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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

私の好きなもの

ソウルで会社勤めをしている娘が今週(天安に)帰って来て、あれこれしゃべっていたら
筆者が大学の講義で出した課題に興味を持って、自分でも書いてみると言って書いたもの。
テーマは「わたしの好きなもの」。わが娘ながら、まあまあの文章だと思う。
もう学生ではないのだけれど、だいたい年代がそうなのでこのカテゴリに入れた。


「わたしの好きなもの」

歳をとるにつれて好きなものが増えてくる。
最近は山登りが好きになった。

子供の頃から山に行く機会は何回かあったが、しょうがなくついて行った感じだった。
とくに中学・高校時代の私には山登りが「克己」のような概念だった。
勉強に向けて集中するためにわざと山に登ったりして覚悟を決めたことがあるくらいだった。

だが、その山登りがいきなり好きになった。
きっかけはたぶん、今勤めている会社に入ってすぐのワークショップだと思う。
「五臺山(オーデサン)」という国立公園に行ったのだが、規模も大きいし、ちょうど10月の紅葉の時期だったので絶景だった。
いい気分で歩いていたらスムーズにウォーミングアップができ、あとは加速して先頭グループになっていた。
何百人かのおじさんたちと比べても私の山登り力が負けないってことが分かって嬉しかった。
多分その時に山登りに対しての私の恐怖感または拒否感が減ったと思う。

その後から春、夏、秋に山登りに行っている。冬の山はこれからだ。

山登りがどのくらい好きかというと、
「男が愛に落ちたときの気分がわかるようになった」くらいかな。
行こうとしている山がどんだけ遠く離れていても全くめんどくさがらずに行ける。
その山からの景色はどうだろう、そこのコースはどんな難易度だろう、その高度はどんな達成感を与えてくれるだろう、
と好奇心をもって行ける。

今年は7200歳の杉の木が観れる9時間トラッキングコースのある屋久島観光に行ってきた。
普段山登りで体力を鍛えていたので無事に成功した。
自然好きな人には屋久島を強くお勧めする。いわゆる「迫力ある自然に囲まれた気分」がわかる‼︎

私が思う山登りの魅力は「自分の成果が一番早く目に見える運動」と「自然の美しさを満喫できる運動」という点だ。
どんな運動でもいくら痩せたのかはそんなに簡単にはわからない。
だが山登りは少なくとも頂上から見る景色で自分が登って来た高さがわかる。
登り甲斐(がい)もすごい。
あと、木、岩、草、花などの自然と触れられるし、美しい色合いも見れるのが嬉しい。
そういった自然を見ていると自動的に神さまに感謝の言葉を捧げるようになる。
こういう自然に囲まれている街に住めること、自然地形を創造してくださったこと、
健康な足で登れること、自然の美しさがわかることなどに感謝する。

周りに「週末には山登りに行きます」というとみんな「体力がすごいね」と言いながらびっくりする。
でも山登りをしたらむしろ元気になって月曜病がなくなる。
山から元気をもらうようだ。普段めんどくさがったことも山登りのあとにはスムーズにできる。

山登りのコツは「最初はゆっくり」だ。始めから思いっきり進むと乳酸が出て筋肉にすごい負担がかかる。
いくら慣れている人でも最初から無理をすると体が重く感じれれる。
準備運動のストレッチをしてゆっくり登れば、だれにでも山登りの魅力を分かってもらえると思う。
今週、あなたもいかが?

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¶ 日本の「道」 _ 学生エッセイ87

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその87回目で、男子學生 Y H G  さんの作品です。


