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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

本庶佑氏_ ノーベル医学・生理学賞

京都大がまたやりました。
本庶佑(ほんじょ・たすく)氏がノーベル医学・生理学賞を受賞。
京都大ゆかりのノーベル賞を受賞した研究者は10人となった。
京大の受賞者はすべて自然科学分野で、同分野だけで比較すると東大の5人を抜く7人。
西の最高学府に位置づけられる京大は、「自由な学風」として知られ、これまでに世界的な研究者を生み出してきた。

なんといってもすごいのは、1949年のノーベル物理学賞の湯川英樹だ。
廃墟の日本に、生きる勇気と力を与えるのに、これ以上に偉大なものはなかった。
湯川英樹のノーベル賞から日本のノーベル賞の歴史がはじまった。
ノーベル賞をもらう少し前のこと。
米国で勉強している湯川の部屋にアインシュタインが入ってきて、
涙ながらに「申し訳ない」と謝罪したという。

(湯川の妻・スミさん言:
「部屋にくるなり、私たち二人の手をとって、涙をポロポロと流しながら、
自分が研究したことが原爆になってつみもない日本人を殺すことになって申し訳ないと言って泣いた」)。

1945年8月の原爆(広島、長崎)投下に対する研究者としての最大の良心からだった。
ナチスに先をこされるとやばいと考えたアインシュタインは、
米大統領に原爆の製造を提案する。
それがすぐ形となったのはいいのだが、
実際に落とされたのは日本だった。
アインシュタインの考えとはまったくちがった結果となったわけだ。

自分が理論を作り(E=MC2)、申し立てまでした原爆。
悪を潰すためのものとばかり考えていたのだが、
いざ使われてみると、それは悪(ナチス)ではなく日本だったわけだから、
アインシュタインの心に中には消そうにも消しきれない悔悟の念が渦巻くことになる。

湯川を訪ねて、涙を流しながらお詫びをし、申し訳ないと訴えたアインシュタイン。
本当の科学者だと思う。

アインシュタインは晩年、量子力学に対する反発が強く、
今の物理学を引っ張る量子力学をニセモノと見ていたフシはあるけれど、
そこは、アインシュタインも人間。
間違いもあるということだろう。

アインシュタインは死に臨んでも、墓を作らないよう家族らに伝えたという。
遺灰は、川に流すだけでよいと。
遺骨は散骨されたわけだがそこに参拝者が訪れることを防ぐために、場所は公表されていない。
プリンストンのどこか近くの川に撒かれたという。彼の墓は作られていない。

靴職人でもしながら、あちこちを流浪する人になりたかったという
アインシュタインの子供のころの「夢」をどっかで読んだことがあるけれど、
最後まで一介の葦として、雑草として生き抜いた偉大なる物理学者であった。
いつの間にかアインシュタインの話になってしまったけれど、

本稿のまとめ。
日本人のノーベル賞受賞者は、2017年のカズオ・イシグロ氏(文学賞)を含めると27人となった。
カズオ・イシグロ氏は日本国籍ではないから実際には26人ということになる。
さらに南部陽一郎氏、中村修二氏は国籍を米国に変えているので、これも除くと24人。
(でも、ま、そんなことはどうでもよいか)。

本庶佑氏が朝日新聞のインタビューで語った、学生時代から追求してきた人生の価値という「6つのC」は、
好奇心(Curiousity)、
勇気(Courage)、
挑戦(Challenge)
確信(Confidence)、
集中(Concentration)
連続(Continuation)」。

