天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

ヨク_ 筆者のエッセイ0002

韓国語で「」という語がある。これは「ヨク」と発音する。
日本語で言えば「てめえ」「あほ」「おたんこなす」など、相手を罵り悪様(あしざま)に言う言葉のことである。
問題はこういうことばたちをひとくくりで表わす語が日本語にはないということだ。
「悪口」という語があるが、これは「あいつはうそばっかついている」とか、「てめえなんか、くそくらえだ」などのように相手を罵り悪様に表現するその文章のことを普通「悪口」と言うのではないだろうか。
「そんな悪口は言うなよ」と言えば、「彼のことに関してそんなふうな表現で悪く言うのはやめろよ」 というくらいの意味だと思う。
「ばか」とか「あほ」ということばそのものを表わす語が日本語にあるんだろうか。
言語学を生業といしている小生であるが、はずかしながらそれに該当する語をわたしは知らない。

わたしは韓国生活が25年をとうに越えているが韓国語のヨクについてはその一部しか知らない。日本語の「チェッ」にあたることばだけでも十個くらいはあるんじゃないだろうか。たいていは性や性器(それも女性性器)に関連するものが多いということだ。
韓国語というものを学問的に研究する語学者も多いが、その中には韓国語のヨクを専門的に研究している学者もいるという。
ヨク専門の学会が韓国には存在するらしい。
以前にもどこかに書いたが、ロシア語もヨクの多い言語として有名だそうだ。
ゴーリキーがロシア語のヨクの多さを絶賛したという話もあるらしい。

うちの娘は父さんが(韓国語の)ヨクを言わないから好きだという。
わたしは知らないから出せないだけなのであるが。

母親に叱られるときは、ヨクを浴びながら叱られるから、かなりの痛手のようである。
ダメージは二、三日続く。いいのか悪いのかわからないが、わたしの場合には知らないがために点数をかせいでいるようではある。

友だちと会ったとき、特に男子高校性あたりは、うれしさを表わすために互いにヨクを言い合うようだ。
この前何かのドラマを見ていたら五、六人の学生らが朝教室で顔を合わせる場面があった。
高校生のころは、友だちとただ会っただけでもなんとなくうれしいものだ。
このときの演出がふるっていた。学生らが何らかのスジの通った話をするのではなく、ヨクだけで数分間構成されていたのある。
これには驚きだった。

喧嘩にも、呪いにも、叱られるときにも、情の通い合いにも使われるヨク。
韓国語のヨクは生活の潤滑油として使われる側面が多分にある。
交通事故の現場での言い争い、喧嘩など大の大人が喧嘩する場面でもヨクの言い合いっこをしながら、逆にお互いの興奮を冷ます働きもあるようだ。ことばは烈しいがお互い手や足の暴力ではなくヨクをぶつけ合うことで、さらに大きな争いを予防する格好にもなっている。韓国語からヨクを取ってしまったら、彼らは一言もしゃべれなくなってしまうだろう。

ロシア語の教授(韓国人)に聞いてみた。
ロシア語の博士であるからロシア語のヨクなどはさぞかし知っているだろうと思って聞いてみたのである。
彼の言うにはほとんど知らないという。
モスクワで七、八年勉強し、現地で言語学の博士号(ロシア語)を取ってきた人であるが、ロシア語のヨクは知らないそうだ。
子どもの頃から現地に住んでネイティブとしてマスターしない限り、その言語のヨクは覚えられないものであるということをこのときはじめて知った。

英語でも韓国語でも、ことばを学ぶという立場からすれば、どんな単語でも学びたいし覚えたいものだ。子どもが知っていて大人のオレが知らないという図式がどうにもがまんできないわけである。

これはわたし一人に限ったことではないと思う。誰だって学ぶ以上は「子ども」よりは上になりたいはずだ。
スポーツやピアノやコンピュータといった技術・芸術系のものは、学べば子ども以上にはなる。
が、ことばに限っていうと、頭が固まった大人になってからいくら学んでも決して子ども以上にはなれない。
博士号を取ったとしても子ども以上にはなれない。そういう厳しい現実がことばの世界にはある。

もちろん勉強さえすれば、理屈を捏ねくり回し論文を書き、博士号を取って専門家として一人前にやっていくことはできるから、それほど悲観すべきものでもない。
けれどヨクをどれくらい知ってるのか、ことわざをどの程度知っているのか、擬声語・擬態語をどれほど知っているのかということばの奥深さの点になると、相手が子どもでも勝ち目はない。

