天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

肥田舜太郎さん

 히타_슌타로_20170325

2017年3月20日に永眠された肥田舜太郎医師。
自ら広島で被爆しながらも100歳という大長寿を全うされた偉大なる人物だ。
自分も被爆という凄惨な体験をしながら、
同じ被爆者の心の支えとなり治療にも専心されてきた。
原爆を地球から廃棄すること、戦争は絶対にしてはいけないこと、
原発もこの地上から廃絶することなどを、第一線に立ちながら叫び続けてこられた。
こちら韓国にも2013年3月16日、”反核医師会と保健医療の進歩フォーラム”の主催で来られ
「ふくしま、その核の惨状を語る」と題して主に'内部被ばく'の危険性について講演された。

この中で肥田医師は、
原発があること自体が問題であるゆえまず原発の廃絶から始めないといけないと韓国の聴衆らに訴えた。
そして被爆者として歩んで来ながら一番感じることは、
自分の命は自分が守るしかないということ。
生命というものについて考えれば考えるほどその主人公は自分なんだということに気づいたという。
われわれの生命の源は太陽。できれば太陽といっしょに起きて太陽といっしょに寝るという
昔ながらの生活をしたいものだと語る。
朝ごはんを食べること、そして「んにゃ んにゃ」とよく噛んで食べることこそ重要なのだそうだ。

肥田医師は1917年の1月1日生まれなので、満100歳プラス3か月この地上生活をされた。
頑健に生まれついたこともあるだろうけど、
自分の命は自分が守るんだという強い意志のもと、
よく噛んで食べ、味噌汁をすすい、早寝早起きの生活をしたからこそ
被爆しながらも100歳を越えるまで生きられたものと思われる。
その心は、生命体への愛、被爆者への愛、人類への愛に満ちていた。
あまりにも大切な日本の財産が、また一人永遠の旅へと向かわれた。       ご冥福をお祈りいたします。

                                                               写真の出展:http://nonukesnews.kr/175

スポンサーサイト

邦人はどうなっちゃうの

韓国はチェ・スンシルゲート問題で今も落ち着かない日々をすごしている。
そんな中、釜山大使館の前に出現した少女像問題を受けて、
長嶺安政駐韓日本大使が1月9日、日本に帰国した。

日本人としては当然、あの少女像は目障りだ。
あんなものは早くとっぱらってほしい。

しかし、あの少女像は、民間団体が作って釜山大使館の前においたものだ。
韓国は、国としてはあの少女像には何もできないのだ。

日本政府がいくら声を張り上げて少女像の撤去を叫んでも、
韓国の民間団体が動いてくれなければ、少女像は撤去されないだろう。

韓国に対して抗議するのは日本としては当たり前とはいえる。
しかし、だからといって、「駐韓日本大使」を引き上げさせるというのはどういうことなのか。

大使というのは、邦人のために邦人を守るためにそれぞれの国に配置されている公務員だ。
大使を自国(日本)に引き上げさせる、これじゃ、残された邦人(わたしのようなもの)は
どうなるのだ。

有事の場合、最後まで残って邦人のために尽力し守りサポートしてあげたあと、
最後に引き上げるのが大使の役割ではないのか。

それを一等先に自国に帰る。
こんなことが当たり前のように行われているのは、どう考えてもおかしい。

韓国にはすでに数万人単位の日本人が住んでいる。
少女像問題が惹起されたからといって、
これらすべての日本人が危険に晒されることはないのだけれど、
日本政府のやりかたには、大きな疑問を感じた次第だ。

数年前のイ・ミョンバクのときにも一度同じことがあった。
政治的な問題が発生したとたん、駐韓大使を帰国させたのだ。
抗議の方法がまちがってんじゃないの。
今後同じような問題が生じた場合、
大使を帰国させるというやりかただけはやめてほしいものだ。
大使は最後まで残るべきだ。
命を張ってでも邦人を守る。それこそが大使としてのありかたではないのか。

近況報告


7月14日から19日まで、ふるさと米沢に行ってきた。
幼馴染の友と会い、
韓国語勉強会のメンバーらといっしょに食事した。
勉強会のリーダーSさん、山形大学名誉教授 T さん、
お坊さんKさん、新聞社のNさん、Aさん、そしてわたしの6人。
韓国料理屋さんでの食事会は3時間ほどだったが、
あっという間に過ぎてしまった。(Sさんに感謝。すべてSさんのおごりだった。)

