸양어와 자주 사용하는 ‘받다’라는 표현이 그 이유다.
한국에서는 일본이 개인주의라고 하는데, 이것이 그 이유인 것 같다.
자신을 기준으로 하기 때문에 단체의 융화를 먼저 생각하는 한국에서는 개인주의로 보여질 수 도 있을지 모른다.
사실은 어디가 좋고 나쁜 것은 없는데 말이다.
내가 느낀 일본의 개인주의는 한국에서 모두 말하는 심한 정도는 아니었다.
한국에서 일본은 자기밖에 모른다 라던가 다른 사람에게 관심이 없다고 말하지만, 그것은
당연한 일 일지도 모른다. 처음 보는 사람이나 자기와 관계 없는 사람에게 흥미가 생기는 것은 꽤나 어렵다고 생각한다.
그러나, 세계에서의 일본은 부끄럼을 타지만,
착하다고 평판된다. 그리고, 한국은 한국 나름대로 정이 있는 국가로 평판되었다.
그렇게 보면, 말이라는 것은 그 나라의 성격을 훔쳐볼 수 있는 것이 아닐까 생각한다.
특히, 일본의 ‘-해 받다’라는 표현은 일본을 이해하기에 포인트가 되지 않을까 하고도 생각한다.

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コメント

この学生が書いているように、日本語の「_てもらう」と言う表現は、
日本を理解する上でポイントになる表現なのかもしれません。
「貸してもらう」「書いてもらう」「行ってもらう」「やってもらう」など、
動詞に「もらう」のついた形は日本人ならなんでもない表現なのですが、
韓国人にしてみると、これがかなり難しいのです。
というのはこの表現と同一の表現がないからです。
意訳して要を済ませることになります。
「_てもらう」という日本語の表現には、相手に対する「有り難み」を
ことばの中に挿入させながら、さりげなく感謝の意を表わす
にくらしいほど「日本的」な表現なのです。
すばらしい表現なんですね。

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Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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