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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

対北ビラ散布禁止法は表現の自由に違背

 去年2020年6月末に自由北朝鮮運動連合とクンセムという韓国にある北朝鮮の住民を
救おうとする団体が北朝鮮に向けてビラを飛ばしたことに怒りをぶちまけた金正恩と
金与正兄妹の顔色を窺うように、文在寅政権は、対北ビラ禁止法を国会で通過させた。
これに関して去年のその時点から、こんな弱腰でいいのか、あるいは表現の自由を保証
しているという憲法に違反するのではないかなど、いろいろと議論が噴出していた。
当時も米国ウィルソンセンターの韓国歴史・公共政策センター長は、ツイッターで
「北朝鮮は、韓国が関係改善を切に望んでいることを知っているため、韓国をガスライ
ティングしているのだ」とアップしていた。ガスライティングとは、相手の心理や状況を
巧みに操作し、その認識や判断を狂わせ、相手を思うがままに統制・支配する心理操作
の一形態で心理学用語である。韓国ではよく使われている。
今年に入って、対北ビラ禁止法が表現の自由を侵害する恐れがあると国連(UN)特別報告官が
指摘したことに対し、韓国政府が最近、「これは、国際的にも許容される水準」と反論していた。
これに対し国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは7月12日、韓国政府の対応に対し、
「状況から逃れるための言い訳」とし「韓国政府の反応は正直言って、とんでもない」という
内容の批判声明を出していた。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのフィル・ロバートソンアジア担当副局長は7月12日、ヴォイスオブ
アメリカ(VOA)放送に送った公式声明で、「文在寅行政部は韓国人の基本的人権を明らかに
侵害する法に対する徹底した検討を避けたがっていて、その都度口実を作って逃げている」、
そして「金正恩兄妹をなだめようとする政治的目的が韓国人に対する人権侵害につながった
もの」とした。 
さらに「人権弁護士を標榜する(文在寅のこと)ものが、世界最悪の人権弾圧政権の一つ
である北朝鮮政府を擁護するために自国の人権を侵害していることはあまりにも矛盾していて
悲しいことだ」と述べた。
これに先立ち今年4月、トーマス・オヘア・キンタナ北朝鮮人権特別報告官、アイリーン・カーン
国連意思・表現の自由特別報告官らは、韓国政府に、対北ビラ禁止法が表現の自由を侵害する
可能性があるとして再検討を勧告する書簡を送っていた。
3か月が過ぎた7月8日、韓国政府は国連人権問題担当最高代表事務所(OHCHR)に書簡を送り、
対北朝鮮ビラ禁止法は、「国境地域住民の安全を保障するための最小限の制限だけを加えており、
表現の"手段"を最小限に制限するものであって、表現の自由に関する本質的な"内容"を制限する
ものではない」と主張した。しかし政界では「閉鎖的な北朝鮮社会にメッセージを送れる道そのもの
を阻止したものであって、手段と内容を区分することに意味があるのか」という批判が出ていた。
国民の力のファンボ・スンヒ首席報道官は7月11日の論評で、「これは"釈明"ではなく、国際社会
という大向こうを相手に目隠しするような言葉遊びだ」としていた。
ヒューマン・ライツ・ウォッチも、「北朝鮮に対するビラ散布法のように特定の行動を全面禁止する
のは、表現の自由を脅かすものだ」と指摘し、さらに続けて「この法は北朝鮮住民に彼らの権利を
知らせようとする外部団体を猛烈に非難してきた金正恩とその妹の怒りをなだめることを主な
目的として通過した、本質的に政治的なものだ」と述べた。
