天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

ロザリオと数珠

こちら韓国では、ときどき手首に数珠をはめている人を見掛けます。
男子学生の中でもときおりそんな子がいて、
「お、君は数珠をはめてるね」というと、
「佛教徒の母が買ってくれて」とか「ソラクサンに行ったとき、おばさんが買ってくれました」
などといった答えが返ってくることがある。
もちろんアクセサリー(ブレスレット)として
キラキラと輝くきれいな玉の輪をはめている子もいるが、
多くは宗教的な意味から木の玉の数珠などをはめている人が多いようだ。

きょうはそんな話題。下はすべて朝鮮日報からです。

ロザリオと数珠

木の玉を糸に通して作った'腕輪'をした人をみると、周辺の人はまず宗教は何かと聞く。
このように手首にはめるものをカトリックの場合はロザリオ(默珠)、
仏教では短珠(数珠、念珠)と呼ぶ。
名前は違うが形は似ている。なぜ2つの宗教はロザリオと数珠を持つようになったのだろうか。

仏教は数珠に関する教え、つまり釈迦の言葉がある。
'木環子經(モクファンヂャギョン)'だ。
釈迦牟尼は、「心配事が絶えない」というある小さな国王の訴えを聞いて次のように勧めた。
「煩悩と果報の障りを無くそうと願う者は、モクフヮンヂャ(木環子・木の玉)108個を糸でつなぎ、
歩いたり座ったり横になったりするときはいつも温かい心で気が乱れないように仏陀と法と高僧の
名前を呼び、一つずつ木環子つまり木の玉を繰りなさい」。
言い換えれば数珠というのは仏教発生当初から煩悩や悩みを断ち切るために祈りをする道具
として作られたものというわけだ。
短珠(=数珠)は、玉数を減らして手首に携帯できるように手軽に作ったもの。

カトリックのロザリオもやはりキリスト教の年齢とほぼ同年輩だ。
初代教会のころエジプトの砂漠で修行していた隱修者や獨修者たちは、死者と殉教者のために
旧約聖書の中にある詩篇を50、100、150篇ずつ毎日唱えながら祈った。
その時、数えやすいように穀物の粒や果物の実、玉などを150個ずつ糸でつないで使い始めた
のがロザリオの起源だ。

イエス・キリストの誕生、福音宣布と受難、復活と昇天、聖霊降臨にいたる神秘を
聖母マリアとともに黙想する現在のようなロザリオ祈祷は、15世紀ごろに根付いたようだ。

カトリックでのロザリオ、そして仏教での数珠というのは、外見も似ているが祈祷の道具としての
誕生の背景もかなり似ているわけだ。
材料も同様。念珠・ロザリオともに玉の材料は主に木だ。
念珠は菩提樹・イブキ・黒檀・モガンヂュなどで、
ロザリオの玉は主に棗(ナツメ)の木で作っている。

聖ベネディクト会倭館修道院でロザリオを作っている李ヨハン修道士は、
「普通は中国から500年以上のナツメの木の中の堅い部分を輸入して国内の工場に依頼して
玉の形に切って納品され、糸に通して販売する」、「木の玉を作る工場ではロザリオの玉だけ
でなく、念珠も作ると聞いている」と話した。

工場で生まれ、聖堂にも行き、お寺にも行くということ。
しかし最終目的地は、信者たちの信仰心ということであろう。

参考サイト: 
朝鮮日報


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Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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