だという。

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屋久島紀行

屋久島の縄文杉を見に行ってきた。3泊4日。
ストーリーツアー(会社)のヂョ代表引率のもと、17人ほどが参加してのパック旅行である。
娘と二人で参加。(10時間のトレッキングは妻にはちょっときつい)。
台風12号(ジョンダリ)が日本にやってきている時期だった。
この台風は、普通の台風とはちがい、反時計回りに回って
屋久島を旋回するように回転して上海のほうへ抜けていった。
7月29日(日)。
インチョンを発って鹿児島へ。指宿温泉(岩崎温泉)で1泊。
砂風呂(砂の中に全身を埋める)がよかった。4階にある「空中温泉」というのもよかった。
しかし、29日夜の露天風呂で、雨に打たれながらはいった風呂が最高だった。
露天風呂の魅力はやはり、雨と雪だと改めて認識した次第だった。
30日(月)。
台風予報が気になる中、指宿港へ向かう。
船がでるかどうかもわからないけど、いったん港までは行ってみようという
ヂョ代表の引率のもと、全員マイクロバスにおさまる。
港で待っていると、高速艇がことばそのままに「飛ぶ」ように現れた。
猫バスかと思ってしまうほどだ。ついている。船は出るようだ。
屋久島をバスで1周したあと太鼓岩までの3時間コースを、
翌日の縄文杉トレッキングに備えて予行演習。
名物の雨はなかった。太鼓岩までのコースはそれなりにきつかったが、
無事、歩ききった。なんとかなりそうだ。
31日(火)。
この日がメイン。縄文杉探訪の日。
朝4時半起床。5時に宿を出発。1時間くらいマイクロバスに揺られて
縄文杉探訪の出発地点まで行く。
宿の用意してくれた朝飯と昼飯を持って。
朝はサンドイッチ、昼はおにぎり2つとソーセージなどのつまった弁当。
台風が1度消滅したあとまた復活し、ちょうど屋久島の周りを回るような格好で徘徊しているという。
台風がなくても雨が名物なのだから、かなりの雨は覚悟しての出発となった。
宿を出るときは雨はなかったが、探訪地点に着いたときにはかなりの雨となっていた。
雨具を着て、傘を用意してリュックを背負いなおす。
出発地点から数時間はトロッコの鉄路を歩く。
雨は時折強くなったが、止むこともあり、雨具は脱ぐことになった。
ただ、昼飯の時間にものすごい雨となり、
傘をさして立ったままおにぎりを食べた。
女性らは、雨よけのシートの下。男たちは傘をさして立ったまま。
しかたがない。
朝6時に出発して、11時半ごろになっていたから、すでに5時間半歩きづめ。
横になれないのがちょっと苦しかったが、おにぎりを食ったらまた力が湧いてきた。
さらに3時間ほど歩く。トロッコ路は平坦であまり疲れはなかったが
トロッコ路が終わってからはかなりきつい急坂。
昼飯後の数時間は登りづめの登山路なので、がんばりどころだ。
全員なんとか落伍せずガイドさんの後についてがんばってきている。
俺もがんばってついていった。
雨の中に縄文杉は立っていた。                                                                        Yakushima031_1.jpg    Yakushima028_1.jpg
白光杉。(びゃっこうすぎ)。
これが筆者が縄文杉を見た瞬間に思いついたことばだ。
7200歳という。ほぼ永遠。
想像を絶する時間を生きてきた杉。
こんな長い年月を生き抜いてきた生物はほかにあるだろうか。
「永遠」を目の当たりにしておのずから「祈り」が発生する。
傘をさしながらの見物となったけれど、
七千歳の杉さんは、白い光を発光するように、
物言うことなくあくまでもそこに立ち尽くす。
ご神木の放つメッセージを各自、それぞれの心の中に大切にしまいこみ、下山。
帰りは三分の二くらいの時間だったか。
出発地点に着いたのが4時半ごろだったかと記憶する。
10時間を越えるトレッキング路程だった。
ヂョ代表の言うには、70歳を越えた女性も歩きぬいたという。
世の中には、すごい人がいるものだ。
上には上があり下には下がある。
8月1日(水)。
屋久島飛行場から国内線で鹿児島空港へ。
さらに国際線に乗り換えてインチョンへ。3時ごろ到着。
思い出深い縄文杉紀行だった。
また行きたい。      

途中の光景。
Yakushima016_1.jpg      『もののけ姫』のモチーフがこの屋久島である。
                                             『もののけ姫』からそのまま出てきたような光景がえんえんと続く。

広瀬隆さんの竹島、尖閣に対する観点

広瀬隆さんが2013年6月2日、福島市で公演されたビデオがありました。
テーマは【原発、福島・人権 そして憲法】です。(
http://hibi-zakkan.net/archives/27880186.html
時間的にはちょっと古いものですが、内容は今現在でもまったく新しい内容です。
尖閣と竹島のことがあまりにもわかりやすく述べられていますのでここに参考の意味で掲載させていただきます

**************************************ここから引用。
takeshima_senkaku.jpg

(27分くらいから。ビデオからの引用。)

