天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

轉禍爲福


ある無人島での話。

ある新聞記者が遊覧船に乗っていた。
遊覧船が南洋群島を通り過ぎる途中、つい暗礁に突きあげ沈没してしまいました。
多くの人たちが水に溺れて死んでいくなか、
その記者はなんとか丸太につかまって…無人島に到着し生きることができました。

無人島に到着はしてはみたものの、生活のめどがたちません。
しかし、何もせずじっとしていて死ぬわけにもいかず、
素手で木を切り、すすきを抜いてきて家を建てました。

数日後、家が完成し風と寒さをなんとかしのぐことができるようになりました。

一方食べるものがないため魚を捕って食べたりも。
しかし、何より必要なのは火でした。

彼は自分が知っている手段を利用して火を作ろうとがんばりました。
そうだ、石と石を叩いて火を作ろう。
数時間の後、火の粉がはぜ始めました。

ついに火を熾して魚を焼いて食べ、人生もまんざらでもないなどと一人感慨に耽っていました。

次の瞬間。風が激しく吹き、火の粉が家に飛び火してしまいました。
数日間、血の汗を流して作った家は瞬く間に焼け落ちてしまったのです。

記者はあきれて涙も出ません。彼は空を見あげて、大声で喚きました。

「神様! こんなことがありえますか? 
生きのびようとこんなにがんばっているのに、こんなこと、ありえますか? 
私がどれだけ苦労して家を作ったか、よくご存知じゃないですか? ほんと、酷すぎます」

記者はあまりにも落胆して、神様に対する恨みを爆発させました。

ところが、その時変な音が聞こえました。

「おーい」と呼ぶような船の汽笛の音でした。
びっくりした記者はふっと仰ぎ見ると水平線のかなたに汽船が現れたのです。
そしてスピードを高めながら記者がいる無人島に向かって全速力でやってくるではありませんか。
船長と船員がボートに乗って記者を救出しました。彼らは 

「無人島から突然煙が見えたんで飛んで来たんだ」

と言いました。結局、記者は自分が作った家が焼け、さらにその煙のために復活したのです。
災い転じて福となす(轉禍爲福)とはまさにこのこと。

「災」が変じて「福」になることもあります。
今の困難な状況に文句ばかりいうのではなく、
強靭な精神力と不屈の意志で挑めば、不幸も幸に変わることでしょう。

あるサイトにあった話ですが、アドレスをメモせずここに示せません、スイマセン。

よくある話ですよね。
真新しいことはないのですが、家を作る苦労、火を熾す苦労、家が焼ける落胆、
それゆえの救出、という流れはあまり見たことがないので、アップしてみました。
ちょっとは楽しんでいただけたかな。



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調和級数(1) _ 数学の話題005

きょうは、小学生でもわかる分数について、書きます。
下の式を見てください。非常に規則的に並んだ分数の足し算です。

その分数とは、

1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + 1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 + 1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 +…= ???  (a)
(1/2 は 2分の1のことです。その他も同様)

ということで、

1足す、2分の1足す、3分の1足す、4分の1足す、5分の1足す、、、、

と永遠に続く分数を足していったら、全体の和はどうなるでしょうか、というものです。
どうでしょうか。
だいたい勘のようなものが働きますか。

はじめは「1」。これに「2分の1」を足す。すると1.5になりますね。
さらに「3分の1」を足す。すると3分の1はだいたい0.3333ですから、1.833333,,,,,
となります。

これに「4分の1」を足す。これは0.25ですから 1.833333,+0.25=2.08333,,,,
となります。こういう作業をずうっとずうっと続けていくわけですね。
分数そのものはだんだん小さくなります。
しかし個数は1000個、1万個、100万個、1億個、1兆個、、、と
だんだん増えていきますね。
分数そのものはだんだんゼロに近づいていくけど、個数は無限に増えていく。
1 そして 1.5 そして 1.83333 そして 2.083333  そして 2.283333 (1/5まで足したもの)

これをずうっと計算していくことは不可能です。
何かいい方法で、この値が何かの数値になるのか、無限大に発散してしまうのか、
知りたいところです。
うまい方法はあるでしょうか。

