天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

ウェルエイジング(well-aging)

「10月の最後の夜」という歌が韓国にはあります。普通の歌謡曲です。
「シーウォル マジマク バム」という発音になります。
10月が終われば11月。
で、「11月の最後の夜」となれば寒くてどうしようもありません。
また、「9月の最後の夜」、といえばどうでしょう。
「8月の最後の夜」でも、「7月の最後の夜」でも、あまり変わりないような気がします。
つまり「10月」の最後の夜ということで、なにか独特の雰囲気が出てくるわけなんですが、
この感覚はわたしだけのことなんでしょうか。

「10月の最後の夜」にふさわしい、思索するひととき。
「死」について、また「生」について、あれこれ思索してみてはいかがでしょうか。

♦ここから引用♦

韓国にはまだ定着していないが、西洋には'死の学'という学問がある。
人生と死の意味について考え、死を尊厳ある態度で迎える対応方法を教える学問である。
死への準備教育は、米国や欧州など先進国では40年余り前から始まっており歴史が長い。
死に対する哲学的議論が活発で、高齢化によって老人が増え、自然にそうなったもののようだ。
'死の学'の学者フェイフェル(Feifel)の'死の意味(The Meaning of Death)'や
キューブラー=ロス(kübler-Ross)の'死と死んでいくこと(On Death and Dying)'という本が発刊され、
当時社会的に大きな反響を呼び起こしたことも「死の教育」の拡散に貢献した。

米国と欧州では1960年代から、日本では1970年代後半から死の教育が普及し始めており、
現在、死への準備教育が小・中・高校と大学の正規のカリキュラムに含まれているほど一般化している。
死の教育がこのように広がり、'死の学'という学問分野まで樹立された。

反面、韓国では西江(ソガン)大学や翰林(ハンリム)大学など、少数の大学が大学生たちのための教養科目として
死の教育講座を開設運営しているだけだ。

幸い、最近になって一部の大学病院と社会福祉館などが、福祉サービスと患者教育の一環として死への準備教育を実施し始め、一般人にも勉強の機会が生じている。'第2の人生' の目標を探せず放浪する引退生活者に、筆者は死への準備教育を一度受けてみるよう強く勧めたい。
死の教育を通じて人生の意味を改めて悟り、生活の満足度が上昇して死に対する不安が低くなる效果があるというのが学者たちの一致した意見だ。

結論的に言って、死に対する考え方や勉強は、引退後の生活の目的を探す重要な手がかりとなる。このような点で幸せな引退設計の最後は、'死に対する計画'と言える。このように、どう死ぬかに対する幸せな最期(well-dying)の計画がないなら、どう生きるかについてのウェルエイジング(well-aging、上品に老いていくこと)も完成されないという意味だ。

先日、韓国国内で上映された映画のうち、'エンディングノート(ending note)'という日本のドキュメンタリー映画があった。映画の中で、40年余りにわたるサラリーマン人生を終えて退職した男性の主人公は、引退をきっかけに第2の人生を準備しようとする。しかし偶然に受けた健康診断で癌の宣告を受けることになり衝撃をうける。その時彼は残り少ない人生の最後の時間、家族のために何ができるか悩み、自分のエンディングノートを書く場面が出てくる。

この映画の上映以降、日本ではエンディングノートを書くのが大きく流行したが、エンディングノートというのは、一言で言って死ぬ直前に自分がしなければならない事を書いたノートをいう。家族たちに良い思い出を残すために、何をして、これからも長い間生きていかねばならない家族の財政的な裏づけをどうするか。また、友達とはどのように別れるかを書いてみるのだ。このような点でエンディングノートは死ぬ前にやりたいことのリストを書いて見る'バケットリスト(bucket list)'とも似ている。

エンディングノートは遺言状とは違って、法的に何の拘束力もない。日記を書くように、軽く作成し、自分の老後と死について考えてみるのがエンディングノートの目的だ。エンディングノートとバケットリストの作成は、自分の死を後悔なしに迎えられるように手を差し伸べ、家族たちに良い思い出を残すようにしてくれるという点で、人生の終わりで一度やってみるのも無意味ではないだろう。

ホスピスの専門医である大津秀一氏は4年前、病床で死んでいく患者さんたちと最後の対話を交わしながら、彼らが、死の淵で残した言葉を整理して本として発行した。日本と韓国で100万冊以上が売れたこのベストセラーの名前は『死ぬときに後悔すること25』だ。

本当にしたいことをしながら夢をつかもうと努力しなかったこと、
普段余暇を謳歌しながら行って見たい所に旅行に行っていなかったこと、
愛する家族や友達に自分の心を文章や言葉で表現していなかったこと、
もっと謙虚に人生を送っていなかったこと、
健康をもっと大事にしていたなら、
神の教えをあらかじめ知っていたなら…などなど。

ここに概観したように、末期患者たちが語る人生の後悔の数々は、我々が直ちに実践に移すことができる小さな行動だ。死ぬときにこのような後悔をしない生を生きるのが、まさに'ウェルエイジング(well-aging)'ではないかと思う。死を目前にした患者たちが吐露した '後悔する25の過ち' は以下の通りである。

ㆍ1番目の後悔: 愛する人に感謝していたら
ㆍ2番目の後悔: 本当にしたい仕事をしていたら
ㆍ3番目の後悔: 少しだけもっと謙遜だったら
ㆍ4番目の後悔: 親切を施していたなら
ㆍ5番目の後悔: 悪いことをしなければ
ㆍ6番目の後悔: 夢を見てその夢をつかもうと努力していたら
ㆍ7番目の後悔: 感情に振り回されなかったら
ㆍ8番目の後悔: 会いたい人を会ったら
ㆍ9番目の後悔: 記憶に残る恋愛をしたなら
ㆍ10番目後悔: 死ぬほど仕事ばかりしなかったら

