天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

みみをすます(2) _ 谷川俊太郎の詩(2/5)

みみをすます
しんでゆくきょうりゅうの
うめきに
みみをすます
かみなりにうたれ
もえあがるきの
さけびに
なりやまぬ
しおざいに
おともなく
ふりつもる
プランクトンに
みみをすます
なにがだれを
よんでいるのか
じぶんの
うぶごえに
みみをすます

そのよるの
みずおとと
とびらのきしみ
ささやきと
わらいに
みみをすます
こだまする
おかあさんの
こもりうたに
おとうさんの
しんぞうのおとに
みみをすます

*********************************************************************

「しおざい」という語があります。
これは普通は「しおさい」で「潮騒」です。

「しおざい」と「さ」が濁っても発音されるみたいですね。
辞書を見てはじめて知りました。

原詩では上のように「しおざい」と「さ」が濁ってます。
これも谷川俊太郎独特の語感なんでしょうね。

きょうの2回目では「ふりつもる プランクトンに みみをすます」の部分が
わたしとしては一番情感を感じさせられました。

数億年、数十億年の歳月の重みが、このフレーズにずっしりと乗っているようです。

詩は、ことばは、おもしろいですね。
ヨハネ福音書の1章1節に「はじめにことばありき」とありますが、
ことばのすごさ、重要性、おもしろみ、気高さは、
いくら強調してもしすぎることはないですね。

みみをすます(1) _ 谷川俊太郎の詩(1/5)

谷川俊太郎の詩に「みみをすます」というすばらしい詩がありまして、
ご紹介いたします。
有名な詩ですので皆さんすでにご存じかと思います。
長いので5回に分けてアップします。お楽しみ下さい。
韓国とは直接関係ありませんが、こういうものもこのブログではありです。

「みみをすます」というこの表現自体が詩ですよね。
この「みみをすます」という表現は日本語以外のことばにはあまりないようです。

「耳を傾ける」というくらいの表現は韓国語にもあるし、英語にもあるみたいですが、
「みみをすます」という表現が直ではないようなんですね。
これは非常におもしろい現象だと思います。
日本語の繊細さというか微妙さというか、ディリカシー溢れる日本語のオリジナリティーが
明々と見られるところです。

「みみをすます」の中に、
静謐な中にも動を求める姿勢、あるいは大聖堂の中で一人手を合わせる姿。
そんなイメージが、わたしには感じられます。

皆さんのイメージ、印象はいかがでしょうか。
5回に分けてアップします。お楽しみいただけるかと思います。



「みみをすます」       谷川俊太郎

みみをすます
きのうのあまだれに
みみをすます

みみをすます
いつから
つづいてきたともしれぬ
ひとびとの
あしおとに
みみをすます
めをつむり
みみをすます

ハイヒールのこつこつ
ながぐつのどたどた
ぽっくりのぽくぽく
みみをすます
ほうばのからんころん
あみあげのざっくざっく
ぞうりのぺたぺた
みみをすます
わらぐつのさくさく
きぐつのことこと
モカシンのすたすた
わらじのてくてく
そうして
はだしのひたひた・・・・・
にまじる
へびのするする
このはのかさこそ
きえかかる
ひのくすぶり
くらやみのおくの
みみなり


素数って不思議でしゅ① _ 数学の話題001

きょうは「素数」について書いてみます。
突然数学の話みたいで恐縮です。
でも、数学とはいっても、だれでもわかる数学ですので、
ちょっとつきあっていただければありがたいです。

素数って、だれでも一回くらいは聞いたことがあると思います。
自分と1以外に約数を持たない数ですよね。(1は除きます。)
ですから、2からはじまります。
2,3,5,7,11,13,17,19,23,、、、、
と続いていきますね。

エラトステネスというギリシャの学者が考えた「エラトステネスのふるい」といわれる考え方について書きます。
数字を2からはじめてそのまま書いていきます。

2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44

ずっと書きますが、いちおう44ぐらいまで書いてみましょう。そして、アタマの2だけは残して2の倍数を消していきます。残るのは、
2  3   5   7   9   11   13   15   17   19   21  
23 25 27 29 31 33 35 37 39 41 43 

次に、左の3だけは残して3の倍数を消していきます。すると残るのは、
2  3   5   7       11   13       17   19 
23 25 29 31 35 37 41 43

次に5を残して5の倍数を消していきます。すると残るのは、
2  3  5   7       11   13   17   19  
23 29 31 37 41 43 

このようにして、ずっとつづけていくと、残るのが素数です。
120までの素数をいちおう上げると

2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59
61 67 71 73 79 83 89 97 101 103 107 109 113

となります。

素数については、おもしろい定理や性質がゴマンとあって、ここに書き尽くせないし
わたしも勿論わからないことだらけですが、おもしろい性質の一つをご紹介します。
これは1850年ごろロシアのチェビシェフという数学者が証明したものらしいですが、