きょうは問題提起だけにしておきます。(すいません。時間がなくて)ここまでアップ。

ちなみに、上の (a)の式、つまり

1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + 1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 + 1/9 + 1/10 + 1/11 + 、、、

と永遠にこのスタイルで足していく式を、数学者は「調和級数」と名付けました。
美しい数式ですよね。形が整っていて。

ちなみに、この式を1万個ほど足し算しても「9」ぐらいにしかならないそうです。
つまり1/10000 まで ずうっと足していっても「9」くらいにしかならないわけです。
ものすごくゆっくりゆっくり増加していくんですね。
暇な方は一度挑戦してみてください^^
                                                                        (素数に憑かれた人たち』より。)

珍島物語

この大惨事になにが歌かと、不謹慎のそしりを免れないかもしれないが、
あえて書いてみたい。
天童よしみ。「珍島物語」。1番目の歌詞を書いてみる。


海が割れるのよ 道ができるのよ
島と島とが つながるの
こちらジンドから
あちらモドリまで  
海の神様カムサハムニダ

ヨンドゥンサリの願いはひとつ   
散り散りになった家族の出会い
ねえ わたしここで祈っているの
あなたとの愛よふたたびと
                                                   ♬


珍島(ジンド)沖合いで沈没した今回の船セウォル号。
1週間前の4月16日朝9時。
テレビ画面にはセウォル号の船体が大きく傾いている姿が映し出されていた。

このときには、全員助かるな、と思っていた。
あとでわかったが、テレビの画面はリアルタイムの映像ではなかったようだ。

このニュースに接したときから、
この「珍島物語」という歌が頭の中に木霊していた。

わたしは、天童よしみのファンではない。
でも彼女のこの歌は前から知っていた。

韓国の珍島(ジンド)なんて、普通の人(日本人)はほとんど知らない地名だ。
それを歌にしたわけだ。

どういういわれでこの歌ができたんだろうか。
この歌をはじめて聞いたときから、そのいわれに関心があった。

歌詞を再度見直してみると、
上にあるように

「散り散りになった家族の出会い
 ねえ わたしここで祈っているの」

とあるではないか。今のご家族らの心情をそのまま歌っているようで、
切なさがこみあげてくる。

事故に接して歌のいわれが解明されたわけではないけど、
家族らの気持ちをそのままに歌うこの歌のように

「ここで祈っているわたし」の前に、

どうか生きて姿を現わしてほしいものだ。

一人の生還でも強く祈りながら、、、。


(※) ヨンドゥンサリとは、
영등사리(霊登사리)と書き、
ジンド(珍島)の古郡面(ゴグンミョン)回洞里(フェドンリ)と
義新面(ウィシンミョン)茅島里(モドリ)の間の海が割れて
陸地として繋がる現象。

漢字も「霊登」と書くあたり
この地の人々、あれを霊的な現象と見たのだろうか。

アジア版「モーセの奇跡」とも言われている。

昔は「ヨンドゥンサリ」と言ってお祭りをしていたが、2006年の29回目からは
「ジンド神秘の海の道祭り」(진도 신비의 바닷길 축제)と呼んでいる。

動画参考サイト:
http://www.ehistory.go.kr/page/pop/movie_pop.jsp?srcgbn=KV&mediaid=10295&mediadtl=21771

動画はちょっと古いもので多分1970年代のもの。
動画のはじめに、ワンちゃんが出てくる。
秋田犬みたいなかわいいワンちゃん。
これは「ジンドッケ」といってジンド産の名犬なのである。
血統種で、純粋なジンドッケはかなり高価であるらしい。
頭がよくて運動能力も高いワンちゃんだ。
秋田犬や柴犬に匹敵する韓国を代表するワンちゃん。

韓国と日本から聞こえた「天使の声」

あんな勇敢なこと、自分にできるだろうか。
このコラムの筆者と同じようにわたしも考えさせられたことです。
遠藤未希さんとバク・ジヨン(박지영)さん。
この崇高な精神のかけらでも、受け継ぎたいと思います。
以下、韓国・中央日報のコラムです。