尖閣は1894年8月1日から1895年4月17日までの日清戦争の間に日本領土に組み入れたものです。
竹島は1904年8月22日から1905年9月5日までの日露戦争の間に日本領土に組み入れたものです。
尖閣も竹島も、本来日本のものではありません。
じゃ中国や韓国のものか。
そうでもないのです。
地図を見ればすぐわかるように、
尖閣は台湾か琉球(沖縄)の間にあり、強いて言えばやはり台湾あるいは琉球のものとなるでしょう。
竹島も地図で見ればわかるように、韓国のものでもないし日本のものでもない。
なのになぜオレのものだとお互いに言い合うのか。
資源の問題があるからです。
解決方法は、尖閣も竹島もだれのものでもないとしたうえで、
資源は双方で分け合う。
この方法しか解決方法はない。

それから明治維新が1868年にはじまるでしょう。
そっからの歴史が大事なんですよ。
この1875年って、明治8年ですよ。
明治8年に日本軍が朝鮮に侵入してるんです。
明治維新のやつらがやったんですよ。
侵略はこっからはじまってるんです。
なぜこれを言いませんか、だれ一人。
おかしいですよ、日本に文化人一人でもいるのかって。
わたしが腹たつのは一番ここなんです。
そもそも「江華島事件」ってのを引き起こしていて、
朝鮮の鎖国を解くといってね。
自由にしてやると言いながら、そして日本軍が上陸していって、
王宮を占領したんでしょ。
これをやりはじめたんでしょ。明治すぐに。
そうして、1894年に日清戦争をはじめるわけですよ。
その日清戦争の間にですよ、1895年に尖閣諸島を日本領土に編入したんです。
日本の領土じゃないの!これ(尖閣)は。
戦争で取ったんです。
で、戦争の勝利の戦利品として台湾を植民地化したんでしょ。
ここのちがいわかるでしょ。だれがみたって。
台湾は日本が1945年に敗戦したら、台湾を返したでしょ。
尖閣諸島だって返さなきゃいけないんです、だれかに。
まず聞いてください。
そして、そのあとですね、日清戦争に勝って、
閔妃を暗殺してしまうんですからね。
王宮の実権者です、最高の実権者を殺しちゃうんです。
アメリカがイラクでやったことと同じことをやってるわけです。
ね、この当時。
そうしてこんどは何をやりましたか。
今度は、これ日露戦争です。
10年おきに戦争やってきてる。
1904年に韓国の外交権を剥奪するんです。
日露戦争をはじめるためにね。
そのなかで、竹島の領土編入を決定して、
そして満州に乗り込んでいって、
この同じ日(1905年2月22日)に、竹島を島根に編入したんです。
いいですか。
奉天を占領して、満州の支配を開始して、
そうして1905年に日露戦争に勝ったということでみなきちがいのように大喜びしたわけです。
そのあとなにしました?
同じ年ですよ、韓国を日本政府代表が支配して、
日本人の統監、これはのちの総督ですけれど、朝鮮総督ですよ、(これをおいて)
韓国支配を正式に開始して、そうしてほどなく日韓併合といって、
日本が韓国を併合して韓国を完全植民地化したんでしょ。
おんなじ過程で考えていけば、竹島だっておかしいんですよ。
戦争中のどさくさにまぎれて取っただけなんです。

やったのはだれかっていうことです。
当時の吉田松蔭なんいうのをみんなでもちあげてきている。
あんなばかなやつなんていないですよ。吉田松蔭なんて。
*****************************************************ここまで引用。**************

ビデオを見ていただくとおわかりですが、非常にわかりやすい解説をされてます。
だれが見ても納得です。むべなるかな、である。
広瀬さんの講演はだんだん熱をおびていきます。
これを聞くと、
竹島と尖閣が本来は日本のものではなかったということのようですね。
結論として、
竹島、尖閣ともに海底に資源があるならば、関係国が共同開発して利益をわけていくしかないと言っています。
日本人の立場からすれば、尖閣はちょっと手放すのがもったいない、という感じですが、
でも、天(神様)の立場からすれば、広瀬さんのおっしゃることが正論だと思います。
竹島を地下開発すれば、日本列島が沈み込んでしまうという記事をどっかで
読んだことがありますので、竹島はそっとしておいてほしい。
尖閣は、地下開発が進めば、日本、台湾、中国で分けていくことになるのでしょうか。

きょうのテーマは、竹島、尖閣の所有の問題よりも、
日本人の中に、このように客観的に論を進めることのできる人がいた、という驚きがブログ筆者としてのテーマです。
脱原発、反原発で有名な広瀬隆さんが、
日本の近代史にもこのように客観的で論理的で人道的な立場での見解をお持ちだったことに驚きを禁じ得ません。
吉田松蔭や松下村塾に対する観点は、各自のものがあってもいいかと思っています。