「任意の数とその2倍の数との間にはかならず素数がある」

という定理です。たとえば任意の数を「42」としますとその2倍は「84」ですから
「42と84の間にはかならず素数がある」
というわけです。
上の素数の列を見てみると、たしかに「43 47 53 59 61 67 71 73 79 83」
という素数たちが存在しています。
で、この定理のすごさは、素数が無数に存在するということを証明している点だと
わたしには思えます。数がだんだんバカでかくなっていくにしたがい、それよりも小さい数ですべて割りきれてしまい、素数がだんだん存在しなくなってしまうのではないかと、
考えようによっては考えられもします。でも、素数は無数に存在するんですよね。
これをどうやって証明するか?
いろいろあると思いますが、
上の命題「任意の数とその2倍の数との間にはかならず素数がある」は、
素数が無数にあることを証明しているものと思われます。

任意の数はなんであってもいいわけですから、無限大くらいバカでかい数を一つ考えると、
その2倍の数もかならず存在するわけです。するとその間には一つ以上はかならず素数が存在するというわけですから、どんなに大きな数をとってもそれ以上の素数は必ず存在する、という結論になります。

チェビシェフがどうやって

「任意の数とその2倍の数との間にはかならず素数がある」

という命題を証明したのかはわかりませんが、
この単純な内容「任意の数とその2倍の数との間にはかならず素数がある」ということが
わたしにはとてもおもしろいと思えて、 ブログに書きました。

これって、数学というよりは算数あるいは算術に近いと思います。
みなさんも楽しんでいただけましたか???

わたし、数学もちょっと好きで、
たまに数学に関する内容も書きたいと考えています。

詩も小説も数学も好きです。数学はある意味芸術だと思います。
『博士の愛した数式』などを読んでも、数学は小説のネタになることが明らかです。

数学者って変人が多いことでも有名ですよね。
日本人としてはやはり「岡潔」(おかきよし)という数学者が第一等の数学者だと思います。
岡はいろいろの随筆集も残してます。
文章もすてきです。一度読んでみてください。

礼を尽くす _ 釜山サムライエッセイ0005

釜山サムライさんのエッセイ第五号です。



<礼を尽くす>

今から10年前のこと。
ソウルの江南(ガンナム)駅近くにある時事日語社の塾へ通ったことがあります。
日本語フリートーキングの勉強のためでした。

その当時、田中という担当先生がいられましたが、
お年は65才くらいのおとなしいジェントルマで今もはっきり覚えています。

クラスは6~7名くらいですが、
先生はいつも学生らに自由に話せる機会をたくさんくださいました。

私は当時ほどんど50才で、若い人といっしょに勉強することになりました。
学生の中では日本で生活して戻ってきた人もいたし、
日本の大学へ進学するため勉強する女子高校生も何名かいました。
皆の会話実力は相当なものでした。私はビリ。。。

けれども、勉強するのに年をとったからといって恥ずかしいとは思ったことは
一度もありませんせした。
私が好きで選択したことですからね。

一時間半くらいの授業が終わったら、いつも何か物足りない気がして先生に
"先生、ちょっとお暇ありましたら、、、"と
(フリートーキングの延長を)頼んだものでした。

振り返れば、当時は、、、あ、今も同じですが、
実力がないので、何とかして相手の言葉を聞き取り、
また私の話を聴いてくれる誰かがいなければならなかったのです。

ありがたいことに、先生は時間を惜しみなく作ってくれました。
江南駅近くの居酒屋で、お酒を飲みながらいろんな話をしました。
こうした機会が何回もありました。

楽しい時間を過した後、
別れる時間になって江南駅でそれぞれの行き先へ向かおうとして
別れの挨拶を交わすところでした。
切符の売り場の前でいきなり先生が私に挨拶をしました。
"腰を90度に曲げて"。

映画とかで見たことのある場面が、、、ここで、、、。

私はびっくりしたあまり、つい動転してしまいました。
人の込んでいるところで、
年上の人が年下の人にあのように丁重に挨拶するのを見ていた人々は、
さぞ驚いたにちがいないと思いました。

私は、3年前旅立った私の父から仕付けられたことが今も身についています。
父は青年期から日本の師匠の下で柔道を習ったため、選手としての礼儀のみならず
日常生活でも人に礼を尽くすのは、当然という心構えの人でした。

"礼というのは、いくら尽くしても尽くし過ぎることはない"