「韓国政府が国際人権基準を遵守するのに真剣であったならば、そのように広範囲な禁止策を
通過させたり執行したりするより、現行法を活用して事例・事件別基準で規制するアプローチを
取っていたはず」と述べた。 
これに先立ちヒューマン・ライツ・ウォッチは先月の6月、米時事週刊誌タイムとのインタビューで
北朝鮮の金正恩について「非常に率直で意欲的で強い決断力を示した」と文在寅が評価したことに
ついても「妄想」という表現を使って強く批判していた。
ここに出てきたヒューマン・ライツ・ウォッチとは、非営利の国際人権組織(非政府組織、NGO)
で、世界各地に約280名のスタッフを有しており、スタッフは地域専門家や法律家、ジャーナリスト、
学者などの人権の専門家で、多国籍で多様なバックグランドを持っている。1978年に設立され、
世界各地の他の人権団体と協力しながら、正確な事実調査を行い、公正で客観的な事実を報告し、
メディアを効果的に利用しながら戦略的なターゲットアドボカシー(政策提言)を進めてきたこと
で高い評価を受けてきている。(ウィキペディア参照)。
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博士村

 江原道春川市西面(カンウォンド・チュンチョンシ・ソミョン)というところは、
「博士村」として有名だ。この村は、全羅北道任実郡三界面(チョルラブクド・イムシルグン・サムゲミョン)
のパクサコル、慶尚北道英陽郡(キョンサンブクト・ヨンヤングン)のチュシル村と共に、
韓国の3大博士村と呼ばれているところだ。
1600世帯に約4000人が暮らす村だが、今まで184人の博士が輩出された。
これに小・中・高等学校の校長級以上の教育者が120人、5級以上の公職者は100人以上が出ている。 
少なくとも2、3軒から1軒の割合で、博士や校長先生、あるいは高位公職者が出ている勘定だ。
この村では「博士」だとか「校長」だとかを自慢する余地もない。みんなそうだから。
博士たちが多く卒業した錦山(グムサン)小学校裏の大通りには、
1999年に村人たちが意を集めて建てた「博士の塔」がある。塔には、同地域の出身博士らの名前や
学位取得大学、年度、専攻、出身地を、博士取得の順に刻まれている。
現在184人が登録(2021年3月末現在)されており、国連総会で議長を務めた韓昇洙(ハン・スンス)
元国務総理が第3番目の博士と書かれている。大統領だけは除いて、重責がごろごろである。
なぜこんな田舎の町からこんなに多くの博士がでているのだろうか。
子どもたち本人の血のにじむような努力もあるし、大人たちの教育に対する情熱もあるだろう。
しかしやはり、それだけではないようだ。
この西面という地域は、風水地理の観点からも「吉相の地」であることが知られている。
西は、華岳山からはじまって嘉徳山・北背山・桂冠山・三岳山が屏風のように取り囲んでおり、
東は昭陽江(ソヤンガン)が滔々と流れる典型的な「背山臨水」型の地形である。
(背山臨水型とは、後ろは山、前は川、その間に村がある地形のこと)
特に博士が集中的に輩出された金山里(クムサンリ)・新梅里(シンメリ)・芳洞里(バンドンリ)・
西上里(ソサンリ)・玄岩里(ヒョンアムリ)・月松里(ウォルソンリ)地域は、
川と湖が弓なりに村を取り囲んでいる。
少し詳しく見ると、北背山から流れる地脈の一つが長く低く左旋回しており、
くねくねと流れる途中で昭陽江と出会う所があるが、風水地理学ではこういったところを
吉相の地「真穴処」と見なしている。
山の尾根の連なり(龍)がそれほど強い勢いがなくても、長くゆるやかに続けば、
じっと静かに物事に打ち込み、いつまでも持続する属性を意味するという。 
ここで左に回る「左旋」は名誉を意味するそうだ。この真穴処に、ほとんどの西面博士たちが勉強した