ㆍ11番目の後悔: 行きたいところに旅に出ていたら
ㆍ12番目後悔: 私が生きた証を残していたら・・・
ㆍ13番目の後悔: 生と死の意味を真剣に考えたら
ㆍ14回目の後悔: 故郷を訪ねてみたら
ㆍ15番目の後悔: おいしい料理をたくさん味わっていたら
ㆍ16番目の後悔: 結婚をしていたら
ㆍ17番目の後悔: 子どもがあったら
ㆍ18番目の後悔: 子どもを婚姻させておいたら…
ㆍ19番目の後悔: 遺産を予め念頭に置いておいたら…
ㆍ20番目の後悔: 自分の葬式を考えていたら
ㆍ21番目の後悔: 健康を大事にしていたら
ㆍ22番目の後悔: もっと早くタバコをやめたら
ㆍ23番目の後悔: 健康な時最後の意思を明らかにしておいたら
ㆍ24番目の後悔: 治療の意味を真剣に考えたら
ㆍ25番目の後悔: 神の教えを知っていたら

人は死ぬときに最も率直になって真実な心を持つ。
病室で最後の人生を整理しするがん患者らが、心の中から切々と吐露する人生の心残りは、我々に有効な人生の警告だ。
生きている生前の今、心に留めてみてはいかがだろうか?
特に人生の後半戦に突入した人たちに末期患者たちが語る人生の警告は、
'エンディングノート'を整理することにも大きく役立つことになろう。

典拠:http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/10/12/2014101200939.html?csmain
ソン・ヤンミン教授が朝鮮日報に「100歳時代、引退大辞典」というコラムを連載していて
上はその23回目の記事です。

♦ここまで引用♦

光奈 広大さんのすばらしいブログ(自由人のカルマ・ヨガ ノート)の2014.09.23号(と10.15号)に似たテーマですが、もっと深い内容があります。
アドレス:
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/page-1.html 究極のリスト
ご参考まで。

筆者が光奈広大さんのブログ(2014年9月23日号)で非常に心に残ったのは、
『自分の心を守りましょう』(伊勢白山道著)という本にある内容としながら、
死ぬ前ではなくて「死後」の話――として紹介している内容です。

1.死んでみて、誰も悪くなかったことが分かった
2.人生で、あんなくよくよ悩まなければよかった
3.他人が自分のことをどう思うかなんて、気にしなければよかった
4.もっと他人に親切にして、励ますだけでもすればよかった
5.生きている時に、あんなに心配しなければよかった
6.他人の言葉より、もっと自分の思いを信じればよかった
7.一瞬一瞬をもっと大切に生きればよかった
8.他人と言い争いなどしなければよかった
9.もっと他人のために、何でも尽くせばよかった
10.もっと自分自身を大切に扱えばよかった

光奈広大さんのことばで簡潔にまとめられた10項目は、生きるうえでの指針として大きな力を持つものと思えます。2,3,4,5 あたりは、わたくしにはジーンときました。胃の腑の奥までズシーンと響きました。1の「死んでみて、誰も悪くなかったことが分かった」は、この境地になるまでまだまだだな、と感じました


ところで、本文中にある「エンディングノート」。
日本で2011年10月1日に封切となった映画のようですね。
映画のオフィシャルサイトで評を見てみると、
「観た見た! 泣いてるじぶんが笑いだし、笑うじぶんがしゃくりあげる。いやぁ、21世紀のすばらしい落語を呼吸した思い、いろいろ言わずに、100点をあげたい。」とか「自分の最期を見る思い、私もまたこのようにハッピーに死にたい。いい娘だなあ。」といったコメントがあります。自分の父の最期をしっかりと見つめる娘さんのパワーがかなりすごいようです。

終活という造語が使われてますが、なかなか笑わせますね、このことば。
ヤングは就活、ロートルは終活ですか。
蓋し名言、含蓄のあることばだと思います。
ウェルエイジング(よりよく生きる)のためにはよき終活が必須です。

次のことばできょうのブログを締めたいと思います。
「生とともに死はあり、死とともに生はある」。。。(同じことを誰かさんが言っていたらスイマセン)。



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トラ年と犬 _ 筆者のエッセイ0013

日本語の会話クラスの授業は、いつもいろいろの話が飛び出しておもしろい授業となります。
40人ほどがいっしょに入るので、4人ぐらいのペアに分けて会話させてます。
だいたい10個ぐらいのグループができるわけです。

先日の授業は、動物やペットなどについてのテーマで話す授業でした。
ある男子学生が話しました。

「小学生のころ、お母さんが子犬をどっかからもらってきました。
皆大喜びです。
お母さんがいちばん可愛がってましたが、6か月くらい過ぎたとき、
犬はどっかに行ってしまいました。いくら待ってもそれきりでした。
しばらくしてまた子犬が来ました。
その犬の名は「ミニ」でした。
二匹目の犬の名も「ミニ」。
この犬もみんなで可愛がりました。
でも、ある日突然旅立ってしまいました。あちらの世へ。
またしばらくして三匹目の犬が来ました。
これにもミニと名付けました。
三代目のミニというわけです。
でもこの犬も1年くらいして、どっかに行ってしまいました。
こうして四代目のミニまでうちに来ましたが、
全部1年以内くらいに死んだりどっかに行ってしまったりしてしまいました。」

その学生はこんな話をしました。
非常に独特の話だったので、わたしはおもしろいなと思って、うちに帰って家族に話してみました。
そしたら、かみさんの言うには

「その家のだれかがトラ年だと思うわ。」

ということでした。
トラ年の人が家の中にいると、犬は育たないという諺というか言い伝えというか、
そういう話がここ韓国にはあるそうですね。

で、1週間後にその学生にあったとき聞いてみました。

「君の家族の中にトラ年の人がいるかい?」
「わたしは馬年で、弟は酉年です。父と母はちょっとわかりません」

ということでした。

「そうか。トラ年の人はいないか」

そんな会話をして分かれましたが、2時間ぐらい経って、彼がわたしの研究室に来て言いました。

「実は、家に電話して母に聞いてみました。父も母もトラ年ではありませんが、
わたしの小学校のころ、おばあさんがいたんです。おばあさんがトラ年だということでした」

「おおっ、そうかい。いやあ驚きだ。ほんとうにトラ年の人が家族の中にいたんだねえ」

こんな会話をして学生を送りましたが、
ほんとうにトラ年の人がいる家庭では、犬は育たないのでしょうか。

日本にいらっしゃるみなさん、こんな話、聞いたことありますか。
もしありましたら、カキコでもしていただけるとうれしいです。
今年の干支は午年ですが、
きょうは「トラ年と犬」というテーマでした。おそまつ。

イスがタバコよりも悪?