こういう父から躾をうけた私ですので、
年上の人が年下の私に丁重に挨拶するなんてことは、
私には到底ありえない出来事だったんです。

今頃はほぼ80余歳の高齢になったと思われる田中先生ですが、
どこにおられても、元気で暮らしてらっしゃることを祈ってやみません~~~。


<筆者の解説>
韓国はアジア諸国の中でも礼節、礼儀の正しさで有名ですね。年上の人に対する態度やお年よりに対する態度などは、ほんとうに丁重です。韓国で生活した人でないとちょっとわからないかもしれません。自分よりも年上の先生が、学生である自分に頭を下げて丁寧に挨拶した瞬間、作者である釜山サムライさんは、「とんでもないことだ」と感じ、どうしていいかわからない状況に遭遇することになったわけですね。
韓国の礼儀も有名ですが、日本もどうしてどうして負けていません。「躾」という漢字をご覧下さい。この漢字が存在すること自体すごいことなんです。韓国語ではこれは「家庭教育」くらいにしか言うことができませんが、日本語は「躾」という漢字が存在する。残念ながら現代の日本はこの躾のない人間があふれているようですが、本来は躾という漢字(身を美しく保つ。国字。)があるくらい、礼儀、礼節には篤い国民性なんですよね、この瑞穂の国は。 



[한국어 원문]
제목 "예의를 다하다"
지금부터 10년전의 일로서 서울의 강남역 근처에 있는 시사일본어 학원에
다닌 일이 있었습니다. 일본어 프리토킹,크라스였습니다.

그 당시 “다나까”라는 담당 선생이 계셨습니다. 나이는 65세 정도 이셨고
점잖은 젠틀맨으로 지금도 기억에 남아 있습니다.

클라스는 6~7명 정도였지만 선생은 언제나 학생들에게 자유롭게
말할수 있도록 기회를 많이 주었습니다.

나는 그 당시 거의 50살로 젊은 사람들과 함께 공부하였습니다.
학생들 중에는 일본에서 공부하고 돌아온 사람도 있었고,
일본대학에 진학하기 위해 공부하는 여자 고교생도 몇명인가 있었습니다.

모두의 대화실력이 상당했지요. 나는 꼴찌...
그래도 공부하는데 나이가 들었다고 해서 부끄럽다고 생각 한 일은
조금도 없었습니다.

내가 좋아서 선택한 것이었으니까요.
한시간 반 정도의 수업이 끝나면 언제나 뭔가 부족한 느낌이 들어 선생에게

“선생님, 잠깐 시간이 있으시면...”

라고 부탁하곤 했습니다.
뒤돌아보면 당시는, 지금도 마찬가지지만 부족한 실력이였기 때문에
어떻게 해서든지 상대의 말을 알아 듣고
나의 말을 들어 줄 누군가가 필요했기 때문입니다.

다행히도 선생은 시간을 아까워하지 않고 내어 주셨습니다.
강남역근처의 술집에서 술을 마시면서 여러가지 이야기를 서로 나누었습니다.
이러한 기회가 몇 번인가 있었습니다.
처음에는, 즐거운 시간을 보낸 후, 헤어질 시간이 되어 강남역에서 각자의 행선지로
가려고 인사를 나눌 때 였습니다.

매표소 앞에서 갑자기 선생이 나에게 인사를 “허리를 90도까지 숙여 인사” 하는
것이 아니겠습니까.
영화에서나 본 일이 있던 장면이...

나는 놀래서 그만 당황해 버렸습니다.
사람이 많은 곳에서 연상의 사람이 연하의 사람에게
저토록 정중한 인사를 하는 것을 보고 있던 사람들은
필시 놀랐을 것이라고 생각했습니다.

3년전 돌아가신 나의 아버지로부터 가정교육을 받았던 것이
지금도 몸에 배여 있습니다.
아버지는 청년기부터 일본인 사범의 지도로 유도를 배웠기 때문에,
선수로서의 예의뿐만 아니라 일상생활에서도 사람에게
예의를 표하는 것은 지극히 상식이였을 것으로 생각 합니다.

“예의는 아무리 지켜도 지나치지 않다”

이와 같은 아버지로부터 가정교육을 받은 저로서는
연상의 사람이 연하의 사람인 나에게 정중한 인사를 한다는 것은
나에게는 도저히 있을 수 없는 사건이었던 것입니다.

지금쯤 거의 80여생의 고령이 되었다고 생각되는 “다나까”선생 이지만,
어디에 계셔도 건강하게 지내시기를 바랍니다~~~

薬を食べる _ 学生エッセイ0023

韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその23回目で、前回に引き続きksrさんの作品です。
実は前々回から一つの文章です。その3回目。


<薬を食べる>
私が日本語を習い始めたころ、文字を書いて他の方と対話する機会があった。
何も考えずにそのまま韓国語のように'薬を食べる'と話したことがあった。
その人はにこやかに、それではなく'薬を飲む'というんだよと教えてくれた。

その時はすごく恥ずかしくてそのまま黙ってしまった。
ミスした後でゆっくりと二つの表現のの違っている点について考えてみた。
なぜ日本は韓国のように薬を'食べる'という表現を使わず、'飲む'と表現するのかについて
あれこれ思案はしてみたが、当然これといった解は思いつかなかった。

