天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

アメリカのマスコミが注目する「韓国のスーパーフード」 海苔・ワカメ


韓国のスローシティーにも選ばれている莞島(ワンド)。
そこでとれる海藻類がスーパーフードとしてアメリカで注目しているという記事です。

韓国では海苔は毎朝出てくるような非常に身近なおかず。
わたしもほぼ毎日食べています。
そしてワカメ。
ワカメ汁は、こちら韓国では誕生日のときの定番として出てきます。
誕生日には皆、ワカメ汁を食べます。
また、女性が出産したあとの産後の保養としても、ワカメ汁を食べます。
具のワカメがハンパナイので(ものすごく多い)、はじめてこちらのワカメ汁を目にする日本人は、
あっと驚くタメゴローだと思います。(古くて恥ずかし。)

海苔は安くておいしいので、わたしの最近の日本の友への贈り物としてはこの海苔が定番です。

♦ここから引用♦
アメリカのマスコミが注目する「韓国のスーパーフード」 海苔・ワカメ

"莞島(ワンド)の海藻類、魔法のような効能…出産後・誕生日にわかめスープを食べ、ゴルファー崔京周も大会の際、必ず食べる"

米ウォールストリートジャーナルが、
今年世界で初めて海藻類の博覧会を開催した全羅南道莞島を、
1面ミニボックスの記事と6面の連結の記事に詳細に紹介した。

この新聞1面ミニボックスは、ベルギーのタクシー運転手たちが無事故を祈願するため、
タクシーに聖水をまく天主教儀式を挙行するといった、世界各国の異色的な文化と生活様式を紹介するコーナーだ。

海苔・ワカメ・昆布といった海藻類を食べる食文化が発達していない米国では、
莞島の海藻類の博覧会がそれほど不思議に映ったという意味だ。

今年の4月11日から1か月間開かれた博覧会には、海藻類を利用した食べ物や化粧品、
海藻類から抽出した自動車燃料であるバイオエタノールなど
多様な製品がお披露目された。

ウォール・ストリート・ジャーナルは 

"海藻は世界人の献立ではまだ不慣れな食べ物だが、
韓国では魔法のような効能を持ったスーパーフード(super food)として認識されている"、

"ワカメに含まれたヨウ素成分は血液を補充して傷を早くする効果がある"

と伝えた。

また、

"韓国女性たちは出産後必ずワカメのスープを食べ、韓国人の誕生日祝いには
老若男女を問わず、わかめ汁が出てくる"

と付け加えた。

莞島(ワンド)出身の世界的ゴルファーである崔京周(チェ・ギョンジュ)選手が大会に参加する際、
体力補充のため、莞島から海藻類を空輸して食べるというエピソードも紹介した。

過去には職場を求めて都市に離れて行った若者たちだが、今は続々と莞島に帰郷している。
海藻類の養殖業の成長で住民の所得が増えているためだ。

ウォール・ストリート・ジャーナルは 

"住民の平均年齢が60歳を越えて高齢化した他の農・漁村と異なり、莞島は20~30代の若者が人口の20%以上を占める"

と伝えた。

出典 朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/09/17/2014091700202.html?csmain

♦ここまで引用♦


莞島で働く若者たちが増えて、さらにたくさん海藻類が取れるようになる。
いい循環が始まってます。


スポンサーサイト

さようなら原発 米沢 (第17回) 9月27日(土)

0927sayonara.png 


きょう9月27日(土)の午後2時から、
米沢の北村公園で「さようなら原発 米沢」のつどいがあります。
米沢市民の皆様、原発とおさらばするために、
たくさんの皆様方のご参加を呼びかける次第です。

北村公園は、金池にある公園ですね。
わたしも1度だけ、友達のところに遊びに行ったとき
公園内を歩いてみたことがあります。
特になにもない公園で、とても素朴で美しい公園でした。
ここで「さようなら原発」の集まりがあるんですね。
広いので、公園のどこであるかは、ご確認のほど。

わたくしは、ここ韓国にいますので
「ほい」とすぐ参加するわけにもいかず、
なんとも申し訳ない気持ちです。
できることは、皆様に呼びかけることだけですので、、、。

来月は、
10月25日(土)にまたあるみたいですので、
ぜひ記憶にとどめていただき、
たくさんの方々がともに力を合わせて
「脱原発」を実現していっていただきたいと思います。

がんばれ「脱原発」! がんばれ米沢!!