錦山小学校があるわけだ。
錦山小学校の校庭に立つとただそれだけで居心地のよい感じがする。
2階の教室からは昭陽江の向こうに春川市内が一望できる。
錦山小学校の校庭から見ると、左側に春川の鎮山(ジンサン)である鳳儀山(ボンウィサン)が鎮座し、
鳳儀山の麓には江原道庁があり、その下の昭陽江の向こうの西面から最も近いところに
この地域の名門春川高校がある。権力と教育がすぐ目の前にあるわけだ。
左側の鳳儀山、右側の三岳山とその間に左右に長く伸びた大龍山など多くの峰が連なっている。
これらの山々は、風水では主に文章家と学者を象徴する形であるという。
博士らが多く排出されたことと無縁ではないと見てとれよう。
結局錦山小学校は、幼い竜が新しい世界に進むために川を渡る「子龍渡江形」の場と言えるのだそうだ。 
未来の大きな夢を実現する博士たちが輩出されやすい場所なわけだ。
錦山小学校は、日本植民地時代に建てられた西面で最も古い学校だが、この村には当時、
学校を建てようと土地を売った場合、人々に福を与えるとされる大きな大蛇が出たという話が
今も一つの伝説のように伝えられているんだそうだ。
こういう場所、日本にもあるだろうか。風水を理解する人のけっこう多い日本だから、
あるいはこういう「博士村」みたいなところがあるのかもしれない。
筆者は山形の出身であるが、こういうところを日本でまだ聞いたことがなかった(知識不足故)。
コロナが収束して旅行が自由にできるようになったら、是非ここ、
春山(チュンチョン)の西面(ソミョン)の博士村の土を踏んでみては
いかがだろうか。パワーが得られるかもしれません。
マッコルリもおいしいし、「冬のソナタ」のロケ地としても有名ですよね。

あしながおじさん、ありがとう。

大邱(テグ)で食堂を経営するキム・ミスクさん(仮名)は今年3月、
国際救護団体「ワールドビジョン」から白黒写真を何枚か受け取った。
カナダから届いた写真には、ある外国人青年が韓国人の子どもを抱いて明るく笑う姿が写っていた。
青年の名前はスタン。その名に接すると、彼女の脳裡にかすかな記憶が浮かんだ。
保育園で過ごした幼い頃、後援金と手紙を送ってくれ、直接訪ねてきてくれた青年だった。
微笑んでいる写真の中の少女は、忘れていた幼年時代のキムさん本人だった。
聯合ニュースやワールドビジョンによると、過去にキムさんを援助したスタンは
90歳の高齢者になる現在まで、「あの時のあの韓国人少女」を忘れられず、
約50年が経った最近、とうとう再会することになったのだ。
彼は高齢のうえ持病まで患い一人で行動することが難しく、
記憶力や言語能力もほとんど失ってしまったが、
写真の中の韓国人少女の名前だけは、はっきりと覚えていた。
若い頃、不動産投資会社のブローカーとして働いていたスタンは、朝鮮戦争後、
韓国の子どもたちが直面している困難に関するニュースに接し、
ワールドビジョンを通じて後援を始めた。
韓国のある保育園に住む少女に手紙と後援金を送って縁を作ったスタンは、
後援開始から数か月経った1965年、直接韓国を訪ねてきた。
うわさを頼りに保育園を探し出したスタンは、当時少女だったキムさんに会って
数日間、時間を共に過ごした後、洗濯機とピアノを保育園に寄付してまたカナダに戻った。
その後2人は連絡が途絶えたが、スタンは「韓国の少女」を忘れなかった。
韓国訪問から56年が過ぎた今まで、彼は当時、金さんと一緒に撮った写真を大切に保管していた。
スタンの娘シンディは「幼い頃から、父から後援児童に関する話をよく聞いていた、
父は'韓国にも娘がいるんだ'と言い、私も写真の中の女の子を姉妹のように思って育った」と話した。
キムさんは、しばらく忘れていた「あしながおじさん」が自分を覚えている
という知らせを聞いて涙を流した。 12歳の時に養父母と養子縁組をして保育園を出た後、