ただ自分だけの納得かもしれないが、
韓国は'薬'という「食べ物」自体を食べるのを主体としているため'食べる'と表現し、
日本は薬を水と一緒に飲むのを主体としているため'飲む'と表現するんじゃないかということ。
あとで誰かがはっきりと教えてくれる時までは、
ずっとこんなふうに考えているのかもしれない。

たいしたことじゃなくて簡素な違いであるだけだが、
他のことをあげてみれば韓国では「黒白」と言うが、日本では「白黒」と言う。
日本は彩度を弱いほうから強いほうへ、韓国は強いほうから弱いほうの順でいうわけだ。

この他にも、お金を数えるのに'一'の字を省いて話す傾向のある韓国人とは違い、
日本人たちは'一'の字をつけていう。
何故そうなのか理由を聞いてみたことがなくてよくわからない。

韓国と言語体系が似ており似た発音があるといっても、
厳然と他の国の言語であり日本語特有の法則があるのだから、
それについてはそのまま気楽に考えることにする。


<筆者の解説>
「薬を食べる」と表現する韓国語、「薬を飲む」という日本語。その違いに関するエッセイです。おもしろいですね。ものの本によると、日本語は薬は「んにゃんにゃ」とかまないでそのまま喉を通すので「飲む」ということらしいですが、そうでしょうか。韓国語のほうは、薬というのはもともと漢方薬(韓方薬)で、これは固形のものからゼリー状のもの、液体などいろいろあります。「食べ物」という感覚があるのかもしれません。「白黒テレビ」は韓国語では「黒白テレビ」、「一万円」で「一」をつけますが、韓国語は「万円」と言います。
(ちなみに今回の文章は韓国語の原文にもやや難点があり、日本語はだいぶ直して韓国語とはちがっている部分が多々あります。)


[한국어 원문]
내가 일본어를 처음 배울 때 문자 같은 것을 이용해 다른 분과 대화하다
아무 생각 없이 그냥 우리나라 말처럼
‘약을 먹는다(薬を食べる)’라고 말한 적이 있었고
그분은 상냥히 그게 아니라 ‘약을 먹는다(薬を飲む)’라고 한다고 알려 주셨었다.
그 때는 굉장히 창피해 그냥 말없이 알고 있었지만 실수한척 했었지만
후에 차근차근 두 단어의 틀린 점을 생각해 보았었다.
왜 일본은 한국처럼 약을 ‘먹는다’라는 표현을 쓰지 않고
‘마신다’라고 표현을 하는지에 대해
이리저리 생각은 해봤지만 마땅히 이렇다 할 만한 것은 떠오르지 않았다.
그저 스스로만이 납득될 정도로 생각한 것은 한국은 ‘약’이라는 음식자체를
먹는 것을 주체로 삼아 ‘먹는다’라고 표현하고
일본은 약을 물과 함께 마시는 것을 주체로 삼아
‘마신다’라고 표현한다는 것으로 남이 들으면 갸웃할지도 모르지만
확실히 누군가가 알려줄 때까지는 계속 이렇게 생각할지도 모른다.
별거 아니고 간소한 차이점일 뿐이지만 다른 걸 말해보자면
우리나라에서는 흑백이라 말하지만 일본에서는 시로 쿠로 라고 말한다.
일본은 채도를 약한 것부터 강한 것으로, 한국은 강한 것부터 약한 것으로
순서를 늘어뜨리는 것이다.
이것 말고도 돈을 셀 때 앞에 ‘일’자를 빼고 말하는 경향이 있는 한국인들과는 다르게
일본인들은 ‘일’을 붙인다고 한다.
왜 그러는지는 이유를 들어보지 못해 잘 모르겠다.
한국과 언어 체계가 비슷하고 비슷한 발음이 있다고 해도
엄연히 다른 나라의 언어이고
일본 특유의 법칙이 있는 법이니까 그것에 대한 것은
그냥 마음 편히 생각하기로 한다.

車 _ 学生エッセイ0022

韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその22回目で、前回に引き続きksrさんの作品です。
実は前回から一つの文章です。その2回目。


<車>
カーテンをひくこと以外にも車の走行する方向が右、左でちがうことなども驚きだった。
韓国は車は右側通行、日本は車は左側通行だ。
もちろんハンドルがある位置も韓国とは反対だ。

すでにドラマや映画、マンガ等を通じて知っていたが、
直接目で見るのとはかなりの違いがあった。
とても不慣れな気持ちとでもいったらいいか。

車に乗って移動する間、窓から見える逆に通り過ぎる車たちの姿に、
決まって逆走行しているような気がしたものだ。

日本が今のように人は右、車は左を通行するのには理由があると聞いた。

昔の日本人、とくに侍たちは彼らの必需品である刀を左腰に着けていた。
お互いの刀がぶつかってけんかが起きないようにするため、
人が歩くときは左側を歩くようにしたという。