憎いやつに餅をもう一つやる

お医者さんが書いた文章をご紹介します。
韓国のことわざに「憎いやつに餅をもう一つやる」というのがあり、
これをもとに書かれた文章です。


♦ここから引用♦

人間関係で一番難しいのは多分憎たらしい人との関係だ。
振る舞いが気に入らない憎たらしい人を生涯避けられれば、世の中に何の心配ごとがあろう。
目障りな人は見ることなく、気に入ったきれいな人だけを見ながら暮すことができるなら、それが多分天国だろう。

しかし、現実はそうではない。
他人なら会わなきゃいいとしても親子間や夫婦の間では、顔を合わせずにはいかない。他人だとしても退けることは容易ではない。どうすることもできないケースが大半だ。職場の上司とか、同じ宗教に属している場合、会いたくなくてもじっと我慢しなければならない。相手に露骨に嫌な顔をしては、逆風に見舞われかねないからだ。

韓国のことわざに

「憎いやつに餅をもう一つやる」

という言葉がある。

憎らしい人ほど、より上手に対してあげて喜ばせてあげなければ(点数を稼がなければ)ならないという話だ。

私が憎めば、相手もこちらの心を知って自分を憎むようになる。そうなるとこっちに復讐したり、仇をかえすなんてこともありうる。だから後々問題が生じないよう、作戦をうまく立てて上手に対さねばならない。

昔、意地悪な姑のためにファッビョン(癇癪、心の病気)が生じ、どうにもならない嫁がいた。良く当たるという占い師を訪れて、「憎らしい」姑を殺す方法を聞いた。占い師は、姑が一番好きな食べ物を百日の間やってあげれば、憎い姑の顔を再び見ることはないだろうと言った。

嫁は上機嫌で、餅を熱心に作ってあげた。
一か月経ち、二か月経つうち、姑は、餅を出してくれる嫁がありがたくなった。村の人々にもしきりに嫁を褒め称えた。お嫁さんも姑と仲がよくなった。結局、嫁が「憎んでいた」その姑は、本当に見られなくなったわけだ。これ以上憎まないようになったから。

この話は憎らしい人と対する知恵を教えてくれる。
誰かが憎くなったら、まず、自分が一番辛い。
そのとき、相手が必要とすることを目をつぶって百度だけしてやれば、
愛によって憎しみを消せるという話だ。

だがこの話は実は最近の世の中には合わない。
現代の嫁たちは、まず餅を100日も準備することはしない。
見たくなければそのまま見なければいいから。
もちろん姑が子どもの「」をしたり、生活費を支援する場合は例外だ。

診療室でもここ数年、姑のためにファッビョンにかかってしまった嫁は殆ど見ていない。
その代わり、嫁のためにファッビョンになった姑はたくさん見た。

ところでもし姑が餅を食べながら、誉めるどころか小言ばかり言い続けていたらどうなっただろうか。徳を積んでいけば、相手も感謝してこちらに対する態度を改めるという基本的な信頼があってこそ、「餅作戦」は成立しうる。それがだめなら「苦労して餅を作ってげてもこっちの気持ちもわからないなんて、もう勝手にしろ」と愚痴をこぼし、愛憎入り交じった情を完全にそぎ落としてしまうことになるだろう。そうなると破局だ。

昨今の我々の心の状態がそうではないか。私たちは憎かろうと可愛いかろうと、同じ釜の飯を食べて生きなければならない運命共同体だ。意見が違ったとしても相手にあんまりの振る舞いをしてはいけない。情を切り捨ててはいけない。ところで最近は基本的な信頼がない。「あの人たちは餅をあげても無駄だよ。その次にはご飯くれ、それから酒もくれっていうのが目に見えているもん。」 したがって餅をあげようとさえ考えない。それでは駄目だ。

憎いやつに餅をもう一つあげられる社会が、それでも、生きる価値のある社会だと思うのだ。

[出典]http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/09/05/2014090502142.html?csmain

♦ここまで引用♦



鄭会長の'成人用'秘話


韓国・現代グループの先代会長、鄭周永(ヂョン・ヂュヨン、1915年11月25日 ~ 2001年 3月 21日) の語った秘話をご紹介します。0905정주영_
朝鮮日報の記者が書いた記事です。

♦ここから引用♦
鄭周永会長は、それまで経験した自分の体験談や秘話などをとても気さくに、実に面白く構成して聞かせたりすることが得意だった。この中には'成人用'の話も含まれる。

1979年夏、鄭周永会長を団長とする20人余りの韓国経済使節団一行が約1週間間の
ナイジェリア訪問日程を終えて出国のためにラゴス空港に到着した。
空港に到着し、出国手続きを終えた彼らの心は単に飛行機の搭乗を待っているといった気分ではなかった。
一種の解放と安堵感で胸が張り裂けそうだったのだ。それには理由があった。