長い時間座って働くことの弊害を知らせる記事です。
わたしたちは、一日のうちかなり長い時間、座ったままでいるんじゃないだろうか。
この「座る」が、体にはかなり悪いことが指摘されてきています。

♦ここから引用♦

最近、米国では'「座る」との戦争'を宣言するサラリーマンが増えている。
別に運動すると言っても椅子に座っている時間が長ければ、健康を害する恐れがあるという研究結果が相次いで出ているためだ。
9月2日、米国の時事週刊誌タイムは '座るのが私を殺している' という記事で長く座っていたら、心臓疾患、糖尿病、肥満、高血圧の可能性が高くなると報道した。

タイムは "一日の活動量とがん発生率との関係を分析した最近の研究43件を調べた結果、1日に座っている時間が長いほど、結腸癌にかかる可能性は24%、子宮ガンは32%、肺がんは21%
増えるものとわかった"、そして "これは別途に運動をどのくらいするのかと関係なく現れた" と報道した。

また、普段運動を一生懸命やっても座っている時間が長ければ運動效果は下がるという研究結果も紹介した。

'座るのは新たな喫煙' '喫煙より悪い「座ること」'という言葉も出ている。

職場に行くと、一日中座って仕事をする米国の会社員たちも事務室で椅子を避けるようになっている。立って働く 'スタンディングオフィス(standing office)' が増えている。

タイムは "一日中ほとんどを座って仕事をする人は300カロリーを消耗するだけだが、立って動くカフェバリスタは1300カロリーを使う" と伝えた。

グーグルなどシリコンバレーの先端企業から始められたという 'スタンディングオフィス' はもう米国内での各種の会社、大学にまで拡大されている。机用のランニングマシーンにも登場した。
高さ調節机の下にランニング・マシーンが置かれており、歩いたり走ったりしながら仕事ができるように考案された製品だ。価格は1500ドル(156万ウォン)程度。

'スタンディングオフィス' は最近、韓国にも上陸した。
釜山ベンチャー企業 'スマートソーシャル' 社員らはすでに8か月も立って働いているという。
腰ディスクで苦労していた李スンウ(35)課長は
"立って働けば腰に良いという話を聞いてやってみたら効果があった"と語る彼は、一日5時間は立って、3時間は座って勤務している。
ソウル大学健康運動科学研究室ヂョン・テウォン教授は
"立って働けば脳活動を促進する物質の分泌が活性化され、業務効率が高まるという研究結果が出ている"、"今後、韓国の事務室の風景もかなり変わるだろう" と話した。

出典:
朝鮮日報  http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/09/19/2014091902571.html?csmain

♦ここまで引用♦

仕事をするときは座っていても、あとで別に運動しているから大丈夫、と考える人が多いと思う。
けど、それがあんまり大丈夫じゃないみたいだ。
立って仕事をするにはそれなりの準備が必要だから、すぐにできない人も多いだろう。
なるべく歩き、なるべく立って一日を過ごすようにこころがけたいものだ。

ボシンタン _ 筆者のエッセイ0012

米沢のスタミナ料理と言えば、米沢牛三〇〇グラムのステーキだろうか。

親友K 氏の家で、三〇〇グラムのステーキを一〇個ぐらい買ってきて、同僚らといっしょに
ジュウジュウ焼いて食べた記憶が今もありありと目に浮かぶ。んまがったなあ。

ところで、韓国の栄養料理と言えばボシンタン。ボシンタンは漢字で書けば「補身湯」となって、体に栄養をつけ補強するための食べ物である。韓国では犬の肉を料理したものをこのように呼んでいる。日本では馬の肉を食べるが、韓国では馬の肉はふつう食べない。馬肉を食べると言うとみなちょっと驚く。国によって習慣がちがい、食べ物もちがうのは言うまでもない。だから犬を食べるということについてなんら偏見はなかった。しかし自分が犬を食べるとなると、ことはちょっとちがってくる。やはりあの可愛い目をした犬を食べると思うと、どうしても口がついてゆかないのだ。これは子供のころからの習慣で、犬は見るだけにしていたということが大きく作用しているのであろう。他人が食べるのにどうのこうの言うわけではないが、自分が食べるとなるとやはり拒否感がある。

そんなある日、それは土曜日だったような気がする。暑い盛りだった。うちのお昼ごはんで「ユ
ッケジャン」が出た。ユッケジャンはわたしの好物の一つだ。牛肉の辛煮とでもいったらいいだ
ろうか。

  「おっ、きょうはユッケジャンか。いいね」とわたし。
  「時間かかったのよ」と妻。

そうか、苦労して作ってくれたんだな。それじゃ、おいしく食べてあげようじゃないか、ということでその赤黒い汁を口に運んだ。いつも食い付けているユッケジャンの味とはなんとなくちがうような気がしたが、料理はいつも必ずしも同じ味とは限らない。どんな野菜が使われているのか、唐辛子をどのぐらい入れてあるか、煮込みの時間はどうか、などによって味はその都度ちがってくるはずだ。つべこべ言わずとにかくおいしそうに食べよう。それが妻に対する礼儀だ。実際、まずくはないのだし。