それが現在の道路に影響を及ぼすことになった原因で、
日本以外にも日本のような通行をしている国はイギリスなどがあるが、
そちらはどうしてそのようにしたかはよくわからない。

生活方式以外にも日本と韓国は話す方式や単語が似ている点が多い。
単語一つ例を挙げれば、かばんをあげることができる。
韓国語の「かばん」と日本語の「かばん」は
その意味も同じで発音も同じで本当に驚いた。

このように完全に同じ単語ではなくても、発音の似ている単語も非常に多く存在している。
しかし、それも一部であり、熱心に勉強しなければ聞き取ることもできず、
理解するのも大変な部分が多い。


<筆者の解説>

道路交通の方向については、韓国の人はだれでもはじめはまごつきます。わたしも、日本から韓国に来たときにはまごついたものです^^。戦前までは、人も車も左側通行だったみたい。侍が左に帯刀しているために右を歩くと刀がぶるかる。左側を互いに歩けば刀のつかはぶつからない。それで左側を歩くようになったといいます。人も、車もみな左。それが昭和25年ごろに車はそのまま左を踏襲し、人は右を歩くように決められたという経緯があるようです。この部分、真実はどうなのか?筆者にもわかりません。わかる人がいらしたら、教えてくだされ。

[한국어 원문]
커텐을 치는 것 말고도 차가 통행하는 한국과는 달리 오른쪽, 왼쪽으로
차가 통행하는 일본의 도로 모습에 놀랐었다.
물론 핸들이 있는 위치도 한국과는 반대였다.
이미 드라마나 영화, 만화 등을 통해 알고 있었지만 직접 눈으로 보는 것과는
차이가 있었다.
매우 낯선 기분이라 해야 될까.
차를 타고 이동하는 동안 창밖으로 보이는 반대로 지나가는
차들의 모습에 꼭 역주행하는 듯 한 기분이 들었다.

일본이 지금처럼 오른쪽, 왼쪽으로 통행하는 데에는 이유가 있다고 들었는데
옛날 일본인들, 그중에 사무라이들은 그들의 필수품인 칼을 왼른쪽 허리춤에
차고 다녔었고 서로의 칼이 부딪혀 싸움이 일어나지 않게 하기 위해
오른쪽, 왼쪽으로 다니기 시작했다고 한다.
그것이 현재의 도로에 영향을 끼치게 된 원인으로 일본 말고도
도로를 오른쪽, 왼쪽으로 하고 있는 나라는 영국 등이 있지만
그쪽은 왜 그렇게 했는지는 잘 모르겠다. 

생활 방식 말고도 일본과 한국은 말하는 방식이나 단어가 비슷한 점이 많다.
단어 하나 예를 들자면 가방을 말할 수 있을 것이다.
한국어의 가방과 일본어의 가방은 그 뜻도 같고 발음도 같아 매우 놀랐었다.
이렇게 완전히 똑같은 단어는 아니더라도 발음 방식이 비슷한 단어들도
매우 많이 존재하고 있다.
그러나 그것도 일부분으로 열심히 공부하지 않으면 알아들을 수도 없고
이해하기도 힘든 부분이 많다.

カーテン _ 学生エッセイ0021

韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその21回目で、ksrさんの作品です。
原文がちょっと長いので3回に分けて掲載します。

<カーテン>
昔から韓国と日本は数多くの交流をしてきた。
三国時代から今までの長い交流を続けてきたせいか
韓国と日本の間にはとても多くの共通点が存在しているが、
やはり別の国、韓国とは違っていることが確かに存在する。

言ってみれば、生活方式とか単語のようなもの。

生活様式については今年初めにしばらくちょっと行ってきた日本でそれを少し感じた。
私が行った所が小さな都市だったかはどうかは分からないが、
道を歩きながら見た家はどこも一様にカーテンをひいてあるのだ。

韓国の場合だったら、かなり強い光が入ってくるならばカーテンをひくし、
寝る前にカーテンをひく姿をよく見てきた私は、
曇った天気のもと、光を取り入れるどころかカーテンをして外部を遮断するその姿に、

'なぜ曇った天気にもカーテンをひくのか'

と首をかしげたものだ。

その時、引率のガイドの方がカーテンを指差しながらこう言った。

日本人は、家の中を外の人に見せたくないという気持ちがあり、
それが日本人の親切な面であり、かつ、日本人の消極性に起因するものであると解説し、
家々が曇り空の下でもカーテンがひかれている理由を教えてくれた。

正直言って、それが本当かどうかは今でもわからない。
そんなことじゃなく彼らの単純な習慣というだけじゃないかとも思う。

カーテンをひくこと以外にも車の走行する方向が右、左でちがうことなども驚きだった。


<筆者の解説>
原文とはかなりちがっている部分もあります。韓国語の勉強をされている方は、ちょっと留意してください。「カーテンをひく」姿を見たこの学生は、訪れたところの家々が皆一様にカーテンがひかれているのを目にして驚きました。韓国の学生にはちょっと「異様に」見えただろうと思います。日本の全てがこういうものじゃないとは思いますが、ここ一帯ではそうだったんでしょうね。どこへ行ったときの話なんでしょうかね?今度この学生に会ったら聞いてみます^^。