約1週間のラゴス滞在はほとんど耐え難い地獄のような日々だった。もちろん第一高級ホテルに泊まった。
しかし、とてつもない暑い天気にもかかわらず、ホテルの冷房装置がまともに動かなかった。
冷蔵庫も動かず冷たい飲み物1杯さえ飲むことができなかった。
暑さを少しでも減らす方法は、暇ができるたびに屋外プールに出て首だけ出して身を浸していることだった。
治安が不安で、公式日程以外は一歩もホテルの外に出ることもできなかった。

このような悪夢のような状況はホテルのチェックアウトの時最高潮に達した。
停電になってエレベーターが全面ストップになってしまったのだった。
空港時間に合わせなければならなかったため、いつ回復するか分からない電気をただ待つこともできなかった。
ホテルの職員は、きちんと動いてもくれなかったし、20人余りの荷物を一度に階段をつたってロビーまでおろすことはほとんど不可能のように思えた。
現地支社職員がいて彼らの助けを受けることのできた鄭会長をはじめとする代表団の一部を除いては、
汗まみれになって直接荷物を持って降りなければならなかった。

ほとんど10階以上の客室に泊まっていた代表団が荷物を持ってロビーに降りていく当時の姿は、今思い出してみても悪夢だ。
しかも代表団の半分以上が鄭会長をはじめ、キム・カクチュン京紡会長、ソルウォンシク大韓(テハン)紡織の会長、キムイプサム全経連常勤副会長など、
すでに60を越えた人たちだったため、このような状況下で、もしかして健康問題などが発生しないかと、しこたま緊張しなければならなかった。

信じがたい程だが、これが当時、ナイジェリアでの状況だった。
このような悪戦苦闘の日程を終え、ついに空港の出国手続きを終えて搭乗を待つ人々の心は、
すぐにでも高らかに万歳でもして、歌いたい心情であったことは想像するに難くないであろう。

そのとき案内放送がなった。空港事情のためわれわれが乗る飛行機が5時間程度遅れるという。
出国の期待が高まっていた代表団の失望感は並大抵のものではなかった。
しかし、しかたないことだった。空港と交渉して待っている間、代表団が別に使える小さな部屋をひとつ手に入れることができたのは幸いだった。

しかし、その時から新たな問題が生じた。彼らが待たなければならないこれから先の5時間は50時間のように感じられるようなはるか遠い時間だった。
しかも、これまでの苦労と緊張のあげく、心と体が完全に疲れ果てた状態だった。
そうかといってこの状況のもとで眠れる状況でもなかった。

このとき代表団団長であるだけでなく、最高齢者の鄭会長が乗り出した。
これらの退屈な時間をなんとか持たせるため '喜び組'エンターテイナーになることを決心したのだった。

伴奏もない状況で歌を歌うことはできない。だからといってビジネスの話も興がさめてしまう。
考えた末にみんなの関心と興味を引くことのできる「成人用、伝説を求めて三千里」を使うことにしたのだ。

以前も、鄭会長が気がおけない人びとと会食後の雰囲気を盛り上げるためたまにやっていた鄭会長のこの手の話は、レパートリーも多様だった。

ところが、同じ話でもその場の状況と雰囲気によって少しずつ変奏して作り出される。
普段むっつりやの財閥トップ鄭会長の語りの腕は、普通ではなかった。

一度彼が話を始めと、聞いている人はトイレに行くためにしばらく席を空けることさえ惜しいほど。それくらい会場を魅了させるのだった。
話の主人公が変わるたびにその人物と状況の雰囲気に合った裏声で、女性なら女性、屈強な男なら男、
そうした声を駆使しながら導いて行く彼の話の実力は、初めて経験する人にはその意外性のために衝撃に近いショックを受けるほど。

その日、ラゴス空港で彼が繰り広げた「成人用、伝説を求めて三千里」を要約・整理して紹介してみよう。

" 昔ある村にとても大きな大家が一人いた。
ところが世の中にうらやむことの無いようなこの宗家にも悩みが一つあった。あらゆる努力をしても子孫ができないんだな。
お祈りし、グッ(厄払いのような儀式)をしてみたり、体にいい薬という薬は全部飲んでみたが、さっぱりだ。
考えた末にシバジ(子を産むだけの女性)も雇ったり、いろんなことをやってみるが、
種が悪いのか畑がずさんなのか、全然効果がないんだ。