【噴水台】韓国と日本から聞こえた「天使の声」

彼女自身も耐え難いほど怖かっただろう。22歳、大学を休学して乗客案内を担当する乗務員として船に乗ってからまだ1年半だった。だが予想できない事故でも毅然としていた。あわてる生徒たちに3階と4階を行き来しライフジャケットを配り、「お姉さんは?」という生徒たちのあせった呼びかけには、こう答えた。「船員は最後。君たちを救ってから、私は後から出て行くから」。セウォル号沈没事故で最後まで乗客を助けて命を落とした乗務員パク・ジヨンさん(22)のことだ。

  もう1人の人物が重なる。3年前の3・11東日本大震災当時、日本の宮城県の漁村、南三陸町の役場職員だった遠藤未希さんだ。当時の年齢は24歳。結婚8カ月の新妻だった。マグニチュード9.0の大地震が東北地方を襲った午後2時46分、危機を感知した彼女は2階の放送室に飛び込んでマイクを握った。「高さ6メートルの大きな津波(地震津波)が来ています。直ちに高い場所へ避難してください。海岸付近には絶対に近付かないでください」。津波が陸地まで飲み込むのにかかった時間は30分余り、彼女の声はずっと町全体に鳴り響いていた。その差し迫っていた叫びを聞いた7000人余りの町の人たちが、高い場所へ避難して助かった。結局、建物を襲った津波に飲み込まれた彼女は、地震発生後1カ月以上経ってから、冷たい遺体で故郷の海辺に戻ってきた。

  先週のセウォル号事故発生以後、2人のことが脳裏から離れない。2人ともベテランというにはまだまだ若い年齢だった。自身が日常的に遂行していた業務が、これほど危険千万になるということを彼女たちは知っていただろうか。夢にも思わないような危機が目の前に近づいた瞬間、自分ができること・すべきことだけを考えて頑なにその場を守る、その力はどこから出てきたのだろうか。私なら、私だったら、そんなことができただろうかと思うからだ。

  崇高な彼女たちの死は、人々の心を動かした。日本人たちは大震災後3年が過ぎた今でも、「天使の声」という名前で遠藤未希さんを忘れていない。彼女がマイクを握りしめて命を失った現場には追悼の足が途絶えず、小中高校の道徳の教科書には死によって義務を果たした彼女の話が載っている。私たちも、セウォル号を最後まで守ったこの若い乗務員の名前を、長く忘れないでいたい。日常のために簡単に忘れてしまいそうな、私がしているこの仕事の重く厳重な責任を再確認させてくれる、この「天使」のことを。


参考サイト 中央日報
http://japanese.joins.com/article/467/184467.html?servcode=100&sectcode=140&cloc=jp|article|ichioshi



孟骨水道 (メンゴルスド)

回の韓国での大型旅客船事故のあった現場は、
メンゴルスド(孟骨水道)という地点です。

天童よしみの「珍島物語」という歌の舞台となったあのジンド(珍島)。
海が割れることで有名なあの珍島から10キロほどのところにある海がメンゴルスドです。

韓国では2番目に水流が激しく速い水道として有名です。世界でも5番目といいます。
ベテランの船乗りもこの水道は避けたいという場所のようです。

経費節約のために、今回の船はこのコースをとったみたいですね。
遠回りするよりこのコースがヂェヂュド(濟州島)に行くためには近道のようです。

文章は朝鮮日報のコラムから。


♦ここから引用♦

1816年、英国海軍ライロホ艦長バジル・ホールが
中国往復する道に朝鮮西海岸を見学して旅行記を書いた。
彼は珍島南西島の峰に上がって沖合に点々と浮かぶ島々を見ながらその絶景を
「世の極致」と著わした。

現在鳥島群島(ヂョドグンド)展望台がある上鳥島(サンヂョド)ドリサンだ。
珍島郡が擁する島230個のうち154個が鳥島群島に集まっている。
有人島35個、無人島119個だ。
晩才島(マンジェド)を新安郡に含める前には、
海も合わせた広さが忠清北道くらい大きかった。

ドリサン展望台に立つと、群島の名前がなぜ、鳥島(ヂョド)なのかわかる。
多島海(ダドヘ)が円形スクリーンのように壮大なパノラマを繰り広げる。
空は青く海霧の立ち込める海は白い。
ぼこぼこと頭をつき出している島々は、
だんだん遠くへいくほどパステルトーンのように色が薄れる。
巨大な湖に羽根を休める鳥の群れのようだ。