米沢の地で、韓国語を軸にこうやって集まるモイムがあるというのは、
とてもうれしいことであり、また、時代が変わったなという感を新たにする。
モイムとは「集まり」ほどの意。

わたしが米沢を出て東京に行った1970年代の終わりごろは、
韓国語の「か」の字も巷で聞くのは困難だったはずだ。
外国語といえば英語と相場が決まっていた時代だった。
ところがどうだ。
今は、韓国語あり、中国語あり、タイ語あり、モンゴル語ありと、
近くの国々の言語を学ぶ会が非常に多くなっている。
好ましいこと、この上ない。
英語は勿論大切だが、英語の一人勝ちだけはさせたくない。
翻訳機を使ってでも、それぞれの言語は守っていくべきだと心から思う。

7月25日から31日までは、学生らを連れて岡山のほうへ行っていた。
短期の日本研修である。
学生らは、日本がはじめての子も多く、
期待90%に不安がちょっと混じった感じだったか。
岡山とあって、きびだんごの店があちこちに見えた。
ここは桃太郎の発祥の地である。
(桃太郎発祥を主張する土地はあちこちにあるけど、
岡山がやはり一番有力ではないかと筆者は思う)

備前焼のちょっとしたものを買ってきた。
焼き物の色合いが多様な土色でとても趣のある焼き物だ。

8月に入ると、きのうまで韓国の奥地といわれる
カンウォンド(江原道)のヨンウォル(寧越)というところの友を訪ねて
行ってきた。
20年来の友で、大学教授から農夫に変身したやつである。
もも、りんご、すいかなどの果樹園をやっている。
やりはじめて5年になる。
今年からなんとか収益を上げていきたいと言っている。

農園といっても、耕地が全体にだんだら坂になっているため、
3メートル離れたところにおいたバケツをとってくるのも大変だ。
3メートル降りて、すぐまた上がってこないといけない。
ここで果樹園をやるというのは相当に大変なことだ。

わたしは、シンマニ(山人参を採取する専門の人)らといっしょに
山歩きをしたりして、だからある程度脚には自信があるのだが、
彼の果樹園での仕事は、このわたしでも「ひえーっ」と
悲鳴を上げたいくらいだった。

袋かけのお手伝いとか、雑草取りなどをしてきた。
夜は二人でマッコルリとビールで飲み、しゃべり、食った。
この時間があるため、3泊くらいはなんとかもったようなものだ。
「がんばれよ」と言って帰ってきたが、
あの広い果樹園を独りでやっていくことを考えると
暗澹たる気持ちにもなった。
でも彼はやるだろう。強靭な体力プラス精神力で。

なので、このブログの管理ができないでいる。
誰に対しても責任はないのだけど、
やっている以上は、マジメにやりたいものだと常に思っている。
でも、なにせシゴトが次々と襲ってくるものだから(今年にはいって特に)、
なかなかブログに神経が回らない。
月いちくらいでも、なんとかやっていくので、
皆さまには時々でも思い出していただいて見ていただければ
望外の幸せに存じます。


韓国でも揺れ

16日未明、熊本県で発生したマグニチュード7.3の地震の影響で、
蔚山(ウルサン)をはじめ、釜山・慶尚南道地域でも、
16日未明の1時25分ごろに震度3程度の揺れが発生し、一部の住民らが驚いて避難する騒ぎが起きた。

わたしの住む天安市は、内陸部にあるのだが、
マンションの13階の我が家でも震度2ほどの揺れがあった。
日本に近い釜山とか蔚山のほうは震度3くらいだが、
韓国全体がすこしずつ影響を受けるほど、
今回の熊本県の地震の影響は大きかった。

日本の地震のためにこちら韓国までがこれほど揺れるのは、あまり例がない。


熊本の皆さんは、14日のマグニチュード6.5に加えてさらにきょう16日の
マグニチュード7.3の地震に見舞われ、ほんと大変だと思う。なんとか力を尽くしてがんばってほしい。
それにしてもマグニチュードが6.5なのに、震度が7というのは、初めて見た。
ふつうはマグニチュードよりも震度の数字が1くらい小さいのに、
今回は逆に大きくなっている。
直下型地震だからそうなるわけだが、
それにしても震度7とは、すさまじい地震といわざるをえない。