<日本の「道」>
 僕が考えている日本文化の特徴の一つは’道(どう)’の文化だ。日本は他の国の人が見ると簡単に見えることまでも意味を探して、それをずっと練習する人もたびたびみえる。
  例えば、日本の’香道’がそうだ 。’香道’は平安時代、海外から来た香木と日本の香木の香りを区分する’道’であった。
この文化は韓国では聞いたこともなく、日本独特の文化としてこの内容を教わた時、「こんなことまで道で作ったのか」と考えたほどだった。
 上の例の通りで、日本はいろんな仕事を練習するし、この中で意味を探す。香道だけではなく、武道、茶道、書道なども日本の’道’の文化をよく表しているものと思う。
もちろん韓国や、中国でも’道’という文化はある。しかし、日本の’道’は別の特徴がもうひとつある。それは仏教と関連しているということだ。
 日本の’道’は仏教の’悟り’ということが混ざっている。それは昔の武士階級の人たちが中国からきた仏教の中にある「修練を通じて自身を鍛錬し、それで悟りを求める。」ということが自分たちの武道の価値観と合うことだと考え、それを受け入れたといわれている。
  このように、日本の’道’は日本だけのことだけではなく、ほかのものも受け入れながら日本の生活に染み込んでいる一つの文化として変わって来たといっても構わないだろう。


<일본의 도>
내가 생각하는 일본문화의 특징중 하나가 ‘도’라는 문화이다. 일본은 다른 국가의 사람이 본다면 간단하게 보이는 일에도 의미를 찾고, 그것을 계속 연습하는 사람이 종종 보인다.
예를 들면, 일본의’향도’가 그 중 한 가지이다. 향도는 헤이안시대, 해외에서 수입한 향목과 일본향목의 향을 구분하는 ‘도’였다.
이런 문화는 한국에서도 들은적도 없고, 일본특유의 문화로써 ‘도’를 배웠을때”이런것까지 ‘도’로 만들었었구나.”라고 생각했을 정도였다.
위의 예시대로일본은 여러가지 일을 연습하고 이 안에서 의미를 찾는다. 향도뿐만 아니라 무도, 차도, 서도등도 일본의 ‘도’문화를 잘 알수있다.
물론 한국이나 중국에서도 ‘도’라는 문화는 있다. 그러나 일본의 ‘도’는 그 외의 특징이 한가지 더 있다.
그것은 불교와 관련되어 있다는 것이다.
일본의 도는 불교의 ‘깨달음’이라는 것과 조합되어있다. 깨달음은 과거, 일본 무사계급의 사람들이 중국에서 온 불교의 가르침에 있는 “단련을 통해서 자신을 단련하고, 그것으로 깨달음을 구한다.”라는 것이 자신들의 무도의 가치관과 닮아있다고 생각해서 그것을 받아들였다고 말해지고 있다.
이렇듯, 일본의 ‘도’는 일본만의 것이 아니라 그 외의 것도 받아들이면서 일본의 생활에 스며들어있는 하나의 문화로 변해왔다고 해도 문제가 없을정도가 되었다.

¶ 東京と大阪での出来事 _ 学生エッセイ86

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその86回目で、男子學生 K J Uさんの作品です。

<東京と大阪での出来事>
私は日本は旅行で東京と大阪に一回づつ行ってきた。
当然東京と大阪では感じられることや体験の違いがった。
まず大阪では話しかけられることが多かった。
祭りに行った時、友たちと韓国語で話していたら屋台のおじいさんが
「あ、君たち韓国人かい?旅行?いいね!あ、日本語できる?すごいな!」など
その場で約15分間大阪の親密感を味わいました。その後はサービスも貰ってかなり面白い体験だった。
そして電車でも同じく似たような経験があったり、お店でも話しかけられることがあったりした。
私が聞いてきた大阪のイメージは東京に比べて、もっと活発でおしゃべり好きなイメージだということだったが、確かにと思った経験だった。
東京でもたまに話かけてくださるおばあちゃんがいらっしゃったが、大阪のそれとは比べにならなかった。
普通話しかけても話が5分以内に終わった東京にくらべ大阪は本当に会話をしたという違いだ。
そして対照的な東京での一件、旅行の途中あるご家族と一緒になったことがあった。
そこでおばあさんが
「あの子たち韓国人みたいだね。なんかあげるもんないかしら。」というと、
そのおばあさんの娘らしき人が
「やめなよ、あの子たちだって旅行中なのに話しかけられたりすると、困らせるだけだから。」
「でも…」
「やめといたら。」
もちろん私たちも日本語ができたので、その会話を聞いていたが、なんとも言えずただ聞いていることしかできなかった。
今ならこっちから話しかけてみたりしたのかも知れないが、当時の私には無理だった。
結局は人それぞれの性格の差なのかも知れないことだが、この二件の出来事はよき対照となった。