そうこうするうち、奥さまが霊験あらたかという噂の山奥の寺に百日の祈祷をしに行った。
ところで、本当に驚いたことに百日祈祷を終えた末に赤ん坊ができたんだ。月が満ちたる前にとうとう子供を産んだんだ。女の子だった。
どうして子どもが早く出たのかは私もしらない。たぶん父親とは一つも似てなかったとか。しかし、7か月の子でも8か月の子でも問題ではないさ。
この家に子どもができたわけだから、これ以上めでたいことがどこにあろう。村の人を呼び、牛をつぶし豚をつぶして宴を数日間した。
もちろん、その山中の庵にも少なからぬご褒美が送られた。

手で触ったがら壊れるんじゃないか、吹けば飛ばされるんじゃないかと(蝶よ花よと)育てた娘が、
いつのまにか18歳を超えて20歳の花のお嬢様になった。
ところで、なぜかこのお嬢さんはお嫁に行けなかった。1、2年の間に親までもこの世を去ってしまった。
突然に大きな宗家を統率する家長になったわけだ。
そのため婚期を逃し30代に入ろうとするところだった。
その時代には娘が二十を迎えただけでも、婚期を逸したということで結婚相手を決めることが難しい時代だった。

そんな中、夏が終わろうとするある日、隣村からある伝言が来た。
親戚の家に大事があるから必ず参加してほしいという内容だった。
親戚の家の大事に出ないわけにもいかない…。それで家の召使の中で一番優れて丈夫なトルセという男を選んで外出することにした。

ほとんどの時間、完全に家の中だけで育てられたお嬢さんは、外へ出たらとても不思議なことだらけ。
山を見ては驚き、水の見物をしては喜びと、ルンルン歩を進めた。そうしていきなり、深くはないが小川に出たんだ。ところで橋がない。
帰るわけにもいかないし、足袋と履物を脱ぎ、裸足で渡るしかない。しかし、どうして貴人のアシ(お嬢様)が、素肌を現わして川を渡ることができようか。
トルセと言う男がもじもじしながら背中をさしだす。

「アシ(お嬢様)、私の背中におぶさってください。」

特に暑い日でもないってのに、何歩も行かないうちにトルセは急に体がほてってきて体に汗が流れるのを感じた。今まで重い米俵一俵を背負う時も、そんなことはなかった。
汗が出始めて湿ってきた頑健なトルセの背中にぱたっとおぶさったお嬢さんも、いつのまにかトルセのように胸がばくばく。全身がほてるのを感じ始めた。
健康な男の下着から漂ってきた幽玄な汗の臭いにお嬢さんは溶け込むようにますます頭がくらくらしてきた。これまでに一度も感じたことのない症状だった。

ところで悪いことには、川の堤防につながれていた牛2頭が実に奇怪なことをしているではないか。どっしりとした雄牛が雌牛の背に乗って口からは泡のような汗のようなものを激しく噴き出しながら「そのこと」を大仰にしていた。トルセはきまり悪くて身の置き所もわからず、顔は真っ赤になって首を回したが、これがまたなんの仕業か、お嬢さんは目をぱっちりとあけて牛だけを見つめているではないか。そうして自分を負って行ったトルセの背中をを叩きながら自分も知らないうちに少しずつ速くなっている息を抑制し、ささやくように聞いた。

「ねえ、トルセ、あそこのあの牛たち、今何をしているんだい?」

ただでさえ、お嬢さんを背中に負って体は火のように燃え上がっているうえ、原因の分からない冷や汗までかいていたところに、トルセにとっては危険極まりない質問が飛んできた。事実をそのまま説明することもできず、お嬢さんの問いに答えないわけにもいかず…。

瞬間悩んだ末、自分なりに知恵を絞って返事をした。

「アシ(お嬢様)、あの雄牛がこの暑い天気で、今雌牛の暑さを抜いてあげようとあんなに苦労しているんです。その熱い熱気に耐えられず、汗を流すのを見てください。」

「ああ、そうなんだ…。」

知ってのことか知らずのことか、お嬢さんは頷きながら首をふって答えた。

そうしていつのまにか川を渡ってしまった。二人とも心の中では川をもう一度わたってみたいという気持ちが充満していたが、どちらもどうしても言葉を出すことができない。お嬢さんもトルセも、名残惜しさを感じながらも、特別のこともなく隣町まで何事もなく行った。

ところがその後からが問題だった。
宗家の小間使いのトルセは、もともとの運命にはじめからそうあったのかどうか「苦労」をすることになったのだ。暇さえあれば、アシ(お嬢様)がトルセを呼ぶのである。

「これこれ、トルセよ、お前ここに来て、私の暑さを除いておくれ。なんでこんなに天気が暑いのか、とうてい我慢できないわ。」

これはまたどうしたことでしょう。
夏が去り秋も去り冬が近づいても、お嬢さんの暑さ除きのおねだりと注文は継続されたんだとさ。
"