 「うまいね。でもなんとなくいつもの味とはちがうような気もするけど、、、」

などといいながら無事昼御飯は終わった。夕ごはんの時間になった。そのユッケジャンがまた出てきた。いやあ、これはまいったな。まずくはないけどまたかよ。そんな気持ちだった。気持ち的にブレーキのかかる感じがあったからかもしれないが、なんとなく生臭い感じが口の中に蘇ってきた。

 「ユッケジャンか。食べられないことはないんだけど、なんとなく生臭いような気がして、昼も晩も続けて食べるのはちょっと気がひけるけどな。」

とわたしは思わず言ってしまった。すると彼女、言いにくそうにしながら、

 「あれ、実はボシンタンだったのよ」

と、のたもうた。えーっ!!!。犬の顔が脳裏に浮かんでは消える。口の中でもがく犬の気配がする。これはたまらん。とうとう食べてしまったか。犬を。そんな気持ちだった。妻は体にいいからと近くの店に行ってボシンタンの原料となる食材を買ってきて、家で料理して出したわけだが、なんとなく生臭さは残っていたんだ。わたしは完全にその気になって(つまりユッケジャンのつもりで)食べていたから、気づく方がおかしいくらいだったんだが、この口は味に対してまだ老化してはいなかった。やっぱ犬だったんだ。とうとう犬を食べたか。処女を奪われたような気持ち、といったらわかりやすいだろうか。心にもなく純潔を奪われたような気分だった。あきれて怒る気にもならなかった。家族みんないっしょに食べたのだが、妻と娘は平気だ。わたしのそばで笑っている。「オレの味覚もまだけっこういけてるね」などとうそぶきながら、「処女喪失」事件は一件落着となった。


(※) ボシンタン: 本来は「ケジャンクク」つまり「犬鍋」と呼ばれていたが、一九八八年のソウルオリンピックのときに、犬を食べることをカムフラージュする意味で、「補身湯」(ボシンタン)、「栄養湯」(ヨンヤンタン)、「四節湯」(サチョルタン)などと呼ばれるようになった。夏に多く食される。女性もけっこう好きな人がいるようだ。犬の一物がまた美味という。人間の肉と犬の肉とは成分が似ているために即栄養となるといわれている。一方馬の肉はヂェヂュド(済州島)では食べるそうであるが、普通の韓国人は馬の肉は食べない。「馬肉を食べる」と言うと、「うわあ、野蛮だな」といった目で見るのである。 

                                                                                          『おしょうしな韓国』より)

さようなら原発 米沢 (第18回) 10月25日(土)

1019sayonara_yonezawa.png  
 
            https://ja-jp.facebook.com/sayonara.gempatsu.yonezawa
(さようなら原発 米沢のサイト)


来る10月25日(土)の午後2時から、
米沢市北部コミュニティセンターにて
「さようなら原発 米沢 第18回」のつどいがあります。
米沢市民の皆様、原発とおさらばするために、
たくさんの皆様方のご参加を呼びかける次第です。

講師の武田徹さんは現在「福島原発被災者フォーラム山形・福島 代表」をされておられ、
避難者の方々の暮らし向上のために汗を流してこられました。
(参考記事:http://www.asahi.com/area/yamagata/articles/MTW20140314060610001.html)

上の参考記事にもありますが、
福島から米沢のほうに避難生活をしていたある公務員の夫をもつ妻が、
同じ福島県の県民の方から、
「公務員のくせに自分の家族を避難させるなんて」などと責められたのだといいます。
まったく、弱い者がさらに弱い者をいじめる。責める相手が違いますよね。

「責められなければならないのは、福島県民じゃなくて原発事故を起こした東電であり国」です。

災厄の元凶である東電であり国のことを忘れ、
隣にいる「弱い人々」のことを責めてしまう。
お門違いの「責め」のために二重、三重の苦痛を味わっている方々が多いです。
島国(日本)ならではの光景かもしれません。残念です。

草の根であるわれわれ「弱き人々」が、まとまって力を合わせて歩いていかないと
国や東電にされるがままになってしまいます。
それ以上の悲劇はありません。
いまこそ力を合わせてがんばっていきたいですね。

来月は、  
11月29日(土)14:00からまたある予定ですので、
ぜひ記憶にとどめていただき、
たくさんの方々がともに力を合わせて
「脱原発」を実現していっていただきたいと思います。

    がんばれ「脱原発」! がんばれ米沢!!


死を前に平穏であるためには


朝鮮日報にソン・ヤンミン教授の「100歳時代、引退大辞典」というシリーズものがあります。
その中から今回は「死を前に平穏であるためには」という文章をお届けします。
ソン・ヤンミンさんは、嘉泉大学保健大学院院長です。

♦ここから引用♦

"彼に死が迫ったのではなく、彼が死を成就したのだ。"

数年前、世界の人の哀悼の中この世を去ったアップル(Apple)の創立者、
スティーブ・ジョブズ(1955∼2011年)の葬式で彼の妹であり小説家でもあるモナ・シンプソンが
詠んだ追悼の辞の一部分だ。
息をひきとる前日、スティーブ・ジョブズは子どもと妻ローレンを順に呼び、長い間眺めた後、
短い感嘆詞を言って目を閉じたという。
膵膓癌で死亡した彼は死ぬ直前に、自身の自叙伝を出版し、日頃から構想してきた
新型IT機器を相次いで発売するなど、自分の死を準備してきた。

彼は2005年、膵膓癌の治療を受けつつ米国スタンフォード大学の卒業式で行った有名な
演説文はネットでも見られ、韓国語でも翻訳されている。

"すぐにも死ぬだろうという考えは、人生において重要な選択をするとき、大きな助けになる。
人びとの期待、自尊心、失敗に対する恐怖などほとんどすべてのものは死の前で無意味になり、
本当に重要なことだけが残るからだ。
死ぬという事実を受け入れるなら、何か失うことがあるという考えの落し穴を避けることができる。
あなたは失うものがないのだから、心の命ずる声に従わない理由など何もない。"