저는 일본에 여행으로 도쿄, 오사카에 한 번 씩 다녀왔습니다.
당연히 도쿄와 오사카에서는 느낀 점이나 체험에 다른 점이 있었습니다.
우선 오사카에서는 말을 걸어오는 경우가 많았습니다.
축제에 갓을 때, 저희 일행들끼리 한국어로 말하고 있으려니, 노점의 아저씨께서 “아, 너희들 한국인이냐? 여행 온 거야? 좋겠네! 아, 일본어 할 줄 알아? 대단한데!” 그 자리에서 약 15분간 오사카의 친밀감을 맛보았습니다.
그 후에는 서비스도 받아 상당히 재미있는 체험이었습니다.
그리고 지하철에서도 유사한 체험을 하거나, 가게에서도 말을 걸어오시는 경우가 있었다거나 했었습니다.
제가 들어온 오사카에 대한 이미지는 도쿄와 비교해서, 더 활발하고 말하는 걸 좋아하는 이미지였습니다만, 확실히 그렇네..라고 느낀 경험이었습니다.
도쿄에서도 가끔 말을 걸어주시는 할머님이 계셨습니다만, 오사카의 경우와는 비교가 되지 않았습니다.
보통은 말을 걸더라도 5분이내에 이야기가 끝났던 도쿄에 비해 오사카에서는 정말로 대화를 했었다는 차이가 있습니다.
그리고 대조적인 도쿄에서의 한 사건이 있었습니다. 당시 어떤 가족과 같이 가게 된 적이 있었습니다.
거기서 할머님이 “저 애들 한국인 같아. 뭐 줄만한 거 없을까?” 라고 하시자, 그 따님 같아 보이시는 분이 “하지마, 저 애들도 여행 중에 누가 말 걸고 그러면 곤란해 할 뿐이니까.”
“그래도..”
“하지마.”
물론 저희들도 일본어를 할 수 있었기에, 그 대화를 듣고 있었습니다만, 아무 말도 못 하고 그저 듣고 있을 수 밖에 없었습니다.
지금이라면 이쪽에서 말을 걸어볼 수도 있었을지 모르지만, 당시의 저에게는 불가능했습니다.
결국 사람 각각의 성격 차이 일지도 모르는 일이지만, 이 두 경험은 비교해 볼만 합니다.

2018年が始まった。きょうは3日目。戊戌(つちのえいぬ)年の出発だ。
いぬ年の皆さんはもちろん、全ての読者の方々の健康と幸運を祈りながら。

お付き合いのエピソード_ 学生エッセイ85

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその85回目で、男子學生 I D G さんの作品です。



<お付き合いのエピソード>

普段、手話に関心が多くて両親の勧めで二ヶ月半くらい前から教会の青少年聾唖部で
補助の先生としてボランティアしています。
手話は大学の二年生の時、教養の授業で学んだのが全部で、
それさえも時間がかなり過ぎたので忘れてしまい、
最初からまた学ばなければならなくてコミュニケーションに多くの困難があります。
聾唖の青少年たちのような場合にはまだ手話に通じていないため
話す人の口の動きを見たり文字を書いて対話をしますが、
特に聾唖人の青少年たちとコミュニケーションをしながら一番難しかったのは
多様な表情の変化でした。
手話には手の動きだけではなく表情もかなり重要だということを知らなかったときに、
意図とはちがって相手の聾唖の青少年が異なるニュアンスで受け入れてしまい
僅かな誤解を招きましたが、大したことではないので誤解はすぐに解かれました。
今も聾唖の青少年たちとよく過ごしていますが、
普段私が無愛想な性格で表情の変化がないタイプなので今でもまだ多くの困難があります。