元ネタがどこかにあって鄭会長がそれを面白く脚色したのか、それとも彼の純粋な創作物だったのか、筆者は知る由もない。長い時間が過ぎた今もこの話をたまに思い出すとちょっと色っぽいところが、諧謔とヒューマニズムのにおいがぷんぷん漂う立派な短編小説の主題にもなりうるんじゃないかと思われる。とにかく、ちょっと見では想像できない鄭会長のまた別の姿が垣間見える話だ。
鄭会長はそんな面でも、生まれつきのリーダーだった。

出典:朝鮮日報
http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/09/04/2014090401895.html

♦ここまで引用♦

鄭周永会長は、一代で今の現代(ヒョンデ)グループを作り上げたやり手だった。
現代グループは今は現代自動車が一番有名だが、韓国では、現代建設、現代アパート、現代半導体など、やってない事業はないくらい幅広いグループ企業だ。現代に入社するのは狭き門だ。
鄭周永会長はまた、
1998年の6月と10月、2回にわたって計牛1,001匹をひっつれて板門店を越え北朝鮮に入った。出発する前、83歳の鄭周永会長は臨津閣(イムジンガク)で「今回の訪問が南北間の和解と平和を実現する礎になることを心から期待する」とその感慨をコメントしている。
こういうスケールの大きな経営者が日本にもいるだろうか。
1998年のあの「事件」をテレビでだが目の当たりにしたわたしは、そのスケールの大きさに激しく心打たれたものだ。いまも記憶に新しい。また機会を見て、鄭周永会長のことは書いてみたい。

脱原発_亀戸中央公園集会_0923

脱原発でずっとがんばっている広瀬隆さんのお知らせです。
(筆者が勝手に引用させていただいてます。)

広瀬隆さんは、あの2011年3月11日の大地震、それにともなう津波、原発の大事故を
その1年も前に予告し本として出版しておられました。 
                                               (『原子炉時限爆弾』ダイヤモンド社 2010/8/27)

場所こそ浜岡が福島となっただけで、すべてのことを彼は予言、予告していました。
恐ろしいほどの「預言者」です。

F1があのような信じられないほどの爆発をして、放射能を撒き散らし、
福島の人々からふるさともなにもかも奪い去ったにもかかわらず、
与党自民党はそれに懲りることなく川内原発再稼働の合格証というイカサマをおし進めています。
この地獄の連鎖反応を阻止する以外、
日本の生き残るべき道はないものと思われます。

9月23日の亀戸中央公園の集会に参加できる人が一人でも多くあることを祈ります。
東京近郊にお住まいの方は、ぜひ、ご参加のほど。
よろしくお願いします。


♦ここから引用♦
【広瀬隆】9月23日の集会に関する緊急のおしらせ
全国のみなさま  広瀬隆です

みなさまご存知の通り、怪しげなデング熱の流行のため、9月23日の大集会には代々木公園が
使えなくなり、急遽、東京・台東区の亀戸中央公園に会場が変更になりました。

そもそも、例年に発症していた「風邪と同じような、たいした症状でもないデング熱」が、
今年だけ、最初から患者のウィルス特定ができることなど、医学的にあり得ないことですが、
誰が仕組んだにせよ、代々木公園で強行することができなくなった事実は動かせません。

というわけで、9月23日の集会は参加者が大幅に減ると予想され、ヘリコプターによる空撮と
インターネット配信は、今回は中止としました。

ヘリ空撮には費用が相当にかかりますので、みなさまからの貴重なお金を活かせるよう、
大きな効果が得られる次回の大集会を待ちます。

ただし、今日の状況は、川内原発再稼働の合格証という、トンデモナイ、日本の
地獄の連鎖反応を予想させる事態に至っていますので、無理は申しませんが、
9月23日の亀戸中央公園の集会に参加できる人は、ぜひともいらっしゃってください。
予想以上の参加者であることを祈ります。
そして9月27日に川内原発現地集会~9月28日に鹿児島市の大集会へと、つないでゆきます。
私たちの敵は、天狗熱に浮かされている魑魅魍魎の安倍晋三ファシスト連合です。

参考に申し上げておきます。
1999年に東海村で臨界事故が起こり、現地では、排気筒から放射性ヨウ素が検出され、
中性子が放出されたにもかかわらず、安全宣言が出された。

そこで小渕恵三首相が現地を訪れ、野菜市場で野菜料理を食べてみせ、「何でもない」と
発言した。
食べてすぐ放射能の影響が出るほどなら、その土地は生物の存在しない廃墟である。