妹が追悼の辞で 'お兄さんが死を成就した' と表現したのは彼のこのような人生の姿勢のためかもしれない。

私たち人間は生まれた瞬間から、全て死に向かっての旅程にある、、、結局いつかは死に直面することになる。そのため、ドイツの実存主義哲学者ハイデッガー(Heidegger)はかつて
"人間は、生まれてすぐに死に向かっていく存在(Sein zum Tode)"と語った。
また、哲学者キム・ヨルギュは"死は人生とともに育つ"と述べ、
宗教学者の鄭鎮弘(ヂョン・ジンホン)は "死は人生が到達した最後の生活形態" とした。
生と死がコインの表と裏のように、結局、一つという話だ。

それにもかかわらず、人々は死を恐れ考えることをはばかっている。
死の科学研究の先駆者であるキューブラー=ロス(kübler-Ross)は、
死を前にした患者500人余りをインタビューした上で、
人々が、死に接した時、
'否定' と '孤立' → '怒り' → '妥協' → '憂鬱' → '収容' など5段階の心理的変化を経験することになる
と明らかにした。

死が迫ったことについて、初めは否定し、憤慨するが、一定時間が過ぎた後は、自分の運命と妥協して憂鬱だが、結局、死を受け入れる過程を踏むというわけだ。

人間の生が死に順応するしかない運命なら、もう少し積極的な姿勢で死を迎えるのはどうだろうか?
死の不安心理を克服するためには、死と生が一つという事実を認識することが必要である。
そしてどんなことが、美しい老年であり、またどのように死ぬのが美しい死かを自覚しなければならない。

このような内的省察を通じて、私たちは生と死の意味についてさらに真摯な姿勢が持てるようになり、
今日我々が暮らすこの地(地球)の現実を前にしてももう少し充実した態度が取れるのではないか。
これが最近の韓国の新しい話題になっている幸せな最期(well-dying、上手に死ぬ)の概念だ。

英国メディカル・ジャーナル紙(BMJ)は上品な '良い死(good death)' について、
'どこで、誰と、どう生活を終了するかに対して自主的に選択することができること' と定義している。

自分の死の方式を自ら選択するというのは、死に 'やられる' より、堂々と死を迎えるという意味を持つ。
幸せな最期に対する認識が必要なのは、韓国人の死の質(quality of death)が全般的に低い水準にとどまっているからだ。
先日、英国エコノミスト研究所が40カ国の '死の質' を評価した資料によると、韓国は32位となり下位圏に甘んじている。

死に対する議論がまだ社会的にタブー視されていて、韓国の高齢者の70%が病院で治療を受けて死亡するという理由などでこのような結果が出たもの。
韓国が名実共に先進国になるには、韓国社会の死の文化が一段階レベルアップしならなければならない。

生前遺言状や事前医療意向書などを書いておいて自分の死にあらかじめ備えることも
幸せな最期に必要な要素だ。

死を意識するとき、人々は2つの姿を見せる。

第1グループはなんとしてでも死を避けようと努力する集団だ。
驚いたことに多くの人々が死に瀕してもまるで辞世を避けることができるかのように行動する。
ある人は名医を探して数多くの病院を歩き回り、またある人は万病に効く薬を求めてさまよっ
たり、ある人は急に宗教にすがりつくことになる。

第二グループは死を生のまた別の形態として淡々と受け入れる集団だ。
彼らはむしろ自分の死にあって家族があまり傷つくことのないよう配慮し、自分が生きてくるなか
で積みあげたものを他の人々に与えようと努力する。美しい死、幸せな最期を準備する人々だ。

我々が希望する幸せな最期は、「尊厳死」とも一脈相通じるものだ。死は誰も避けられない。
それゆえ昔の賢人たちは "死が目前に迫っているが如く毎日を生きよ" と言い、
あるいは死を称して '我々の肩の上に来て止まった鳥' と表現した。

死は避けられないものと悟り、残りの人生を一日一日充実して生きることになるなら、
現在の生活はより意味あるものと変わることになるだろう。

ソース:朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/10/05/2014100501203.html?csmain

♦ここまで引用♦

死は誰も避けられないことは頭ではわかっていてもなかなか心の芯までわかる、という段階になるのは難しいことです。
でも、この文章にあるように、死を前にしてじたばたしなくてもいいように
普段から心構えだけでも整えておきたいものです。
死を前にしたときの態度は、人によって千差万別ですよね。
誰でも慌てふためくものですが、その後の心の持ち方、態度が重要なんだと思います。
慌てることはあってもすぐ気持ちを取り直し、落ち着いて行動できればいいですよね。

これをお読みになっている皆さんはお元気のことと察します。
日々を生きるに、武蔵のような覚悟で生きられれば、最高ってことですよね。
ここまで読んでいただいた皆さんのご健闘(ご健康)をお祈りいたします。



上杉鷹山(9)

米沢を代表する人といえば、この人「上杉鷹山」。
このブログのカテゴリに「ふるさと」を入れてありますので、
鷹山についてちょっと書くシリーズです。今回はその9回目。
8月16日ブログ上杉鷹山(8) の続きです。

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 

鷹山の産業改革は二通りありました。
(一)領内に荒れ地を残さないこと。 (二)民のなかに怠け者を許さないこと、です。
藩領はもともと肥沃でないとはいえ、藩主と領民との努力精進により、15万石の所領でも30万石はもたらすことができると考えました。
したがって農業の奨励に全力を傾注しました。そのため、就任して2、3年後、鷹山は大々的に「籍田の礼」(せきでんのれい)を行ないました。

藩主、執政、郡奉行、代官、教導出役、廻村横目の全員が礼装して、まず春日神社へ進み、神に行事とその目的を報告しました。
一行は、最近開かれたばかりの土地に進み、そこで藩主は、最初に鍬を手にして、厳粛に大地を三度打ちます。
次に執政が9度打ちます。そのあと郡奉行は27度、代官は81度打って、最後はまさに「大地を耕す人」である農夫に至ります。
これは、今後、大地が神聖なものとして扱われ、生活に恵みをもたらすものは、すべて大地から与えられるという期待を、
公然と宣言する意味がありました。決して迷信ではありません!