そのことが肚の底から納得できたとき、その言語の専門家としての第一歩が踏めたと言えるのかもしれない。

韓国ならではの爆笑

きのう(12/18)は、韓国のD社という会社で顧問をしているKさんと会った。
1218Kakizawa.jpg  Kさんは70代の中盤で今もカクシャクとしていらっしゃる。
50代で日本のある電機会社を辞めて、その後縁あってこちら韓国の会社の顧問として
八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍である。
韓国での仕事(顧問)をはじめてはや十数年になるという。

わざわざわたしの勤めるB大学まで来てくださったのである。
ソウルからは80キロくらいの距離にあるここ天安(チョナン)。
車でだったら約1時間だ。運転手付きであるから、Kさんはただ乗っていればいい。

Kさんとはネットで知り合った仲である。
現代においては、ネットの重要性はことばで尽くしようがないくらいのものになってしまった。
ほとんど全てといっていいくらい、たいていの「こと・もの」は、ネットで成り立ってしまっている。
不思議と言えば不思議だし、便利と言えば便利なのだが、
どこかストンと腑に落ちない部分も多分にある。
おそらくこの思いはほとんどの人の共通の感覚であろうと思う。

もともとは韓国には関心を持っていたわけではなかったが、
こちらの企業と縁を持つことで韓国への関心もぐっと出てきて、
韓国関連の書籍は何十冊もお読みになっている。

その中の一冊として拙著『おしょうしな韓国』もはいっているのである。(まことにありがたいこと。)
奥様も韓流にはまっているとのこと。
でも、韓国が日本の天皇に対して「謝罪しろ」とかなんとか言った後からは、
韓流への関心が少し冷やえるような時期もあったらしいが、
Kさんさんのアドバイスでまたもとのように韓流のドラマなどを喜んで見てらっしゃるようだ。

韓国の中小企業がなかなか日本のような基礎技術が蓄えられない原因として、
「新しいことを教えても、学んだその人が3年後には辞めてしまって
もっと待遇のいいところ、いいところと探して出ていってしまう。
これがかなり大きいんじゃないか」とKさんはおっしゃっていた。

D社の社長とはキミボクの仲だ。社長がKさんを誘ってくれたわけで。
その社長が夜の飲み会で「ウリガナミガ」と盛んに言いながら酒を酌み交わすのだそうだ。
「ウリガナミガ」の意味は社長から聞いてだいたいはご存じであったが、
正確なところがいまいちはっきりしなくて、わたしにご質問があった。

「ウリガナミガ(우리가 남이가)っていうのは正確にはどういう意味なんでしょうね」。

ウリは「わたしたち」の意味で、これはKさんさんも重々ご承知の単語。
ナミガの部分が曲者だった。
これは「ナム(남)」という語が主語の形になっているもので、
「ナム」は他人とかよそ者などといった意味なので、「ウリガナミが」は全体として
「わたしたちは他人なの?(いや他人じゃありません、家族のような存在ですよ)」という意味で使われているフレーズである。
一時、映画かなにかの中の台詞として大流行のことばだったみたいだ。

意味そのものはこのように説明してあげたが、映画とはちょっと距離のあるわたしは、
このフレーズが流行語になっていたとは知らなかった。

そばにいた運転手兼秘書の方が「ひととき、かなり流行しました」と説明をくれたあとのことばが
なんともふるっていた。

「Kさん、いままでそのことばの意味もわからずに使っていたの?」

と日本語できたもんだ。韓国人のダイレクトさが如実に現われている寸鉄だ。

Kさん、思わず「うっ」とことばに詰まるようなそぶりを示されたが、
もとよりこれは冗談のことばなのですぐに立ち直られ、

「いやあ、意味はだいたいはもちろんわかっていたよ。でもその、正確なところが、さ。」

とことばを継がれていたが、三人、大爆笑であった。

こういうちょっときつい冗談を言えるのが、韓国なのである。
日本だったら、こうもダイレクトにはいくまいと思う。
だから、ここでの爆笑は、日本でだったらありえない爆笑だったということになる。
韓国ならではの爆笑、笑いであって、こういう部分は感謝したいところだ。(韓国に)。