展望台からは
群島の南端にある観梅島(グァンメド)と西南端にある孟骨島(メンゴルド)まで見える。
観梅島は「梅を觀る」というは素敵な名前のおかげか、旅の名所になった。
見晴らしの良い山、「見る山」という意味の「ボルメ」だったのを、
日帝(日本帝国)が勝手に変えた漢字の名前だ。
 
孟骨島(メンゴルド)は珍島から53キロ離れており一番遠い有人島だ。
メンゴル(孟骨)は「一面の岩」という意味。
孟骨島の両側に位置する藿島(グァクド)と竹島(ヂュクド)にはお年寄りだけが住んでいる。
寂しい島に夏には陸から子供たちが来る。
岩に付いたわかめを夏の時期に取り公平に分ける。
この鳥島群島のわかめは、「ジンドグァク(珍島藿)として珍重されている。
その中で一番が「メンゴルわかめ」だ。
10枚たばねた一束が100万ウォン(約10万円)もするという。

孟骨島と観梅島の間を通る航路がメンゴルスド(孟骨水道)だ。
一日に何百隻も、西海(黄海)から済州島や南海に向かう船が行き来する水路である。
珍島大橋の下を流れる鳴梁海峽(ウルドルモク)の次に流れが速い。
6ノット、時速11キロに達し、今潮流発電を準備している。
孟骨水道に沿って行けば暗礁もなく深さも30mをちょっと超えるが
過去10年で58回も事故が起こっている。
セウォル号はメンゴルと観梅島と無人屏風島の3点に囲まれた三角海の真ん中に沈んだ。

鳥島面バク・ジョンドゥク村長は16日朝、
交番から「メンゴルに旅客船沈没中」という連絡を受けた。
そのニュースは鳥島群島、漁村係・里長・青年会に広がり、
60隻余、150人余りの漁民が仕事を放り投げてメンゴルの海に走った。
大きいのは5トン、小さいのは1トンの船がセウォル号のそばで木の葉のように漂いながら、
60人余りを救った。
翌日も10人が船を駆って出、捜索チームを応援した。

責任ある人々がおろおろと右往左往しながら様子を見ているすきに、
漁民らは生業もそっちのけで全速力で突っ走っていった。

誰かに命令されたわけでもない。風景と同様に美しい鳥島群島の人たちが惨劇の海で輝いた。
0420menggol.jpg
参考サイト:朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/04/18/2014041803203.html?opi01

♦ここまで引用♦



いやがる娘を私が送ってしまった…

あるお母さんの話です。
きのうに続いてやはり韓国・中央日報の記事です。(翻訳 筆者)

♦ここから引用♦
CNNが珍島旅客船沈没で不明となっている娘を待っている一人のお母さんの話を報道した。
CNNは17日、
「悲しみに包まれた母: 自分の娘が水の中にいる(A Mother's grief:My daughter's in the water)」という記事で、キム某さんの事情を報じた。

CNNは「絶え間ない雨と風が涙にぬれた顔に吹きつけるが、
クリスティーン・キム(Christine Kim)は冷たい灰色の港に立っていた」というタイトルの記事を
伝えた。

彼女は
「西海の波を指して、あの水の中に私の娘と私が教えていた子供たちがいる」と述べた。

塾の英語教師として仕事をしているキムさんの娘と友達は済州島への修学旅行に行くために
セウォル号に乗りこんだ。
ダンウォン高校に通っているキムさんの娘ビリーは、今度の旅行に行くのをいやがった。

ビリーは「2ヶ月前に行ったから今度は行きたくない」として行くことを望まなかった。
しかし、キムさんは「学校生活で忘れられない思い出になること」とし、娘を説得した。
娘ビリーは15日火曜の夕方、セウォル号に搭乗した。

キムさんは「すべてが私のために起きた事」と、嗚咽した。

16日の事故発生以後、沈没地点から20キロ離れたジンド(珍島)のペンモクハン(彭木港)に
行方不明者の家族たちが集まった。

彼らはプラスチックの椅子に座って毛布をまとったままカップラーメンで飢えをいやし、
子供らの生還を待っている。
学生の祖父母と見られる一人のお年よりは、
まるで祈りをするように携帯電話を手に握りしめている。