金さんはスタンと連絡が途絶えた。不幸にも養父母は金さんに愛を与えなかった。
様々な雑用をすべて金さんにさせ、学校にも行かせなかった。
22歳に就職して家を出るまで、金さんは「一瞬も休むことなく奴隷のように暮らした」と
当時を回想する。
数十年が過ぎ、キムさんも子どもと孫を持つお婆さんになったが、
幼い頃親から愛されなかったしこりは消えなかった。
家族と一緒に思い出話に花を咲かせることのできる幼年期の写真が1枚もないというのが、
彼女には一生の恨みだった。そんな金さんにとってスタンの消息は、
まるで失った両親に再び会ったかのような朗報だった。
自分の幼い頃の写真を大切に保管し懐かしがる人がいるということが、
奇跡のように感じられた。二人は今月六月24日、ズームで56年ぶりに再会した。
ほとんど話せないスタンの代わりに、通訳士になった彼の娘が、
父親が一生大切にしておいた写真を見せてくれた。
写真一つ一つに金さんとの思い出が詰まっていた。
話すことはできなかったが、スタンもやはり画面に見えるキムさんの姿を見て涙ぐんだ。
ズームの間中、キムさんは「覚えていてくれてありがとう」と目頭を赤くした。
スタンと金さんは、新型コロナ事態が終わった後に会うことを約束して、ズームを終えた。
後援を受けていた幼い少女も、他の子どもたちの後援者になった。
キムさんはスタンと連絡がついた後、ワールドビジョンを通じて海外の児童2人に後援を始めた。
スタンがそうだったように孤独な子供たちに暖かい心を差し出し、
彼らの人生を慰めてあげたいとキムさんは語る。
「生みの親も捨てた私を無条件で愛してくれたスタン後援者のおかげで、
不幸だとばかり思っていた私の幼い頃が、幸せな記憶に変わりました。
彼の愛と暖かい心が少しでも世の中に広がるように、これからは私が後援を続けていきます。」
キムさんは熱い涙の中で、そう語った。
お二人の再会が実現できるよう、心より祈る次第だ。
コロナが一日も早く収束してくれますよう。
(今回は世界日報の記事を底本にさせていただいた。感謝)。

第一野党新代表に36歳の李俊錫。

 韓国で、またまた爆弾級の変化があった。1985年生まれで満36歳の李俊錫(イ·ジュンソク)
氏が、6月11日の「国民の力」の党大会で、韓国政治史上初の30代の政党代表が誕生したのだ。
李候補は、一般世論調査で51%と圧倒的な1位を走っていたから、結果としては順当な
結果だったわけだけれど。
ところでこの「李俊錫旋風」がなんでわき起こったのか。これが非常に関心のいく
部分であるが、まずは本人の個人の能力をあげることができるだろう。
しかし、それよりも韓国政治の変化を望む大衆的な熱望が、より根本的な要因だという
点を強調せざるをえまい。
とくに今年はじめ、LH事態(土地投機問題)などで若者たちの憤怒が国をあげて沸き起こっ
ていたことは本メルマガでもお伝えしている。20代、30代世代の若者たちは、
それでなくても就職難などでストレスが極大値になっていた中、そこにこのLH事態に
見られるような、政治がらみの土地投機不正に、堪忍袋の緒が切れた格好だ。
若者らの憤怒は、チョ・グク事態のあたりからはじまっていたと見ることができようか。
チョ・グクは、タマネギ男ともいわれるように、剥いてもむいても不正があとからあとから
でてきてしまう、そういう話にもならない男なのだが、そうした不正の中でも、やつの娘の
大学入学に関する数々の書類偽造問題をあげることができるだろう。
あらゆる嘘が書かれた書類を提出して、最終的には釜山大の医学部を出て
今現在医者として歩むためのインターン生活をしている(はずだ)。
釜山大が「不正入学」の烙印を押せば入学取り消しとなり、医者としての生活にも
ピリオドを打たざるを得なくなるわけだが、今のところ、不正入学の烙印が
押されたという話は聞こえてきていない。長官の娘はそんな甘い汁が吸えるのに