しかも首相の放射能測定器は針がふれなかったが、報道陣が持参した測定器では、
同じ時に同じ場所で針が大きく動いた。
この総理大臣は、それからほどなく、首相在任中の翌2000年5月14日に死去した。
その娘が、今度の経済産業大臣であります。

出典:日々雑感 http://hibi-zakkan.net/archives/40151725.html

♦ここまで引用♦

わが輩は

わが輩は犬である。
わが輩は豚である。
わが輩は馬である。
わが輩は鶏である。

と、書いてみると、やっぱ、

わが輩は猫である

がいちばんしっくりときます。

これはこれまであまりにも接しているために、それが一番自然に感じるのだという側面もあるのかもしれませんが、
ここで問題にしたい(誰に頼まれたわけでもないのですが)のは、
「わが輩は」ときてそのあとに来る動物の名前が「猫」でないと、どうも落ち着かない、しっくりとこないのではないか、 というわたしの感覚についてです。

これはわたしだけなのかもしれませんが、「わが輩は」ときたら、次にくる動物は「猫」以外、考えられません。

「馬」や「犬」や「牛」などはすこし可能性があると思います。
こういった動物たちは、けっこう考え深そうな表情をしますし。

でもやはり、猫くらい考え深そうな表情をする動物はいないですよね。

目をつむってじっとしているときもそうだし、
目を半目に開けて対象をじっとみつめているときなんかもそうだと思います。
形而上学的なことをもしかすると考えているんじゃないかと思わせたりしますよね。
とにかくこれだけ思わせ振りな動物は他にありません。

漱石が猫を飼っていて、その猫を主人公にして書いた小説が「わが輩は猫である」らしいですが、
タイトルのつけかたとしてはこれ以上にない、ものすごくピタッとくるタイトルになっているわけですね。
動物以外でやってみるとどうなるでしょうか。

「わが輩は医者である」
と、こういったら、傲りたかぶっているものの言い方のようですし、

「わが輩は大学教授である」
というのも、傲っていて傲慢な感じです。

「わが輩はスカイツリーである」
こうなると、すこしいい感じです。
何かが語られるかな、という期待感がちょっと出てきますよね。

それでもやはり、「わが輩は猫である」よりはレベルは下だと思われます。

ほとんど意味のない考察なんですが、
猫というものの、不思議さというか偉大さというか名状しがたさというか神秘さといったものが、
少し浮き彫りにされる結果になったのではないでしょうか。

火曜日の未明、ぼーっとしながら書いた文章です。きょうもよき一日になりますように^^。

さようなら原発 米沢

米沢のほうに、こんなすばらしい集まりがあったとは驚きです。
その名も、「さようなら原発 米沢」。

米沢は1Fから100キロそこそこですが、
吾妻山という2000メートル級の山があってくれたおかげと、
3.11、3.12、3.13、ごろの風向きが北風(北西風)であってくれたおかげで
案外近い距離のわりには、放射能の被害は微少でした。(ただ、ゼロとはいえないですね;;;)

3.15のころには、たくさんの福島県の方々が
米沢の地に避難して来られてました。
わたしはここ韓国の地から、ネットを通じてそんな状況を知りました。
いまでも米沢で避難生活を送られている方がいらっしゃると思います。
最大限のことをして、助け合って生きたいですね。
当時、我が家の提供も申し出ましたが、
いろいろの事情があってそれは実現しませんでしたけど。
下は、高橋寛さんという山形大学名誉教授による講演があった模様ですが、
その時のスケッチです。あるブログからお借りしました。

♦ここから引用♦

初めて、参加しました。
「さよなら原発 米沢」です。

この日は、山形大学名誉教授の高橋寛さんによる講演でした。0822takahaxhi hiroshi 
会場へ入ると、やはり、ですが、若者は全くいませんでした。

高橋さんは、大学卒業後日本原子力事業という会社で
高速増殖炉にかかわる実験を担当していたそうです。

液体金属を、どうしたら安全に運べるか?
どの金属が適していて、
事故なく運ぶにはどうしたらいいか、実験を繰り返しました。

液体金属を通すパイプにはアスベストが使われました。
穴が開くなどすると随時補修するため、常にアスベストにさらされます。
アスベストは潜伏期間が30年ほどだそうで、
高橋さんは最近の健康診断でアスベスト被害が報告されたそうです。

実験を繰り返し、たどり着いた結果を高橋さんの会社は報告しました。
だけど、その報告は「安全」を保障したものではありません。
液体金属を繰り返し流したことでパイプが使えなくなり、実験の継続ができなくなったため
そこまでの時間は確認できた、という報告でした。