最近の広瀬隆さんの講演が下のサイトからご覧になれます。是非ご視聴のほど。

広瀬隆氏講演会 「日本の終わりは、年内の、目の前まで来ている!!」というテーマのもと、 
1.「福島のいまと岡山のこれからー第一部」 20170514 (1時間40分)
https://www.youtube.com/watch?v=L0TfZJ8ow4c
2.「福島のいまと岡山のこれからー第二部」 20170514 (1時間35分)
https://www.youtube.com/watch?v=JaJatNptL3o

肥田舜太郎さん

 히타_슌타로_20170325

2017年3月20日に永眠された肥田舜太郎医師。
自ら広島で被爆しながらも100歳という大長寿を全うされた偉大なる人物だ。
自分も被爆という凄惨な体験をしながら、
同じ被爆者の心の支えとなり治療にも専心されてきた。
原爆を地球から廃棄すること、戦争は絶対にしてはいけないこと、
原発もこの地上から廃絶することなどを、第一線に立ちながら叫び続けてこられた。
こちら韓国にも2013年3月16日、”反核医師会と保健医療の進歩フォーラム”の主催で来られ
「ふくしま、その核の惨状を語る」と題して主に'内部被ばく'の危険性について講演された。

この中で肥田医師は、
原発があること自体が問題であるゆえまず原発の廃絶から始めないといけないと韓国の聴衆らに訴えた。
そして被爆者として歩んで来ながら一番感じることは、
自分の命は自分が守るしかないということ。
生命というものについて考えれば考えるほどその主人公は自分なんだということに気づいたという。
われわれの生命の源は太陽。できれば太陽といっしょに起きて太陽といっしょに寝るという
昔ながらの生活をしたいものだと語る。
朝ごはんを食べること、そして「んにゃ んにゃ」とよく噛んで食べることこそ重要なのだそうだ。

肥田医師は1917年の1月1日生まれなので、満100歳プラス3か月この地上生活をされた。
頑健に生まれついたこともあるだろうけど、
自分の命は自分が守るんだという強い意志のもと、
よく噛んで食べ、味噌汁をすすい、早寝早起きの生活をしたからこそ
被爆しながらも100歳を越えるまで生きられたものと思われる。
その心は、生命体への愛、被爆者への愛、人類への愛に満ちていた。
あまりにも大切な日本の財産が、また一人永遠の旅へと向かわれた。       ご冥福をお祈りいたします。

                                                               写真の出展:http://nonukesnews.kr/175

邦人はどうなっちゃうの

韓国はチェ・スンシルゲート問題で今も落ち着かない日々をすごしている。
そんな中、釜山大使館の前に出現した少女像問題を受けて、
長嶺安政駐韓日本大使が1月9日、日本に帰国した。

日本人としては当然、あの少女像は目障りだ。
あんなものは早くとっぱらってほしい。

しかし、あの少女像は、民間団体が作って釜山大使館の前においたものだ。
韓国は、国としてはあの少女像には何もできないのだ。

日本政府がいくら声を張り上げて少女像の撤去を叫んでも、
韓国の民間団体が動いてくれなければ、少女像は撤去されないだろう。

韓国に対して抗議するのは日本としては当たり前とはいえる。
しかし、だからといって、「駐韓日本大使」を引き上げさせるというのはどういうことなのか。

大使というのは、邦人のために邦人を守るためにそれぞれの国に配置されている公務員だ。
大使を自国(日本)に引き上げさせる、これじゃ、残された邦人(わたしのようなもの)は
どうなるのだ。

有事の場合、最後まで残って邦人のために尽力し守りサポートしてあげたあと、
最後に引き上げるのが大使の役割ではないのか。

それを一等先に自国に帰る。
こんなことが当たり前のように行われているのは、どう考えてもおかしい。

韓国にはすでに数万人単位の日本人が住んでいる。
少女像問題が惹起されたからといって、
これらすべての日本人が危険に晒されることはないのだけれど、
日本政府のやりかたには、大きな疑問を感じた次第だ。

数年前のイ・ミョンバクのときにも一度同じことがあった。
政治的な問題が発生したとたん、駐韓大使を帰国させたのだ。
抗議の方法がまちがってんじゃないの。
今後同じような問題が生じた場合、
大使を帰国させるというやりかただけはやめてほしいものだ。
大使は最後まで残るべきだ。
命を張ってでも邦人を守る。それこそが大使としてのありかたではないのか。

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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