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평소에 수화에 관심이 많아서 부모님의 권유로 2개월 반 정도 전부터 교회의 청소년 농아부에서
보조 선생님으로 봉사하고 있습니다.
수화는 대학교에서 2학년 때 교양수업으로 배웠던 게 전부였고
그마저도 시간이 꽤 지나서 까먹어서
처음부터 다시 배워야 해서 의사소통에 많은 어려움이 있습니다.
농아인 청소년들 같은 경우에는 아직 수화에 능통하지 않기에
구화인의 입모양을 보거나 글씨를 써서 대화를 하는데
특히나 농아인 청소년들과 의사소통하면서 가장 어려웠던 것은
바로 다양한 표정변화였습니다.
수화에는 손동작뿐만 아니라 표정도 크게 중요하다는 걸 몰랐던 때,
의도와는 다르게 상대 농아인 청소년이 다른 뉘앙스로 받아드리고 말아서
사소한 오해를 불러일으켰습니다만 별것 아닌 일이라 오해는 금방 풀었습니다.
지금도 농아인 청소년들과 잘 지내고 있지만
평소 제가 무뚝뚝한 성격에 표정변화가 없는 타입이라 아직도 많은 어려움이 있습니다. 

慣用句 _ 学生エッセイ84

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその84回目で、女子學生 M A Yさんの作品です。


<慣用句>
慣用句を上手に使うのはその国の言語を自然に使いこなすのに役立つと思う。
韓国と日本はにたような慣用句がある。
もちろん、まったく違うものもあってそういう慣用句は新しく覚えなきゃいけないが
ある慣用句は聞けば私たちと表現の仕方は違うけれど、だいたいどういう意味なのか分かる場合もある。
それで、今回は韓国と日本とで意味と表現の仕方、両方同じか似たような慣用句または、
似たような意味を持つが表現の仕方が違う慣用句を探してみた。
まず、意味と表現の仕方、両方同じか似たような慣用句から紹介してみようと思う。
韓国では「口が重い/입이 무겁다」と表現する慣用句を日本では「口が堅い/입이 단단하다」と言う。
また、「귀에 못이 박이다(直訳:耳にくぎを打つ)」と言う表現は表現の仕方が似ている。
日本では「耳にたこができる」と表現し意味も似ている。
次に、意味は似ているが表現の仕方が違う慣用句だ。
韓国の「식은 죽 먹기(直訳:冷めたお粥を食べる)」と同じ意味で
「赤子の手をひねる/아기의 손을 비틀다」と言う言葉がある。
また、「쇠뿔도 단김에 빼라(直訳:牛の角も一瞬にして抜き取れ)」は「善は急げ」、
「발 벗고 나서다(直訳:履物を脱いで乗り出す)」は「一肌脱ぐ」のような慣用句がある。
機会があればほかの慣用句ももっと学んでみたい。



<관용구>
관용구를 능숙히 사용하는 것도 그 나라의 언어를 자연스럽게 구사하는데 도움이 된다 생각한다.
한국과 일본은 비슷한 관용구도 있다.
물론 완전히 다른 부분도 있어서 그런 관용구는 새로이 배워야 하지만
어떤 관용구는 들으면 우리와 표현방법은 다르지만 대충 무슨 의미인지 알아들을 수 있는 경우도 있다.
그래서 이번엔 한국과 일본의 의미와 표현방식 둘 다 똑같거나 비슷한 관용구와 비슷한 의미를 갖지만 표현 방식이 다른 관용구를 찾아보았다.
먼저, 의미와 표현방식 둘 다 똑같거나 비슷한 관용구부터 소개해보려 한다.
한국에서 [입이 무겁다/ 口が重い]라고 표현하는 관용구를 일본에서는 [입이 단단하다/ 口が堅い]라고 표현한다.
또 [귀에 못이 박이다]라는 표현은 의미도 표현방법도 똑같다.
일본에서도 [耳にたこができる]라는 표현을 쓰며 의미 또한 같다.
다음으로 비슷한 의미지만 표현방식이 다른 관용구이다.
한국에서의 [식은 죽 먹기]와 같은 의미로 [赤子の手をひねる/아기의 손을 비틀다]라는 말이 있다. 또
[쇠뿔도 단김에 빼라]는 [善は急げ], [발 벗고 나서다]는 [一肌脱ぐ]와 같은 관용구들이 있다.
기회가 된다면 다른 관용구들도 더 많이 배우고 싶다.

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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