サムライたちを、平時には農民として働かせ、それにより荒廃地から何千町歩にもなる土地を興しました。
鷹山は、ウルシを広範囲に植え付けることを命じました。藩士はだれも15本の苗木を庭に植えるように求められ、
他はみな5本、寺は境内に20本、植えなければなりません。割り当て以上の苗木を植えた場合は、1本につき20文の報賞金が出ました。
苗木を枯らせてしまい、代わりに新しいものを植えなかった場合には、同額の金が取られました。
この結果、短時日の間に、百万本以上にも達する、この貴重な苗木が、領内に植えられたのです。
これは後世に大きな影響をもたらしました。開墾に適さない地には、百万本余のコウゾ(紙を作る植物)が植えられました。 
                                                『代表的日本人』(内村鑑三)より


聖職者とクルマ


聖職者とクルマ。
タイトル自体がおもしろそうですよね。
聖職者といわれる人々は、質素なクルマに乗ってるんでしょうか。
必ずしもそうではないようです。本文をご覧ください。

本文は、まず、8月半ばごろ韓国を訪れたローマ法王フランシスコの話から始まってます。
後半部でソンチョル和尚のことが出てますが、
ソンチョル和尚(1912年2月19日 - 1993年11月4日)という人は、
韓国では一番尊敬されている和尚と言ってもいいでしょう。
1993年の荼毘の折には、韓国民全員が涙しました。高僧です。
このころすでにわたしは韓国で生活を始めて5年ほどになっていたので、
このときのテレビ、わたくしも見ました。

♦ここから引用♦
教皇フランシスコが訪韓の際、KIA自動車の 'ソウル' に乗る姿は、新鮮な衝撃だった。
その巨体をその小さな車に 'くしゃくしゃに丸めて乗り込み' 窓を開けて手を振る
彼のトレードマークを韓国でもう一度見せてくれた。

数年前、'聖職者と自動車' に関する記事を準備したことがある。
金壽煥(キム・スファン 1922.7.2 ~ 2009.2.16)枢機卿が最後まで旧型グレンジャーに乗る様子を報告したもの。
金枢機卿はグレンジャーの前はソナタに乗っていた。
カトリックの各教区長の自動車を調べてみた。
だいたいは中型車であり、年式が古いモデルだった。
そのうち、ソウルで開かれる会議に常連で遅刻するある教区長がいた。
車にガタがきてて、高速道路で頻繁にエンコするためにそうなるんだと語った。

これをきっかけに他の宗教の有名な聖職者の自動車も調べてみた。
内心 '聖職者たちがこんなに質素に暮らしている' いう趣旨の結論を期待しながら。
しかし、すぐに記事を放棄した。
大型高級車がかなり多かったからだ。大型車を利用している理由は様々だった。

「昼も夜も、ソウルから地方に高速道路、国道に乗っての移動が多いだけに、安全を考慮せざるを得なかった。」
「私は、中型車に乗ってみたいですが、信者たちが自分の車を持ってきて乗りなさいと勧めてくれ、
その真心を拒むことが難しいので。」
「ある司祭(カトリック)は良い車に乗っていて、我々の牧師様が下に見られるのが嫌で…。」

すべて一理はあった。
しかし、俗世の人たちもやはり同じ理由で力(財力)さえあれば高級車、大型車に乗りたがるのも当然と言えよう。
そういうわけで記事は放棄し、多くの日々が流れた。

そして我々は、目の前で 'ソウルに乗った教皇' に会うことになった。
しかし教皇は、主に市内で移動する時はソウルに乗り、地方に動くときは、ヘリやKTXに乗った。
韓国の聖職者と単純比較は難しいものの、口当たりはほろにがい。

(つまり、高級車に乗る韓国の聖職者と比べて大衆交通手段を使用する教皇は質素だということ)

数年前の取材の際、ちょっとおもしろい情報に接した。
ソンチョル和尚が晩年にベンツに乗ったことを知ったのだ。
知られている通りソンチョル和尚は袈裟でさえ、あちこちつぎはぎだらけの着たきりすずめで一生を貫いたお方。
してまたそれがベンツとは?? 
こういうことだった。

大統領が会いたいと言っても、自分の寺である海印寺・白蓮庵(ベクリョンアム)に出てこなかったソンチョル和尚だったが、
病院に行ったり、法話をするため外出をする時があった。
そんな時、敬虔な仏教信者だった和承(ファスン)グループのヒョン・スンフン会長が自分の乗用車を海印寺白蓮庵に送ったとのこと。
「自分の車」を持たないがゆえに、世界最高級車がおのずと「私の車」になった形だ。

出典:朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/09/19/2014091900167.html?csmain


♦ここまで引用♦

金壽煥(キム・スファン)枢機卿が乗っていたのは旧型グレンジャーということですが、
グレンジャーは韓国では高級車ですが、「旧式」のそれに乗っていた、ということで
けっこう質素だというニュアンス。
教皇フランシスコが乗ったという「ソウル」は、、KIA自動車のクルマで1600CCくらいの中型車。
日本の軽(560CC)とか1000CCほどのクルマに比べれば大きいが、
こちら韓国では1600CCというと「小さい」車というイメージだ。
ちなみにわたしが乗っているのが2000CCのSUV「コランドC」というクルマ。
これよりも小さな車に乗った世界の教皇に皆な驚き、感動しました。
ソンチョル和尚は、「山は山、水は水」という有名なことばを残した和尚としても有名です。
高僧ソンチョル和尚とベンツというアンバランスがなんともおもしろいと思いました。
(ただ、これは、韓国の雰囲気を知ってるかどうかでおもしろさは100%にもなり、50%にもなるかもしれません。)

薬が病気を作る?