キムさんは
「もう30時間以上過ぎた。娘が寒い海の中にいるのに、どうして寝ることができましょうか。
   目をつぶることもできない」と述べた。

事故以後、韓国メディアはセウォル号の中の学生たちから送られた文字メッセージを報道した。
闇の中で女子学生たちが悲鳴をあげているというものもあったし、
ある父親は娘が船室に閉じ込められているというメッセージをもらった。
ある男子生徒は死を恐れながらお母さんに愛するというメールを送った。

親たちは生存者がさらに発見される可能性があるのに、
当局が子供たちの文字メッセージを真剣に受け止めていないと話した。

キムさんは「私たちは船にいる子供たちからの文字メッセージを受けているが、
政府は私たちを信じていない」と述べた。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は現場を訪れ家族たちを慰めた。
朴大統領は、潜水要員に「最善を尽くしてほしい」と呼びかけた。

しかし、キムさんは「政府はうちの子らが水におぼれているにもかかわらず、
   政府のした仕事は今まで何があるのか」と非難した。

取材陣が、娘がなぜ「ビリー」という男の名前を持つようになったかを尋ねた。
キムさんは
「娘は幼い時からヤギが好きだった。それで娘は自分のことをビリーと呼んだの」と説明した。

キムさんは娘を依然として待っている。
娘ビリーは、お母さんに済州島からおいしいお菓子を買ってくるよと約束したためだ。

中央日報:
http://joongang.joins.com/article/392/14487392.html?ctg=1200&cloc=joongang|home|newslist1

♦ここまで引用♦


かなり辛い記事です。胸が痛くなります。
キムさん、自分のことをあまり責めないでほしいです。そう祈るばかりです。

文字メッセージが送られてきた部分については、確かな事実が確認されていないため、
なんとも言いがたいですね。
公式的には「まちがい」「いたずら」として処理されてますが、
どうなんでしょうか。キムさんの言うとおり、事実なのかもしれないし…。


一等になれ

18日、韓国・中央日報のコラムにおもしろい内容がありました。
ご紹介します。

♦ここから引用♦

ホワイトハウスを見学したある少年がケネディ大統領に尋ねた。
「大統領はどうやって戦争英雄になられたのですか?」
 
笑顔を浮かべた顔でケネディが答えた。
「それは全てほかの人たちの意思によるものだったんだよ。
    敵軍は私の船を沈没させたのだからね」。

自分の意志で英雄になることはできない。
意志と関係なく近づく危機にどう対処するかが、英雄と卑怯者との運命を分ける。

ケネディの場合はこうだった。
1943年8月、南太平洋のソロモン諸島で米軍の魚雷艇が日本の駆逐艦の攻撃を受ける。
魚雷艇の指揮官が26歳のケネディ中尉だった。
彼は生存していた部下10人を率いて、はるか遠い島まで泳いで行くことに決めた。
自身も負傷していたが、もっと怪我をしていた兵士を縛ったひもを口で噛みながら
15時間も泳いだ。かろうじてたどりついた島は無人島だった。

自制力を失いそうになる兵士たちに冗談を言って励ました。
食べ物を探してこの島あの島とさまよった彼らは、
ナウル島で原住民に出会い6日後に救出された。

実際、ケネディが大変な英雄的犠牲を払ったわけではなかった。
自身が何をすべきか分かっていたし、自身ができることに集中しただけだった。
だがそれでもケネディは戦争英雄になり、華やかに政界デビューを果たした。

フランスの小説家ロマン・ロランが『魅せられたる魂』で書いた話そのままだ。
「偉大な人は自分ができる事をする。しかし凡人たちは、できる事もしないで、
    できない事ばかり望む」。

ロランの言葉のように人間の不幸は自らできる事をしないところから始まり、
社会の不幸は、社会構成員が各自がすべき事をしないところから始まるということだ。

多くの災難がそうだ。今回のセウォル号沈没もやはり船舶会社や船長・乗務員らが
自らやるべき事をしないところから始まった面が多く見える。

そうやって自分がすべき事をしない人々が集まって不良共和国・大韓民国を作る。
この地で、とんでもない災難が終わらない理由だ。

伝説になったタイタニック号の船長エドワード・スミスは、
最後まで乗客の脱出を指揮して沈没する船と運命を共にした。
故郷リッチフィールドにあるスミス船長の銅像に彫られた彼の最後の言葉はこうだ。
「英国人らしく行動せよ(Be British)」。