一回笑ってナンボ、の世界で生きているわたしたちではないか。
(あくまで「笑わせて」じゃなくて「笑って」である点、誤解のないように願いたい^^)。

その他、ここに書ききれないほどの内容のお話をすることができた。

初対面ながら他人のような感じがしなかったのは、
やはりネットを通じてお互いブログにカキコしたり、メールでやりとりしたりと、
ネット上でのお付き合いがあってのおかげなのであろう。

経済状況や日韓関係のこと、企業文化や韓国の山のことなど、
Kさんと話したいことはまだまだ山ほどある。
またいつかお会いしましょうということできのうはお別れしたが、
ほんとうにまたそのうちにお会いして、積もる話に花を咲かせたい。くれぐれもお元気で。

参考サイト_与一の里様;http://yoichi.mo-blog.jp/kaki/2013/11/post_667c.html

生き甲斐_ (学生エッセイ0008)

きょうは、cbyさんの作品です。
わたしの教えている学生たちは、こういう内面を見つめる子が多いです^^。
きょうは「生き甲斐」というテーマです。
それではどうぞ。

<生き甲斐>
私は利己的だ。私の楽しみのために生きてきたし、今も私がしたいことだけしながら生きている。ボランティア活動をしてみたことがあまりない。ボランティア活動は余裕があるとき他人に親切を尽くす余裕がある人たちのものだと思っていた。
 でも私はちょうど2度、学校で義務的なボランティア活動ではなく、自分の意志でしたボランティア活動がある。一度は中学校の時、教会で行ったボランティア活動である。障害児たちが集まっているところだった、最初は私と異なると考えて嫌だった。だんだん彼らと親しくなることができた。一緒に笑って騒いでる友達になった。
来週にも来るよと言って挨拶して別れたが、結局私はその後その子供たちと再び会うことはなかった。そうして彼らは私の記憶の中で忘れられた。
 そして2013年、私の最後の大学生活に何か思い出を作りたいと考えたときに、夏休みの間フィリピン宣教に行くことを決心した。実は恐怖が大きすぎて行きたくなかったが、海外にいくんだという期待感ではしゃいだ気持ちで申請した。
 教会にしばらく行ってなかったし、他の人たちとも親しくない。そこに行く準備期間がとても大変だった。諦めたくなった。結局私は行く前に涙を流した。恐ろしい気持ちがとても大きくて行きたくないから涙で訴えたようだ。
 結局私はフィリピンに行くことになり、行く道もとても大変で到着して一睡もできなかった。私より劣悪な環境の子供たちを気の毒に思うのではなく、近付きたくない異種族だった。
ボランティアをしに来たが、私の心はすでにボランティアではなく、家に帰りたい熱望ばかりだった。一緒にご飯を食べて笑っているが、心はもう遠く離れていた。洗うところもなく、食べ物も口に合わないし、天気も暑くて、夜にもよく眠れずに私の体はもう疲れはてていた。
 そうしながら私たちが練習した公演の時、初めはフィリピンの子供達の顔も見なかった。ただ、私がする仕事だけやって静かにしていた。なのに一緒に行った人たちが、ここの子供たち、とてもきれいじゃない?と話すのを聞いて、私は子供たちの顔を見始めた。
 とてもきれいに笑う姿が可愛らしかったし、純粋だった。その姿に私は恥ずかしくなった。なぜこの姿を知らなかったのか。私のどこがすばらしいゆえ、こんな私を見て好ましそうに笑ってくれるのだろう? 私達が吹いてやる風船一つで幸せそうにしている姿に、彼らを嫌っていた私の心はどこか遠くへ行ってしまった。
 その後、私は子供たちに積極的にアプローチして、だんだん仲良くなっていった。毎日別の出会いとなってちょっと残念だったが、新しい出会いを期待して私は5泊6日のフィリピンの日程を無事に終えた。
 私は依然としてボランティアを好きじゃない。しかし、何でもない私が人の手助けができると思う時、私は生きがいを感じる。私がまだこの世に必要な存在なんだと思えて。