[한국어원문]
예로부터 한국과 일본은 수많은 교류를 해왔다.
삼국시대부터 지금까지 오랜 교류를 이어온 탓인지 한국과 일본 사이에는
굉장히 많은 공통점이 존재하고 있고 있지만 역시 다른 나라답게
한국과는 틀린 점이 확실히 존재한다.
말하자면 생활방식이라던가 단어 같은 것들을 말할 수 있을 것이다.
생활 방식에 대해서는 올 초에 잠시 잠깐 다녀왔던 일본에서 그것을 조금이나마 느꼈었다. 
내가 갔던 곳이 작은 도시여서 였는지는 몰라도
길을 가면서 본 집집마다 하나같이 커텐을 창가에 치고 있는 모습을 보았다.
한국 같은 경우에는 너무 강한 빛이 들어오지 않기 위해 커텐을 치거나
자기 전에 치는 모습을 종종 보아오던 나는
흐린 날씨에 빛을 받기는 커녕 커텐을 치고 외부의 모습을 차단한 그 모습에
‘왜 흐린 날씨에도 커텐을 치고 있을까’
하고 고개를 갸웃했었다.
그때 이리 저리 돌아다니며 사람들을 통솔하던 가이드 분이
집집마다 쳐진 커텐을 가르키며
일본인들은 자신들의 내부 상황을 겉으로 보여주고 싶어 하지 아니하고
그것이 일본인들의 친절하지만 소극적인 태도에서도 비롯된다고
이야기 하며 그 집들이 이 흐린 날씨에도 커텐을 치는 이유를 알려주었다.

솔직히 그게 사실인지는 아닌지에 대해서는 지금도 단순히
그들의 생활 습관으로 커텐을 치는 것 아닐까? 하고 고개가 갸웃거려진다.
커텐을 치는 것 말고도 왼쪽, 오른쪽으로 차가 통행하는 한국과는 달리
오른쪽, 왼쪽으로 차가 통행하는 일본의 도로 모습에 놀랐었다.

細川さん_かなりいい闘い

新宿アルタ前での演説、寒いなか約10,000人が集まり、
ユーストリームの視聴者総数が5,000人を超えたそうです。0203Hoso)Koiz.jpg 写真
(
http://www.asyura2.com/14/senkyo160/msg/569.html)

脱原発の細川氏がかなりいい闘いをしているようです。
マスコミは細川・小泉陣営の善戦を全く報道してないみたいですね。
調査でも2位だなどとほざいている。
でも、小泉さんの長年の経験から、
街頭演説の反応を見れば圧勝間違いなしだと言ってます。

銀座、浅草、渋谷、上野、行くところ行くところどこでも
おおぜいの都民の方が集まってものすごいムードです。
これで勝てないわけがない。

東京都知事になったからといって、
すぐに日本の政治全体を変えていく動きにつながるものではないと思いますが、
しかし首都東京の知事です。

日本の政治に大きな影響を及ぼさないわけがありません。

細川さんの考えと同じ人々があとに続き、
日本の政治を変えていく動きになるということも十分に考えられます。

とにもかくにも、細川さんのように、
今の自民党政権(気が狂っているとか思えない)を変えていく人々が出てこない限り、
日本の未来は危ういこと間違いありません。

かといって以前の自民党以下の民主党のような政治をしてもらってはもっと困りものですけど。

東京に住むみなさま、今回はぜひ細川氏を当選させ、
今後の日本の姿を大きく変えていきましょう。

いまのままでは、世界の笑い物、世界の孤立者、世界の落伍者になってしまいます。
ひいては日本消滅の道を歩まざるをえません。

変えるのは今しかありません。
今、今回、この選挙に失敗したら、今後100年、
日本は悲惨な路程を歩んでいくことになろうかと思います。

どうか、心あるみなさま、脱原発一つの細川氏を応援しましょう。

命と志をかけて70歳を過ぎたお二人ががんばっておられる。
名誉や権力欲でやっているのでない。
東京と日本を何とかせんとあかん。
そういう動機から連日強行軍でがんばってきておられる。みんなで応援しましょう。

投票日は2月9日です。

感謝と笑いでこの日を迎えたいものです。^^。

爪に火をともす _ 学生エッセイ0020

韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、
韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその20回目で、ihsさんの作品です。

<爪に火をともす>
(私は今回の課題のために調べてみたら)
日本の人たちは品物を買ったら愛着を持って結構長い間使っているという事実を
知りました。
そして日本の文化という授業で習ったんですが、
日本の節約の習慣はすごいと思います。