もし「韓国人らしく行動せよ」という言葉を刻むべきだとすればどのようになるだろうか。
「1等になれ(Be the First)」ではないかと思う。
何であってもとにかく1等にさえなればいいという韓国社会の雰囲気もそうだが、
乗客のことはほっぽらかして逃げるのに1等だった船長のように。

参考サイト 中央日報
http://article.joins.com/news/article/article.asp?total_id=14479355&ctg=20


♦ここまで引用♦


第一番目の救助者として記録された今回のセウォル号の船長。
上のコラムは、
いわゆる「韓国病」と言えるような「一番精神」と船長の行動をうまく重ね合わせながら、
スパイスの効いた一品料理となっていますね。名文です。

さすがジャーナリストですね。「不良共和国」と堂々と言ってのけていますね。
こういうことを正面から言う韓国人はあまり多くありません。
事実を直視し気づき修正して行くマインドは必要でしょうね。
こういうマインドであれば、さらに大きな発展が期待されるわけです。

また、今回の船の乗務員についてちょっと弁明しておくと、
バク・ジヨンさんをはじめ数人の乗組員は命を犠牲にして救助にあたりました。
称えられるべき行為です。(ご冥福を祈りながら)




ジヨンちゃん

4月16日の午前8時45分頃発生した旅客船・セウォル号沈没事故。

18日午前6時30分現在、搭乘客475名のうち、救助된された生存者は179名、死亡者は25名、行方不明者は271名という状況。大部分の人が、まだ船の中に閉じ込められており、一刻も早い救出が待たれています。そのほとんどは、京畿道のダンウォン高校の修学旅行生です。

こうした中、幼い女児が救出され、話題となっております。

ご紹介します。朝鮮日報からの記事です。



♦ここから引用♦

4月16日、セウォル号から救助されたグォン・ジヨン(5)ちゃんは、
父グォン・ジェグン(50)氏、母ハン・ユンジ(29)さん、兄グォン・ヒョクギュ(6)君と一緒に
濟州島に引っ越す途中だったことがわかり、人々の涙を誘っています。

ベトナム出身の母ハンさんは、グォン(権)氏と結婚し、国籍と名前を変えました。
妻を大切にしていたグォンさんは、経済権を全部ハンさんにまかせていました。
夫婦は暮らし向きがそれほど豊かではなかったけど、
子供たちに対する愛は並外れていました。

夫婦は5~6年前から階段清掃の仕事をして集めたお金で、今年済州島に柑橘類農場と
4人家族が住む家を買いました。

権さんが通っていた教会のグ牧師は
「権さんが『子供たちが済州島で楽しく育つとうれしい、殺伐とした都市生活から脱したい』と口癖のように話していた」と残念そうに語りました。


0418jiyeon.jpg    ダンウォン高校バク・ホジン(右の写真、白い点線)君の助けでセウォル号から劇的に生存したグォンジヨンちゃんが17日木浦(モッポ)のある病院で親類と一緒にいる。一緒に搭乗した両親と兄は現在行方不明の状態/ 写真



権さんは、行方不明になる前日の15日午前、教会に立ち寄ってあいさつをした後、
ジヨンちゃんら家族を連れて済州島行きの船に乗り込みました。
しかし、ダンウォン高校パク・ホジン君などの助けで命拾いしたジヨンちゃんを除く
他の家族はみんな、行方不明のまま。

前日ジヨンちゃんが一人で病院にいるという知らせが伝わると、
ネチズンたちは「ジヨンちゃんの家族探し」運動に乗り出しました。

ツイッター・フェイスブックなどSNSに
「6歳ジヨンちゃんの縁故者を探す」
「グォン・ジヨンちゃんを知ってる方は早く木浦韓国病院に電話してください」
と書き込みし、必死の思いでジヨンちゃんの縁故者探しに奔走。

ジヨンちゃんが親戚たちと会えたというニュースが一番先に掲載されたのも
ツイッターだった。

自分のことをジヨンちゃんのいとこのお姉さんだと紹介したネチズンは、
「おばさんと一家親戚の方が今病院へ行くという途中」とし、
「実際の名前がグォン・ジヨン(권지연)だけど、グォン・ジヨン(권지영)とって伝達されて確認が遅れた」と明らかにしました。