[보람]
나는 이기적이다. 나의 즐거움을 위해 살았고, 지금도 내가 하고 싶은 일만 하며 살아간다.
봉사활동을 해본 적이 별로없다. 봉사활동은 여유가 있을 때 남에게 베푸는 있는 자들의 여유라고 생각했다.
하지만, 나는 딱2번 학교에서 하는 의무적인 봉사활동이 아닌 내 의지로 한 봉사활동이 있다.  한 번은 중학교 때 교회에서 간 봉사활동이다. 지체장애아들이 모여있는 곳이였는데, 처음엔 나와 다르다는 생각에 싫었다. 그러다 조금씩 그들과 친해질 수 있었다. 함께 웃고 떠드는 친구가 되었다. 다음주에도 온다고 하며 인사하며 떠났지만, 결국 난 그 후 그 아이들과 다시 만나지 않았다. 그렇게 그들은 내 기억 속에서 잊혀졌었다. 그리고 2013년 내 마지막 대학생활에 뭔가 추억을 만들고 싶다고 생각할 때, 여름방학동안 필리핀 선교를 가기로 결심했다. 사실 두려움이 너무 커서 가고싶지 않았지만, 해외에 나간다는 기대감에 들뜬 마음으로 신청했다. 교회에 한동안 나가지 않았고, 다른 사람들과도 친하지 않아, 그 곳에 가는 준비기간이 너무 힘들었다. 포기하고 싶었다.결국 난 떠나기 전 눈물을 흘렸다. 두려운 마음이 너무 커 가고싶지 않아 눈물로 호소했던 것 같다. 결국 난 필리핀에 가게 되었고, 가는 길도 너무 힘들고 도착해서 한숨도 자지 못했다. 나보다 열악한 환경의 아이들을 불쌍히 여기는 것이 아니라 가까이 하고 싶지 않은 이종족이였다.봉사를 하러 왔지만, 나의 마음엔 이미 봉사는 없고, 집에 돌아가고 싶은 열망만 있었다.같이 밥을 먹고 웃고 있지만, 마음은 이미 멀리 떠나있었다. 씻을 곳도 없고, 먹을 것도 입에 안 맞고, 날씨는 너무 덥고, 잠도 잘 안 와 내 몸은 이미 지쳐있었다. 그러다 우리가 연습한 공연을 할 때 처음엔 필리핀 아이들의 얼굴을 보지 않았다. 그저 내가 할 일만 하며 조용히 있었다. 근데 같이 간 사람들이 아이들 너무 이쁘지 않냐며 이야기하는 소리를 듣고, 나는 아이들의 얼굴을 보기 시작했다. 너무나 맑게 웃는 모습이 사랑스러웠고, 순수했다. 그 모습에 나는 창피해졌다.
왜 이 모습을 알지 못했을까? 내가 뭔데 이리 날 보며 좋아해주고, 웃어줄까? 우리가 불어주는 풍선 하나에 행복해 하는 모습에 그들을 싫어하던 나의 마음은 사라졌다.
그 생각이 든 후로 나는 아이들에게 적극적으로 다가갔고, 점점 더 친해지고 있었다.
하루하루 다른 만남이 아쉽기도 했지만, 새로운 만남을 기대하며 나는 5박6일의 필리핀 일정을 무사히 마쳤다.
나는 여전히 봉사를 좋아하진 않는다. 하지만, 아무것도 아닌 내가 남에게 도움이 될 수 있다고 생각될 때 나는 삶의 보람을 느낀다. 내가 아직 이 세상에 필요한 존재구나 라고 생각한다.

有言実行(ケイスケの夢)

本田圭佑の夢です。
小学校時代の作文に下のようなことを書いています。
背番号10番でセリエAに入団するまでは実現してしまいました。(なんということ!!!)
あとはワールドカップでブラジルに2:1で勝つことだけが残っています。
それにしてもすごいです。
これって、人間なんでしょうか。

「本田圭佑の文章」(小学時代)
ぼくは大人になったら 世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには 世界一練習しないとダメだ。だから 今ぼくはガンバっている。
今はヘタだけれどガンバって 必ず世界一になる。

そして 世界一になったら 大金持ちになって親孝行する。
Wカップで有名になって ぼくは外国から呼ばれて ヨーロッパのセリエAに入団します。
そして レギュラーになって 10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。

プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り
世界中の人がこの僕が作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。

一方 世界中のみんなが注目し 世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは 日本に帰り ミーティングをし 10番をもらってチームの看板です。

ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ、世界の競ごうをうまくかわしいいパスをだし合って得点を入れることが
ぼくの夢です。

本田圭佑の文章 (参考: http://matome.naver.jp/odai/2137049447703768301)