今年、血圧の基準値(上)が、120くらいから150くらいに変更されるなど、
薬をめぐる論争はあとを絶たない。

製薬会社から学会にお金が流れたり、お願いが流れたりして
「基準値を110くらいにしてほしい」となれば、
薬を飲む人が圧倒的に増えるのだから、製薬会社はぼろ儲けということになる。

すべての製薬会社がこうだとは言えないまでも、かなりの部分、
こんな構造になっているんじゃないかと 思わせられる報道がけっこうある。

今回は薬剤師が教える薬の危険ということで、大いに参考になるような内容だ。
そもそも人間というやつは、自分で病気を治す力を持っているわけであって、
薬で治すというのは、ある意味、邪道であるようにも思える。

(韓国で)わたしの近くに住むある医者は、「食べ物と運動で治せない病気はない」とまで言う。
それも過大表現かもしれないけれど、
それくらいに、本来は自分の体は自分で治れる構造になっていると思うのだ。

♦ここから引用♦
薬が病気を作る?薬剤師が教える薬の危険 抗うつ剤を飲むとうつ症状に、自殺や他害行為も   「Thinkstock」より

「週刊東洋経済」(東洋経済新報社/9月13日号)は『飲む前に知る! クスリの裏側』という特集を組んでいる。
「普段何げなく服用している薬は本当に必要なのだろうか。安全なのだろうか。
相次ぐ不祥事で製薬業界の信頼が揺らぐ中、本当に必要な知識を身に付けたい」という内容だ。
2014年4月に日本人間ドック学会などが発表した新たな「基準値」
(「新たな健診の基本検査の基準範囲」)は、
正常とされる血圧の数値は「上の値は129まで、下の値は84まで」だったのものを
「上の値は147まで、下の値は94まで」とするなど、
大きく緩和されたものとなった。
この背景には、薬剤費を抑えたい政府の意向があったのではないかと業界関係者は見ている。

世界第2位のノバルティスファーマ、国内最大手の武田薬品、製薬会社による臨床研究の
不正や疑惑が次々と噴出する中、
医師も製薬会社のもくろみに加担し、持ちつ持たれつの関係であることが明らかになり、
業界の信頼は失墜している。

「業界全体として、悪事を働いているという認識が薄かった。明らかになっていない不正が
他にもあるはず」と大手製薬幹部(特集記事より)

「高血圧は薬で下げるな」「薬剤師は薬を飲まない」などといった、薬や医療の不必要性を
論じる本が売れているという。
普段、何げなく飲んでいた薬に、多くの人が疑わしい気持ちを抱き始めている現状を表している。

・薬が病気を作る
今回知っておきたいのは、特集記事『「薬が病気を作る」は本当だった!』だ。
薬漬けの医療に疑問を感じ、13年12月に『薬剤師は薬を飲まない』(廣済堂出版)を上梓した薬剤師・宇多川久美子氏による記事だ。

病院は、病気と診察すれば薬を出そうとする。それが、単なる風邪であってもだ。
「よくあるのは、医師による“3分診療”の後、抗生剤、せき止め、鼻炎、解熱剤……と
4~5種類の薬を出されるパターンだ。
(略)せき、鼻水、熱といった症状を速やかに抑えるのに薬は効果的だ。
しかし、薬はあくまで対症的に鼻水を止め、せきを止め、熱を下げるだけだ。
(略)風邪薬は、症状を生んでいる原因を撃退してはくれない。
風邪に伴う症状は、ウイルスと闘い排除しようとしている自らの免疫反応。
(略)となると、風邪をひいたときにすべきことは、安易に薬を飲んで症状を抑えることではない。
ウイルスという敵と闘っている体をフルサポートすることだ」(同記事より)

つまり、一般的な風邪の際には薬ではなく、「体を冷やさないようにして早めに寝て、十分な睡眠」を取ることが重要なのだ。
これからの季節、注意したい。

なお、インフルエンザも高熱が出るのは、
「それだけ体温を上げることで免疫力を活性化しているから」で、
「インフルエンザは自然治癒する感染症である」というのが世界の常識だという。

「病気はその原因により、2種類に分けることができる。
(1)インフルエンザのようにウイルスや細菌などが原因の伝染病・感染症や、急性の症状の病気。
(2)糖尿病や高血圧、高脂血症などのように生活習慣の乱れや加齢が原因となっている慢性的な病気。
私たちはこれらのどちらも『病気』という同じ概念でとらえ、病気になったら薬を飲んで治してしまおう、と考えがちだ。
しかし(1)と(2)は薬の果たす役割に大きな違いがある」(同記事より)

(1)の急性症状に対する薬は感染を止め、症状を一時的に抑えるもので、完治した時点でその薬がいらなくなるという特徴がある。一方で、
(2)の慢性的な病気に対しては体に現れている症状を抑えるだけの効果しかない。
これらの病気の多くが病気を生じさせる習慣を積み重ねてきた原因は患者そのものにあり、
本当の意味で治療するには、「病気の原因である生活習慣を改める以外に道はない」のだ。

・薬剤師を活用して生活習慣の見直しを
しかし、生活習慣病の患者が今飲んでいる薬を専門家の相談なしに突然やめてしまうことは危険だ。
この場合、薬剤師を活用するのがいいという。

「薬剤師は、薬学的疑問を抱いたり患者から申し出があった場合、医師に処方箋の内容を問い合わせる『疑義照会』をすることができる。
(略)(2013年度の調査では)疑義照会により、年間82億円もの薬剤費が削減されたという」(同記事より)

さらに、「薬のほとんどは合成物であり、体にとっては『異物』。(略)主作用の陰で、体に別の作用がもたらされている」(同)、
つまり多かれ少なかれ副作用があることも知らねばならない。

例えば、抗うつ剤。抗うつ剤の副作用は「うつ症状」なのだという。
「現在、抗うつ剤の主流はSSRIやSNRIといった薬で、
脳内で不足しがちになるとされるセロトニンやノルアドレナリンの再取り込みを阻害し、
脳内にたまりやすくする。
セロトニンは安らぎや幸福感を、ノルアドレナリンはやる気や自信を与える神経伝達物質だ。
ところが、これらの抗うつ剤の一番の副作用は『うつ症状』なのだ。
薬の添付文書には自殺願望が高まることがあるといった注釈がついている。
人に暴力を振るうなど、他害行為を招く作用があることもわかってきている」(同記事より)