このネチズンはジヨンちゃんがお兄さんヒョクギュ君の手をぎゅっと握っている写真と、
母ハン・ユンジさんの写真を一緒に掲載しました。

ジヨンちゃんは17日午前、おばあさんやおじさんなどに面会し、
病院でしばし安静にしたあと17日午後、退院しました。

参考サイト 朝鮮日報:http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2014/04/18/2014041800214.html?news_Head1

♦ここまで引用♦


ジヨンちゃんの両親と兄が無事に救出されることを願ってやみません。
上の記事の後ろのほうで、
「実際の名前がグォン・ジヨン(권지연)だけど、
グォン・ジヨン(권지영)と誤って伝達されて確認が遅れた」のところは、
韓国語の表記の問題なんですが、
日本語表記にすると「ジヨン」と「ジヨン」となって同一になってしまいます。

韓国語では「지」と「지」のように「ヨン」の部分が違うんですね。
英語的には「jiyeon」と「jiyeong」となりますが、
これもちょっと原音とはちがっていて、韓国語での正確な音を伝えることは極めて難しいです。

韓国語の発音の難しさを如実に物語る部分ですね、ここは。





韓国人の疾病の特徴は?

24万人を対象に10年以上追跡調査した結果がでました。
KBSのニュースからです。

♦ここから引用♦
<アンカーコメント>
保健当局が国民24万人を対象に10年以上収集した疫学情報を分析し、
韓国人疾病の特徴的な現象を見つけました。
どんな調査結果が出たのでしょうか。

<レポート>                                     0403chirbyong.jpg                           
50代半ば夫婦の寝ている姿です。
夫のすごいいびきに奥さんは眠りを妨げられ、最終的に他の部屋に行きます。

京畿道安山の中年夫婦500組を4年間追跡調査した結果、
睡眠障害があれば配偶者に対する不満足が2倍高くなることがわかりました。
同じ地域の成人1000人を対象とした血液検査では、
血清中のビタミンD濃度が低ければ、
非アルコール性の脂肪肝リスクが3倍高いこともわかりました。

女性で肥満で喫煙者であれば、首の痛みの危険が高く、
食べ物をバランスよく食べれば代謝症候群の危険が低いという分析もでました。
保健当局が、特定の地域24万人の健康検診の記録などを10年以上追跡した結果です。

シン・チョル(高麗大学安山病院の人間遺伝体研究所)所長の話:
         「韓国人だけが持つ生活習慣、環境的要因、
           遺伝子が西洋人とは明らかに違うということができます」


韓国人ゲノム疫学調査資料を活用した論文は230本以上です。
このような大規模な疫学情報は、
糖尿病や高血圧など韓国人に多い慢性疾患の特徴を把握するのに役立つものと
期待されます。

  出典:KBS http://www.kbs.co.kr/



♦ここまで引用♦


「夫のすごいいびきに奥さんは眠りを妨げられ、最終的に他の部屋に行きます。」

という部分がありますが、韓国では夫婦はいっしょに寝ることが多いです。
年をとって、70代、80代になるとそれぞれ別々に寝る
ということもかなり増えてきますが、
新婚からずっと、基本的には夫婦いっしょに寝ます。
(わが夫婦もしかり。ちなみに妻は韓国女性)。

みなさんのところは、いかがですか^^。



財産の社会還元を誓う心臓外科医 宋明根 建国大学教授

大学の医学部教授が、財産の社会還元を誓ったという内容です。


0318의사 建国大学病院  ソン・ミョングン(宋明根)教授

♦ここから引用♦

200億ウォンを超える資産を社会に還元することを約束した建国大学病院ソン・ミョングン(宋明根、56)教授は、5年前に財産の社会還元を明示した。遺言状公証をしたとき、財産がこんなに増えているとは知らなかったと語る。

宋教授は「このことを決めるときに悩みがなかったと言ったら嘘」とし、
「社会生活で稼いだお金は社会にまた返すというのが私の人生哲学」と述べた。

彼は「子供たち(息子1人、娘1人)に3億ウォン=約3千万円ずつ家賃や結婚費用などで
譲渡した残り全部を還元すると言ったが、事(報道)がこんなに大きくなった」、
「子どもはもちろんこれから迎える婿や嫁は無一物で家にやってくると思えばいい」と笑う。