西野カレン_ 筆者のエッセイ0001

このブログは主に学生のエッセイとブログ制作者のエッセイをシリーズでお届けするものです。
ニュース性のものも書きますが、主にエッセイで進めていく予定です。

きょうはブログ制作者のエッセイシリーズ。0001です。それではお読み下さい。

<西野カレン>
最近は、日本も韓国も子供の名前に外国人的な発音のものが多い。
たとえば「リサ」とか「レイナ」とか「カレン」とか。
女の子の名前にとくに多いかもしれない。
「ジュン」などという発音は男の子の名前としてけっこう見られるかもしれない。
グローバルな時代になって、いつ外国生活するはめになるかわからないし、
子供がおおきくなって外国人と結婚するかもしれないし。
そうしたことに対処するため、というよりは、どこに行っても通じる名前をはじめからつけておく、
といった気持ちが強いのかもしれない。

韓国はご存じのように日本人のことが基本的に嫌いだ。
だから韓国に住む日本人の子供がどういう名前で学校に通うのかというのは、けっこう大きな問題なのである。

わたしの知人の子供は見目麗しい女の子だ。
幼稚園、小学校のときは、けっこうおおらかにというかある意味「適当に」名前を登録できる。
本名は「西野カレン」でも「李・カレン」つまり「イ・カレン」などとして登録できるのである。

中学校からが問題だ。本名と同一の正式な名前を登録をすることになる。
コンピュータ網に登録され、後々この情報がずっとイキになるのである。

西野さんの家族は、子供が小学6年を終え、中学に入学するその休みの間に家族会議を開くことになった。
 
「カレン、お前は中学からどういう名前で行こうか」

彼女はほとんどためらうことなく、

「ナ、ニシノ カレン ロ カルケ」(あたし、にしのかれんで行くわ)

と答えた。
母親であるのハン氏をとって、「ハン・カレン」でも登録は可能なのだったが、
娘は「にしのかれん」でいくという。

実は、韓国では歴史の時間に、日本による植民地時代のことを、それはつぶさに教えるのだ。
「日帝」のことである。
1910年8月から1945年8月までの36年間、韓国は日本による植民地政策により国を奪われ、
名前も奪われ、ありとあらゆる苦労を強いられた。
日本ではこのことをほとんど一言も教育の場で教えないので、子供らはなにも知らないで大きくなる。
 
西野さんも、韓国に来るまでは日帝などということばの存在すら知らなかった。
韓国人から、その名前を奪い、日本式にせよといったいわゆる「創氏改名」などは、
この誇り高い民族からすれば、それこそ死ぬよりも辛い仕打ちだったのである。

日本帝国は韓国民のことばも奪おうとして、小学校での教育はすべて日本語でやり、
韓国語を学校内で使うとひどい罰を与えるようにした。

こういうことを中学校からの歴史の時間に徹底して教えるので、西野さんとしては、
クラスに娘が日本人一人だけいることになるわけで、
大丈夫かな、と心配したのであるが、娘は「大丈夫」という。

小6ぐらいではなにもわかっていないからということも考えられるが、
小6ともなると、テレビからもいろいろ知ることになるし、
親には言わないながら、学校でもいろいろな経験(日本人としてダメージをうけること)があるはずだった。
つまり、かなりのことをわかっていながら「大丈夫」といっているものと西野さんは判断した。
子供なりに勇気をもってやっていこうと決心しているようだった。

母親である彼の妻も、娘の「大丈夫」には、驚きもありながらも、これはほんとに大丈夫なのかも、
という気持ちを強くしたようだった。
家族会議の結果は、「にしのかれん」でいくことになったのである。

中学入学の第1日目。天安西女子中学校。

車で学校まで送り、入学式の式場に入っていく娘の後ろ姿を見ていると西野さんはなぜか
心細くなってきたものだった。
親ばかとはこういうことなのだろう。それにひきかえ彼女の足取りは軽そうだった。

学校から帰ると、話すことが山ほどだった。
女子中とあって、日本人の新入生がいるといううわさがほとんど瞬間的に広まり、
娘のクラスの窓越しにちらちらと中のほうをうかがいながら