高橋さんは言います。
原発は、頭の中でのシュミレーションはできても
車のように実際に事故を起こして検証をすることはできません。
ですから、もんじゅの運転を任された人は気の毒だ、と。

高橋さんは4年でその会社を辞め、大学院に入学し大学の教授となりました。
オイルショックの影響もあり、かねてから関心のあった風車を学生とともに制作しました。

実際に設計し、設置し、運用し、見えてきたこと。
自然エネルギーは広く薄く分散されたエネルギーであるので、
それをかき集めて利用するのはかなりの知恵と工夫が必要だということ。


高橋さんは、両方を経験し、熟知されているのです。
原発の便利さと恐ろしさを。自然エネルギーの良さと難しさを。

高橋さんは、エネルギー問題以外にも人が「働く」意義や消費社会についても触れていました。
様々な問題を加味しながら、高橋さんは自分の生活の一つ一つを選び取っています。

豊かな生活に慣れている私たちは、今すぐ電気や石油を使わない生活にシフトすることは無理です。
パソコン、インターネットとった便利なものは、これからも発達していくもので
嫌いだからと言って使わないという選択はなかなか難しいでしょう。

それらを受け入れつつ、高橋さんは
薪ストーブで暖をとり、ストーブの炭を撒いて家庭菜園をし
自分で作った野菜を食べ、太陽熱温水器で温めた風呂に入ります。
それらは、電気やガスを失ったときに生き延びるための訓練でもあり
その「不便さ」が生活の楽しみにもなっているのです。

講演の後は、質疑応答の時間となりました。
高速増殖炉は運転されるのか?
小泉元首相の時代に原発が増えたのにいま脱原発を唱えているのはなぜか?
といった、答えにくい質問はさらりとかわし専門家だからこその回答が出されました。

知ること。
そして自分の生き方を見つめ、変えていくこと。
その潔い姿勢がとても素敵だと思いました。
高橋先生が絶賛していた書籍「里山資本主義」、読んでみたいと思います。
ブログ:Sonatelamh http://sonatelamh.blog104.fc2.com/blog-entry-271.html

♦ここまで引用♦

原子力に携わった人が「さよなら原発」を叫ぶ時代になりました。
原発はそれくらい危ないものなのです。
専門家がこのようにして自分の知識と経験を生かして
原発反対、脱原発を先導する時代になりまして、本当にすばらしいと思います。

日本のあちこちで脱原発を叫ぶ専門家の方が増えてきました。
大いに歓迎すべき出来事だと思います。

そういった専門家の方が、腹の底から思いのたけを叫べるように
われわれ素人がなんとか手を携えていきたいものです。
こうした専門家の方の意見がかき消されることのないよう、
強く支持の声を上げながら、やっていきたいものです。

日本から原発がなくならない限り、日本の未来はないといっても言い過ぎではありません。
あんな過酷事故があってまだ再稼動でもめている自民党。
なんと情けない人種でしょうか。

日本全国の心ある皆様、原発をすべて廃止する方向で歩んでゆきましょう。
玄界灘の向こうからいつも祈っている筆者です。

私の一年 _ 学生エッセイ0042

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその42回目で、女子学生CSRさんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)



<私の一年>

  大学に入ってサークル活動をした私の1年、また自己啓発しようと思い日本という国に行くことになった1年、二つともとても大切な時間だった。サークルに入って過ごした私の1年はお金を払っても買うことができない思い出と人間関係を作ってくれたし、日本へ行ってきたその時間は私を成長させてくれた1年ではないかと思う。自分を成長させてくれた日本滞在、私の20代の最も大きな1年ではないかと思われるその1年について話そうと思う。

  まず私は日本語にあまり関心もないし、勉強したくないから学校にいかないとか、サークルだけしながら過ごしていた。一言で言えば学校の周りをうろつき廻るだけのどうしようもない学生だった。大学2年間をそんなふうにむなしく過ごしていたある瞬間、"あっちゃ!"と気つき、今私ができることは何だろう、やりたいことは何かという思いが脳裏をよぎった。そうだ、日本にいこうと思ってあちこち調べたが、成績は良くなかったし、交換留学では成績が足りないような気がして、調べたものがワーキングホリデーだった。このため工場で3ヶ月間働いて執拗に稼ぎ、そしていよいよ日本に発つことになった。

  最初はとてもつらい事も多く、無視もたくさん受けたが、勉強することができる機会を逃した私の愚かさ故のことだと考えて我慢した。それを3ヶ月。それからあちこち旅行にいくようになった。北海道、九州、大阪のあちこち。