以前日本の映画の中で、
あの年をとった守衛の方が、
古いウォークマンを大事に持っているのをみたことがあります。
そしてそれは品物だけでなく水とか自然環境など、
自分が使うのはなんでも節約する姿勢でした。本当にすごいと思いました。

韓国にも節約精神を学びたいという人々がいますが、
普通水とか電気、日用品などは思うまま使い、
何でも新しいものが一番よいとして節約はすぐあきらめてしまうケースが多いです。
いつも私は残念だと感じていました。

韓国ではほかの人に対し自分を自慢したいという気持ちが強いので、
節約しない行動をよく見せていると思います。

例えばニュースによると韓国人が使っている携帯の寿命は2年以下と言います。
わずか数十年前は、だれでも生きるのがとても苦しかったわけですけど、
今はもうそれすら忘れているんじゃないかと思え残念です。

それでことわざを一つ書いてみました。

「爪に火をともす」。

このことわざは、ろうそくも使わないほどに節約をするという意味です。
もちろん今の私たちがそのぐらい節約をしなければならないという意味ではないんでうが、
忘れていた節約習慣をもう一度考えてみようと思って探してみました。

韓国にも「티끌모아태산」という節約に関することわざがあります。
日本は今厳しい状況にありながらも力を合わせている姿を見せています。
韓国もそんなことを習えば本当によくなると思います。


「筆者の解説」
この学生は韓国語の原文を省略して日本語文だけ提出したため、
韓国語原文は掲載できません。

「티끌모아태산」というのは「ティックル モア テサン」という発音になり、
「チリも積もれば山となる」という諺にあたることばです。

節約ということと直接的には関係ない諺ですが、
この学生の視点のように「節約」と捉えることも可能でしょうね。

それにしても「爪に火をともす」なんて諺、はじめて接しました。;;;

相手の国をよく知るのは大切なこと _ 釜山サムライエッセイ0004

釜山サムライさんのエッセイ第四号です。
ある真夏の日の出来事。蝉しぐれが聞こえてきそうです。


<相手の国をよく知るのは大切なこと>
2006年、セミしぐれのはげしい鳴き音が聞こえてくる真夏のある日。
大阪へ向かうペンスタ-号に身を預けました。

当時、日本で勉強していたうちの娘に会うために三回くらいの日本行はありましたが、
今度は他の目的をもってむかいました。
偶然サイトで知り合った行商人の若者たち(日本へしばしば行ったり来たりしている)
と一緒に行くことにしたのです。

現地に着くやいなや若者たちは大阪のデパートへマーケッティング調査やらなにやらで
どやどやと出かけていってしまいました。
私は韓国から出発する前、チームのリーダーに「私は自由に行動する」ということを
前もって了解を取っていました。

皆が立ち去ったあとで近所で自伝車を借り、大阪市役所へ向かいました。
市役所で係りの人に

「こちらは韓国語を教える機関とか習いたい日本の方はいらっしゃいませんか」

と聞いてみました。担当者は

「そういうことはこちらでもやってますよ。ボランティアでやってるんですけど、、、
今は教える先生もいらっしゃるのでちょっと困るかも~~~」って。

それで、「あ~そうでしたら他のところでもいいので紹介していただけませんでしょうか」
再びお願いを申し上げたところ、私設の塾を住所とともに紹介してもらえました。

その塾は市役所から少し離れたところでした。
また自伝車に乗って汗たらたら流しながら行くと、その塾が目に入りました。
院長に会い、話をしたら「こちらは学生数も少ないし報酬も多くありません。
それよりもまず長期滞在のビザが要りますが。。それができますか」って。

この言葉を聞いて、ちょっとまごついてしまいました。

"あ~そうだ。長期滞在は無理だ。"

で、やむなくその場はあきらめるしかなかったのです。

私がこういうことをしたのには理由がありました。

今はこのサイトの運営者でいらっしゃるK先生(当時中央大学で)が教えておられた
科目を習う学生として勉強していたころです。

勉強していた途中でふっと思いついたことがありました。

"あの先生、すばらしいな。自分の国の言葉や文化などを他国の人々に伝える。
これこそ偉大で、かつ意味深いことではないか"と思ったのです。

"そうだ、私ももっと勉強して言葉が通じるようになったら
逆に日本の方を相手に韓国を知らせることができればいいじゃないか"という
心構えで勉強に臨みました。

こちら韓国では日本について知っている人はずいぶんいますけど、
日本は残念ながらもそうではないという世論調査を見たこともあります。
これから21世紀は東北アジアが世界を主導していくことは周知の事実。
韓国、日本、中国は歴史的に見るとき、今も未来も切っても切れない関係ですよね。

未来志向的な関係を図るうえで、相手の国をよく知るのは大切なことではありませんか。
一国の指導者として他国を訪問してその国の言葉で挨拶のみならず、
演説までもできればいかにも深い感銘を与えるか。。。
それこそ"錦上に花を添える"ことではありませんか。