「このクラスに日本人の子がいるみたいだけど、どの子?」と「見物」に来る子らが何人もいたとのこと。

それも、否定的な視線ではなく好奇の視線から。

結局中学3年間、高校3年間、「にしのかれん」で大きなイジメもなく、
否、逆に羨望の的として過ごすことができたのである。
アニメやキティちゃん、トトロそしてファンシー製品などのおかげであろう。

ちなみに日本国籍の男子学生は、ほぼ例外なくかなりの辛酸をなめながら過ごすことになるようだ。
登校拒否になったり引き籠もりになったりするケースが相当にあるということだ。
男子と女子では大きな違いがあるものと思われる。
男として生まれたものの悲しさだろう。

カレンちゃん、今は大学の4年生となり、就職活動たけなわである。
日本企業に入りたい考えだけれど、希望通りにいくかどうかは神のみぞ知るであろう。
健闘を祈るばかりだ。

シビィシビィ(십이십이)

きのう、きょう韓国はヂャン・ソンテクの話題で持ち切りです。
つい数日前別のブログ(
http://blog.goo.ne.jp/mmy21an)の11日に彼についてアップしました。
命が危ないと。そしたら12日、
次の日に処刑されてしまいました。

ニュースのテロップを見て気絶や倒れた人がいるくらいです。
それくらいショッキングな事件でした。
北朝鮮の1212事件です。

これは韓国語では「シビィシビィ」(십이십이)と発音します。
この「シビィシビィ」は1979年の事件としてこちら韓国(South Korea)では
民衆の間に強く記憶されています。

1979年12月12日、全斗煥などがリードした軍部内の私設組織「ハナ会」中心の新軍部勢力が起こした
軍事反乱事件です。

南にも「シビィシビィ」、北にも「シビィシビィ」が発生した格好です。
南は1979年、北は2013年ということですね。

北はこれからどうなっていくのでしょうか。

血を流せば血で粛清されるのが歴史の教えです。
その時期がいつか、時間の問題になってきました。

きょうはここまでにします。

この話題はものすごい大きいものなので、
今後もこれを追っていくことになるかと思います。

オギムオプシ

韓国語に、「オギムオプシ」(어김없이)という語がある。
「たがうことなく」という意だ。
オギムオプシ オルヘド キョウル ドラワックナ。(たがうことなく今年も冬がやってきたね。)
ひとりつぶやいてみる。

けさも早朝、テジョサンに登ってきた。
雪が10センチくらい積もっている。
オギムオプシ オルヘド キョウル ドラワックナ。
今年もたがうことなく冬がやってきたんだなあ。
キュッキュッという雪を踏みしめる音を自らに聞きながら
オギムオプシ、ともう一度口ずさんでみる。

山に雪が降り、今年も12月。
オギムオプシ 雪の降る季節はめぐってきて、
これから年末になり
そして新しい年を迎えることになる。

愛する友らが、片手にあまるほどすでに天に召されている
みんなが行くその道だけど、
ちょっと一足先にいっちゃったんだね。
お空の国は楽しいかいな。

でも自然はそんなことにはおかまいなく
オギムオプシ雪の降る季節を迎え、新年になり
そして春へとつながっていく。

オギムオプシ繰り返されるこの単調な螺旋が
実は途方もなく大切なものなんだと、
今朝は雪を踏みしめながらふと感じ入ったことだった。

田舎の母は元気だろうか。
90にはまだすこし遠い。
先週は電話の声にハリがあった。
まだまだ元気でいることだろう。
今年もオギムオプシ、韓国のノリとお菓子をしこたま送ってやる時期だ。
きょうは妻といっしょに車いっぱいのノリとお菓子を買ってこよう。
そして荷造りだ。
クリスマスまでには届いてくれるだろう。
サンタのおじさん、韓国からのこの息吹きを無事届けておくれ。

ミラン_本田(マウムッコ)

われらの本田圭介がいよいよ来年2014年1月から

イタリアセリエAのミランの選手になることが決まりました。

 

おめでとう本田!

そしてこれからが本当の君の真骨頂だ。

新しいミランの歴史を作ってくれ。

がんばれ本田!