  正直に言って私は日本に行ってきた今でも日本語はそれほど上手ではないと思う。でも私は日本語をうまくなろうとして行ったのではなく、自分の経験ときっかけのために私の自信回復のために行ったのだ。そういう意味で私に与えられた最も大きなプレゼントだった。言語を話すことは本当に難しい事だ。聞きとることはたいてい可能だが、言うことは自信がない部分も多い。あと2学期が残っている。これからももっと努力して前に進みたい。

友だち _ 学生エッセイ41

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその41回目で、女子学生 JSHさんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)


<友だち>
私には24年目の友達がいます。この友達とは記憶がない赤ん坊の頃から同じ教会に通っていました。また幼い頃は1分もかからない距離に住んでいました。ケンカもたくさんして楽しく遊んだりお互いの家の状況もすべて知っているこの友達とは、お互いに知らないことがないほどとても近い間柄です。私が日本にワーキングホリデーに行ってきて半年ぶりに会っても昨日会ったような親しみがあります。今は他の地域に住んでいますが、いつもお互いを考えていつでも頼れる友達です。お互いに何も言わずにただいても平気だし、目だけ見ても何を欲しがっているのかがわかるほどの親しい友達です。このような友達が私のそばにいて本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これからもこのような友達と、またすべての人々と良い関係を維持しながら思いやりの気持ちをもって生きて行きたいと思います。


<친구>
저는 24년 지기 친구가 있습니다. 이 친구와는 기억이 없을 때부터 같은 교회를 다녔습니다. 또 어렸을 때는 1분도 걸리지 않는 거리에서 살기도 했습니다. 다투기도 많이 하고 즐겁게 놀기도 하고 서로의 집안일들도 모두알고 이 친구와는 서로 모르는 것이 없을 정도로 아주 가까운 사이입니다. 제가 일본으로 워킹홀리데이를 다녀와서 반년 만에 만나도 어제 만났던 것 같은 친근함이 있습니다. 지금은 다른 지역에 살고 있지만 언제나 서로를 생각하며 어떤 때라도 기댈 수 있는 친구입니다. 서로 아무 말이 없이 그냥 있어도 아무렇지 않은, 눈만 봐도 어떤 것을 원하는지 아는 정도의 친한 친구입니다. 이런 친구가 저의 곁에 있어서 정말 감사한 마음이 듭니다. 앞으로도 이런 친구들과 또 모든 사람들과 좋은 관계를 유지하며 남을 배려하며 살아가고 싶습니다.

秋夕

韓国でも振り替え休日制度が今年から導入です。

ことし9月7日からの「秋夕連休」がはじめての試みのようです。

「秋夕」というのは「チュソク」と発音し、旧暦の8月15日のことです。
日本のお盆とちょっと似た儀式ですが、お盆そのものとはちがいます。
お盆は仏教儀式、秋夕は宗教を離れての民族的な儀式。
この部分が一番違うのかな。

旧暦の8月15日が今年は陽暦の9月8日(月)です。
秋夕をはさんでその両2日がもともと休みになるので、
9月7日(日)、9月8日(月)、9月9日(火)
が休みとなります。

ここで9月7日(日)が日曜日なので、この日の振り替えが10日(水)となり
7日(日)から10日(水)までが連休となりました。

今年からの施行なので、
カレンダーによっては、10日(水)が赤い日になってるものと、
10日(水)が赤くなってないものと、2種類あって、おもしろいです。(写真参照)
同じ9月なのに、10日の部分に注目してください。

0830_9월calendar 

0831_9_cal.jpg 

日本は旧暦の8月15日は仲秋の名月の日ですね。
お月様を拝みながら、すすきやあけびなど、秋の味覚(実り)を窓辺に並べて過ごす
厳かな日ですよね。
今はもうそんな儀式をしないのかもしれませんね。
わたしが子どものころには、自宅の東の窓辺に食卓を置いて
その上にすすき、あけび、ホウズキ、はぎ、などを並べ、さらにだんごだったか、
そんなものをおいてひとときお月様を眺める。そういうときもありました。
今となっては、なつかしい時間です。
皆さんは、いかがお過ごしの予定でしょうか。^^



 | HOME |  古い日記に行く »

文字サイズの変更

プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

韓流 (94)
学生エッセイ (81)
ランの窓 (2)
心と体 (12)
韓国のジョーク (4)
ふるさと (55)
詩 (12)
釜山さむらい (6)
数学 (9)
サッカー (11)
筆者のエッセイ (28)
未分類 (31)

カレンダー

08 | 2014/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

検索メニュー

RSS リンクの表示

リンク

이 블로그 링크에 추가하기

ブロとも申請フォーム

블로그친구신청

FC2Ad

Template by たけやん

動画ランキング