今回の震源地は日本最大にして最長の活断層『中央構造線』のライン上にある。
長野県伊那地方から鹿児島県の薩摩半島まで1000キロ以上を走る断層で、
長野から愛知県豊川市をかすめ、紀伊半島から淡路島、四国を横断し、
愛媛県の伊方原発付近から豊後水道を渡り、大分、熊本へと延びる。

中央構造線上でこれだけ巨大な地震が発生したのは初めてという。
名古屋や大阪など巨大都市のすぐそばを走る活断層だけに、最大の注意が必要なときだ。

原子力規制庁によると、16日午前2時現在、全国の原発で唯一稼働している
鹿児島県薩摩川内市にある九州電力・川内原発1号機と2号機は、
地震による異常はなく運転続行中だ。

こんな危険なことが普通に進められていて、いいのだろうか。
震源地から100キロくらいの距離しかないはずなのに。
停止しても燃料棒(使用前、使用済み両方)の存在のために揺れれば危険なのに、
今現在も稼働中だとは。

ほとんど狂気のレベルだとわたしには思われる。



初雪

かばんと女の子(天安中心街)    天安市内でバスを降りるひとたち

11月26日(木)、天安(チョナン)に初雪が降りました。
初雪っていうのは、ちょっと降ってやむのが普通だと思うのですが、
今年の天安の初雪は「ドサ雪」。
それでも二十センチくらいでしょうか。

最近は雪が少なくなっている傾向がありますので、
雪という情報に対してもみんなあんまり気にもとめないのですが、
このいきなりのドサ雪に交通は一時麻痺してました。

わたしは朝六時五十分ごろ家を出て職場に向かうのですが、
車はやばいと思いバスでいくことにしました。
一分と待たずにバスがやってきました。
これは運がいいぞ、と思って乗り込んだはいいのですが、
十メートルもいかないうちにストップ。
前のほうをみると、えんえんと車がつかえています。
雪のため、なんらかの事故があったみたい。

でもわたしはバスの中。
やおら本をとりだし読書三昧。
バスで十分の距離が一時間20分ほどかかりましたが、
おかげでいちばん後ろの席で百頁くらい読めました。
とってもトクしたような朝になりました。

読んでいたのは『ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい』でした。
自閉症と診断された息子が、実は数学の天才だったんですね。
ジェイコブという息子をどうやって育ててきたのかという
母親の育児奮戦記です。

既存の自閉症の専門機関などにまかせていたら
もてる天才も開花しなかったかもしれないというクリティカルな面なども見え
とても感動的な書ですね。

自分で考え、判断してゆくことの重要性をあらためて感じさせられました。
母親ならではなの鋭い感性があったからこそ、
息子がもてる天才をすなおに開花させることができたのだと思います。

あ、ちょっと大事なことをわすれてました。
この日、キム・ヨンサム元大統領のヨンギョルシク(永訣式)がありました。
永訣式というのは日本式には告別式に相当するものでしょうか。
線香をあげ自宅からお棺を出して国立墓地(顯忠院 ヒョンチュンウォン)に運び
土葬して土を盛り上げお墓を作りました。
自宅から国立墓地まで行く途中、初雪がちらりほらりと降ってました。
天からのラブレターを一身にあびながら
元大統領は最後の別れをつげることになりました。
この人ほど金銭的にきれいに生きた大統領も珍しいです。
ノ・ムヒョン大統領(自殺したが)がその面では同志といえるでしょう。
キムヨンサムは、私利私欲をこえて韓国のために生きた
「きれいな」大統領でした。
ヨンサムの発音から「YS」という略号で親しまれています。
ちなみにこの前のイ・ミョンバクは「MB」、キムデヂュンは「DJ」。

 

 | HOME |  古い日記に行く »

文字サイズの変更

プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

韓流 (90)
学生エッセイ (79)
ランの窓 (2)
心と体 (12)
韓国のジョーク (4)
ふるさと (52)
詩 (12)
釜山さむらい (6)
数学 (9)
サッカー (11)
筆者のエッセイ (28)
未分類 (30)

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

検索メニュー

RSS リンクの表示

リンク

이 블로그 링크에 추가하기

ブロとも申請フォーム

블로그친구신청

FC2Ad

Template by たけやん

動画ランキング