 

失敗を糧にする本田。

失敗をおそれない本田。

そういう君から我々は多くのことを学ぶ。

 

オンリーワンになる決意のよう。

本田はできる。

ミランのオンリーワンの星になって

大きく輝いてほしい。

日本人としての誇りだ。

わたしは日本の地じゃなくて韓国の地にいるけど、

応援する気持ちは変わらない。

ザックの後押しがけっこう強く作用していたのかもしれない。

ザックに高く認められている君だ。

イタリアのトップクラブに行き、

ザックも心から喜んでいることだろう。

サッカーマンとして、人間として

これからも大きく成長していってほしい。

君の背中を見て

日本の幼い子供たちがついていく。

がむしゃらに、堂々と、マウムッコ(마음、思い切り)

やってほしい。

がんばれ本田! がんばれ日本!!

 

おしょうしな韓国

わたくしのブログは、韓国関係のことに関心のある方々がご覧になってらっしゃると思います。
きょうは拙著『おしょうしな韓国』についてご紹介させていただきます。
筆者の韓国生活25年を集大成したエッセイ集です。
今年7月ごろ出版される運びとなりまして、
出版以後、いろいろのお便りをいただいております。
韓国の新しい面がわかった
ボシンタンを食べる部分がおもしろかった
韓国旅行がこれでちょっとは楽しくできそう
などなど。
たくさんの方々の励ましのお言葉がうれしいです。
韓国に対する見方がすこしでも変わってもらえると筆者としては
うれしいかぎりです。
韓国はお隣の国でありわが日本とは運命共同体として
これからも永遠に付き合っていかねばならない国です。
すきだ、きらいだ、を越えて、
どうしても仲よくやっていくべき国であることは間違いのない事実です。
安部さんになってから、かなり冷え込んでしまいましたが、
このまま冷えきってしまってはいけないと思います。
草の根でなんとかお互いを理解し通ずる部分を残していくべきです。
こういう時期であるからこそ、
こういう本をお読みいただければと思います。
「おしょうしな」というのはわが故郷・米沢市の方言で
「ありがとうございます」っていう意味です。
音がかわいくてきれいでしょ^^。(筆者の独りよがりか)。
ご近所さんを愛していく、
これは日常生活の要諦です。
国と国の間でも事情は同じです。
お隣さんをめでめでしましょう。
『おしょうしな韓国』を読み読みしてくださいね。

書評などもご参照のほど。
書評1:one Korea daily news
書評2:与一の里様


全国行脚

うち(B大学)の学生におもしろいのがいて、名をヂョン・テハといいます。
彼、サッカーがめちゃくちゃうまくて、高校時代はサッカー三昧だったといいます。
それでうちの大学に来たのだと。(ちなみにサッカー入学じゃありません)
テハ君は、サッカー同好会のメンバーで、175センチくらい、体重は60キロほどか。
中肉中背って感じ。
サッカーにはもってこいの体型ですね。
わがB大学のサッカー同好会のメンバーの中で
ボールをトントンとついて、くるっと回すことのできるのがこのテハ君ただ独り。
わたしもこのリフティングには関心があって、
ボールをトントンとつくだけだったら、1000回、2000回とできます。
でもトントンとついて即くるっと回す動作がどうしてもできませんでした。
テハと会って、目の前で直接くるっと回すのを見たら、
すぐにカンがつかめて、うちに帰ってアパートの庭でやってみたら、
30分後くらいにはできてしまったんです。
トントンつくだけだったらほとんど無限にできる状態だったんだけど、
ボールをくるっと回すことが1回もできなかったわたし。
でも目の前で直に見たら、すぐにできてしまった。
このときの不思議さは今でも覚えています。
あれだけできなかったことがすぐにできちゃう。
直に見るのって、こんなにちがうのか。
いろんなことを考えさせられましたね、このときは。
何事にも師匠ってものがいますが、
その意味をかなり深い意味で知りました。
こういうのを悟るっていうのかもしれません。
すごく重要な体験をさせてくれたテハ君。
彼、今度卒業です。日本語専攻。
で、卒業したら日本へ行って、ホットクというちょっと甘いもちのようなものを
売りながら日本全国を回りたいと言っています。
焼き芋のホットク版といったらいいんでしょうか。
焼き芋のおじさんはあちこちで見掛けますが、
ああいう人って、どこでも自由に道具を留め置いて売ることが許されているのでしょうか。
車で行商しながら全国行脚ということで、
かなり大変な路程となることは本人も想像していることですが、
こういう覇気というか気概のある青年は、なんとか応援してあげたいものですよね。
どうやったらいいのか、ご存じの方、どうぞここにメモで書いていただければありがたく存じます。

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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