抗うつ剤の副作用でうつ症状を生むとは……本末転倒もいいところだ。

病気に対しては薬よりも生活習慣を見直し、自然治癒するのが基本であることを再認識させられた。
健康もカネで買えると思っているフシがある日本人にとっては、考えさせられる特集だ。

出典:ビジネスジャーナル http://news.livedoor.com/article/detail/9261811/


♦ここまで引用♦

本文にもあるけど、薬はほとんどが合成物であり、体にとっては「異物」。
多かれ少なかれ副作用があることは当然。
化学合成で作られた薬が必要のこともあろうけど、
できれば自分の体は自分の回復力で治したいものだ。


おめでとう、ノーベル物理学賞!

今年もノーベル賞の季節になったと思ったら、
さっそくきょう10月7日(火)、夕方、
「ノーベル物理学賞に日本人3人」の報が入りました。
20世紀中の開発は無理とさえいわれた青色LEDに関する研究の成果が認められ、
名城大学教授の赤崎勇さん、
名古屋大学大学院教授の天野浩さん、
カリフォルニア大学教授の中村修二さん、
以上日本人研究者3人が選ばれました。
物理学賞は6年前の2008年に受賞した南部さんと益川敏英さん、小林誠さんの3人以来で
湯川秀樹からあわせて10人となります。
日本の物理学のレベルを世界に知らしめるすばらしい成果です。
心からお祝いしたい気持ちです。

♦ここから引用♦
ノーベル物理学賞に日本人3人
10月07日 18時59分ことしのノーベル物理学賞の受賞者に、青い光を放つLED・発光ダイオードの開発に成功し、フルカラーの大型画面の実現など様々な応用への道を開いた、名城大学教授の赤崎勇さんと、名古屋大学大学院教授の天野浩さん、カリフォルニア大学教授の中村修二さんの日本人研究者3人が選ばれました。
赤崎さんは鹿児島県出身の85歳。
京都大学を卒業後、当時の松下電器の研究所を経て、昭和56年に名古屋大学の教授になり、現在は、名古屋市にある名城大学の教授を務めています。
天野さんは静岡県出身の54歳。
名古屋大学を卒業した後、名城大学理工学部の教授を経て、平成22年から名古屋大学大学院の教授を務めています。
中村さんは愛媛県出身で60歳。
徳島大学大学院で半導体の研究を行ったあと、昭和54年に徳島県の化学メーカーに入社し、14年前からはカリフォルニア大学サンタバーバラ校で教授を務めています。
3人は、LEDの中でも製作が技術的に難しく、20世紀中の開発は無理とさえいわれた青色LEDの開発に取り組みました。
当時、結晶の素材としてほとんど見向きもされていなかった窒化ガリウムに注目し、赤崎さんが昭和60年に青い光を出すのに必要な高品質の「窒化ガリウム」の結晶化に世界で初めて成功しました。
さらに中村さんが平成5年、独自に開発した装置を使って、極めて明るい青色LEDの開発に世界で初めて成功し、世界中の研究者を驚かせました。
3人の成果によって、赤・緑・青の光の3原色のLEDがすべて揃い、組み合わせによってあらゆる色が出せるようになりました。
このため、フルカラーのディスプレイなど、さまざまな分野でLEDの実用化の可能性を広げました。
波長の短い青い色を出す技術は、DVDなどの記憶容量を大幅に増やすことができるブルーレイディスクの開発にもつながり、大量の情報をやりとりする現代社会において欠かせない技術となっています。
こうした業績で赤崎さんと中村さんは、平成10年に世界の電子工学の優れた研究者に贈られる「ジャック・A・モートン賞」を受賞したほか、赤崎さんは、平成16年に文化功労者を、中村さんは、平成14年にアメリカのノーベル賞といわれる「ベンジャミン・フランクリン・メダル」を受賞しています。
また、天野さんは平成10年にイギリスの「ランク賞」を受賞しています。
日本人がノーベル賞を受賞するのは、アメリカ国籍を取得している南部陽一郎さんを含め、おととしの山中伸弥さんに続いてあわせて22人になります。
物理学賞は6年前の平成20年に受賞した南部さんと益川敏英さん、小林誠さんの3人以来であわせて10人となります。
NHK:http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20141007/4816471.html

♦ここまで引用♦

物理学賞は、ノーベル賞の中でもなんといっても中心的な賞。
これを日本人がもらうとなると、ひとりでにうれしさがこぼれてきてしまいます。
韓国の人には悪いんですが、
ノーベル賞は韓国からはまだ出ていません(平和賞という特別枠は1人います、科学関係賞はいません)。
だから、韓国人と話すとき、ノーベル賞の話になると
たいていの人はあまりいい気持ちがしないんですね。
なるべくその話は避けたい、そういう無言のオーラがいつもあります。
そのうち韓国からも必ず出てくるものと思われますが、
いまのところはまだいません。
候補になるような学者はあまたいるようですが、
まだ現実のものとなって結実していませんね。
オリンピックだのワールドカップだのといろいろ世界の注目を浴びるイベントはありますが、
ノーベル賞ほどインパクトのあるイベントはないですね。
このノーベル賞で世界を驚かすのが一番の愛国者だと思います。
ヘイトスピーチをして外国人出て行けと叫び、心を傷つけるのが愛国者ではありません。
愛国者などという枠組み自体、わたしの好みではありませんが、
百歩譲っていい意味で使うとすれば、上のようなことになろうかと思う次第です。
とまれノーベル賞の3人の方々に心より祝福のことばをお送りいたします。
おめでとうございます。
また来年も日本からノーベル物理とか化学とか医学とかでるといいですね。

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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