知り合って尊敬しあい、理解しあえば
両国にとって外交問題はあまり難しいことではなかろうと思います。

まあ~話がちょっと外れてしまいました。なにどぞ勘弁してください。

かくして日本での私の目的は叶わなかったけれども、
それにしても私にとっては意味ぶかかったあの真夏の何日間かの出来事でした。


<筆者の解説>
「錦上に花を添える」という難しい表現があります。「きんじょうにはなをそえる」で、「いいことの上にさらにいいことを付け加える」という意味ですね。どっかで見たことはありますが、パッと出てくる句ではないですよね。(わたしだけかな?). こういう高尚な表現をたくさん内蔵している釜山サムライさん、うらやましいです。


[상대국을 잘 아는 것은 중요한 것]
2006년, 매미의 시끄러운 울음소리가 들려 오던 한 여름의 어느 날.
오사카로 향하는 펜스타호에 몸을 실었다.
당시, 일본에서 공부하고 있던 우리 딸을 만나기 위해 3회정도 일본행은 있었지만은
이번은 다른 목적을 가지고 향했다.
우연히 사이트에서 알게 된 젊은 행상인(일본에 자주 갔다 왔다함)과 같이 였습니다.

현지에 도착하자마자 젊은 사람들은 오사카데파트의 마케팅조사니 뭐니 해서
우르르 몰려 나가 버렸습니다.
나는 팀의 리더에게 한국에서 출발하기 전에 “나는 자유롭게 행동 하겠다.” 라고
미리 양해를 받아 두었던 것입니다.
모두가 간 뒤에 근처에서 자전거를 빌려 오사카 시청으로 향했습니다.
시청에서 담당자에게
“여기는 한국어를 가르치는 기관이나 배우고 싶어 하는 일본분은 안계십니까?” 라고
물어 보았습니다.
담당자는 “ 그런 것은 여기서도 하고 있습니다, 봉사로 하고 있습니다만.. 
지금은 가르치는 선생님도 계시기 때문에 조금 곤란 합니다.“ 라고..
그래서 “그러시다면 다른 곳도 괜찮으니까 소개 해 줄수 있겠습니까?“ 라고
재차 부탁을 드렸더니 사설인 학원을 주소와 함께 소개 받을 수 있었습니다.
그 학원은 시청에서 조금 떨어진 곳에 있었습니다.
또 자전거를 타거 땀을 줄줄 흘려가면서 갔더니 그 학원을 발견할수 있었습니다.
원장을 만나서 얘기를 했더니 “여기는 학생 수도 적고 보수도 많지 않습니다.
그것 보다도 먼저 장기체류 비자가 필요 합니다만.. 그것이 가능합니까? “
이 말을 들으니 잠깐 망설이게 되었습니다.
“아~~장기체류는 무리다..”
그래서 할 수 없이 그 자리에서 물러 설 수밖에 없었던 것입니다.

내가 이러한 것을 하게 된 것은 이유가 있었습니다.
지금은 이 사이트의 운영자로 계시는 K선생님이 (중대에서) 가르치고 계셨던 과목을
배우는 학생으로써 공부 하고 있던 때 였습니다.

공부하고 있던 도중에 문득 생각이 난 것이 있었습니다.
“아...저 선생 멋지네..” 자기나라의 말이나 문화등을 외국의 사람들에게 전한다...
이것이야 말로 멋지고 의미깊은 것이 아닌가 하고 생각 하였습니다.
“그렇다... 나도 더 공부해서 말이 통하면,
반대로 일본사람들을 상대로 한국을 알려 주는 것이 가능하다면...“
라는 마음가짐으로 공부에 임하였습니다.

이쪽 한국에서는 일본에 대하여 알고 있는 사람은 상당히 많습니다만
일본은 유감스럽게도 그렇지 않다고 하는 여론조사를 본 일이 있습니다.

이제 21세기는 동북아시아가 세계를 주도해 가는 것은 주지의 사실。
한국,일본,중국은 역사적으로 볼 때 지금이나 앞으로도 뗄레야 뗄 수 없는 관계겠지요.
미래지향적인 관계를 도모 하려면 상대 나라를 잘 아는 것은 중요한 것이 아니겠습니까?

한 나라의 지도자로서 다른 나라를 방문하여 그 나라 말로 인사뿐만 아니라
연설까지도 가능하다면 얼마나 깊은 감명을 주겠습니까.

그것이야 말로 “금상첨화” 이지 않겠습니까 .

서로 알고 존경하고 이해하면
양국에 있어서 외교문제는 그다지 어려운 것은 없을 것으로 생각합니다.

“아...얘기가 잠깐 벗어나버렸습니다.” 부디 이해해 주시길 바랍니다.
이리하여, 일본에서의 나의 목적은 이루어 질 수 없었지만 그래도,
나에게 있어서는 의미가 깊었던 그 때 한 여름날 몇일간의 일이였습니다.

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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