「この誓約を行なった後、子供らが自分で自立するための計画を立てるのを見て、
この決定は間違っていなかったと自信をもった」とも述べた。

大学教授だけで働いてきた彼がこんなに多くの財産を持つようになったのは、
仕事一筋に歩んできた結果だ。

1990年代初め、宋教授は、外科医師として既存の大動脈弁手術法に不満が多かった。
当時、心臓から大動脈に血が吹き出ていく部分の大動脈弁膜に問題が発生すれば
弁膜全体を人工弁膜に入れ替えることが正統な手術法だった。
人工弁膜の費用だけで400万~500万ウォンがかかる高い手術である。

何か新しい手術法はないかと悩んでいた宋教授は、
大動脈弁膜患者の心臓の動画をパソコンで数百回分析した。
これを通じて弁膜機能がうまく作動しない部位だけ解決できたら
弁膜機能を復活させることができるという結論に至った。

以後宋教授は毎週屠殺場から豚の心臓5~10個を買ってきて、
自分が開発した弁膜機能補助装置である'SS-Ring'手術法を練習した。
これまで使われた豚の心臓が1000個余りだ。

これをもとに彼は1997年に心臓弁膜装置を製造販売するサイエンスシティ社を立ち上げた。
製品は1セット価格が240万ウォン台で、既存の人工弁膜の半分の水準だ。
彼の製品は国内外でブームをひき起こした。
米国・欧州・日本など世界中から特許も得た。

この製品で手術したいという要望が米国・日本・イタリア・ブラジル・メキシコなど全世界から殺到した。手術の過程を見せてほしいという国際学会の招請講演の要請も1年に8~10回にのぼる。

最近は心臓手術で有名な米国のニューヨークのマウントサイナイ病院で手術法を伝授してほしいという提案が出された。

また、米国の有名医療機器の会社が宋教授の会社の経営権を5000万ドル(約475億ウォン)で買いたいという提案をしてきた。カナダのある医療機器の会社は彼の製品を秘密裏にコピーして売って発覚されたりもした。

この過程で会社設立初期に弱かった実績が大幅に増加し、
会社の持分40%を持った上製品販売によるロイヤリティーを別途受けとる宋教授夫婦に、
約200億ウォンの価値の財産が入ってくるようになったのだ。
現時点で彼の自宅や不動産など40億ウォンを合わせれば200億ウォンを
優に超えるお金が社会に還元されるわけだ。

これからも何百億に増えるか分からないとしながら、
宋教授は社会還元に関する3つの原則を最近立てた。

「第一に心臓病研究に使うこと、二番目は疎外された老人たちの福祉に向けて使うこと、
第三には捨てられた孤児たちのために使うこと」などだ。
彼はこのような内容で遺言状公証を再び受ける予定だ。

彼が財産を社会に還元しようと決心したのは2002年頃読んだユハンヤンヘン(柳韓洋行)創業者である故柳一韓(ユ・イルハン)博士の伝記が大きな役割を果たした。

「企業が稼いだお金は社会に返すべきだという柳一韓博士の精神に大きく感動しました。
医者はお金を稼ぐことができるが、そのお金は社会のために使わなければならない」。

金持ちのある老人患者の心臓手術を前に、
その子供たち同士が財産争いをする姿を見ながらこのような決心をさらに固めたと彼は言う。

息子ジュンヨン(28・中央大学医学部医学科の3年)氏と
娘ユンジュ(26・延世大学セブランス病院インターン)さんも、親の考えに従うことにしたという。

現在、全世界心臓弁膜市場は1兆5000億ウォン。
彼の製品が5年以内に世界市場の33%を確保する見通しだと彼は予想する。
宋教授は「わが社を外国に売ることはないだろう」としながら、
「韓国ブランドで勝負して世界市場を席巻したら後で社会に還元されるお金が
もっと多くなるのではないか。その時まで一生懸命に働きますよ」と語った。

出典:(経済トゥデイ http://www.eto.co.kr/news/outview.asp?Code=20131210104749700&ts=111146




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