自分たちは何もない。同世代の若者たちが、頭の鉢が爆発するのも当然のことといえよう。
嘘と不正に汚れ切った今のこの政治に本当に嫌気がさしているときに、
満36歳の李俊錫が「国民の力」の党代表へと立候補し、あれよあれよという間に
最高人気に達し、きのう6月11日の選挙結果発表で、代表になってしまった。
李俊錫氏について簡単にサマリーを書いておこう。
2011年26歳の時に朴槿恵(パク・クネ)当時セヌリ党非常対策委員長に抜擢され、
非常対策委員として華やかに政治に足を踏みいれることになる。だから政治畑では
11年目ということになる。ソウル科学高校というエリート高校を早期卒業し、国費奨学生
となって米ハーバード大学を出た科学の英才でもある。政界入り当時は、資格証試験問題
を提供するアプリなどを開発する小さなベンチャー企業を運営し、低所得層の青少年の学習
を助ける「学びあう人々」という公益団体を運営していた。
政界入り後、ソウル蘆原(ノウォン)丙選挙区から3度出馬して落選したものの、
テレビ露出を頻繁にすることで各種懸案に直接的かつ論理的な主張をして注目を集める。 
(だから彼は国会議員の金バッチをまだつけたことがないのだ)
朴槿恵弾劾の時には、自分を拾ってくれたパク・クネではあったが、弾劾は弾劾として
賛成しユ・スンミン前議員と共に中道保守を標榜する「正しい未来の党」結成に参加し、
最高委員を務めるなど、院外でありながら、若手世代の代表走者として頭角を表しはじめた。
李俊錫は「太極旗部隊」など極右と明確に線を引くべきだという主張をしていた。
昨年2020年4月15日の総選挙後、党内の一部と極右YouTuberたちが'不正投票'疑惑を
提起して論議を呼んだ時、「話にならない。陰謀論が事実なら政界を引退する」と強く反論
するなど合理的保守のイメージを強く印象づけた。
李俊錫「国民の力」新代表の対北朝鮮観も独特だ。既成世代より強硬といえる。李俊錫代表は
今月9日、哨戒艦「天安」の犠牲者の遺族に会った際、涙を流し「怒りを感じる」と語った。
その涙には、同世代の犠牲者に対する思いや、現政権があまりにも北朝鮮寄りの傾向が強くて
哨戒艦「天安」に対する扱いが常にお粗末であることなどもあったのだろう。李俊錫代表は
自著『公正な競争』の中で「統一の方法が体制優位を通した吸収統一以外にどんな方法がある
のか」とし「統一教育も、私たち韓国人が受けなければならないのではなく北朝鮮の人々が
受けなければならない」と主張する。つまり「吸収統一とは北朝鮮体制を消すことであり、
北朝鮮と妥協することはない」と語る。また対北支援も「北朝鮮政権がこのコメが韓国から
来たということを明らかにして配分するなら支援する用意があるが、明らかにしなければ
支援できない」とし「どんな場合にもこの原則が損なわれてはならない。 人道的支援も同じだ」
と述べた。
言うべきことは言うし、しがらみや政界のどろどろなどにはまだ汚れていないこの36歳の
李俊錫が野党第一党の国民の力の党代表となった今、この政治刷新、政権交代、世代交代の
熱い波動が来年3月の大統領選挙にまで影響を及ぼしていくことは想像にかたくない。
今日からの歩みに、大いに期待したい。
対日本観がいまいちまだわからないが、これからだんだんと現れてくるだろう。
何でも日本を悪とする学校教育でそれほど汚染されていないような気は、する。
事実をそのままとらえて行動するという哲学がある人なので、少なくとも日本を目の敵に
する現政権よりは、マシであると信じたい。最近の韓国の若者らのYouTubeを見ていると、
反日観がものすごい人たちも勿論まだまだあまた存在するが、事実に立脚して、学校で
習った歴史教育が多くは「事実ではなかった」と改めて認識する子たちも多くなっている。
日本を好きにならなくても、バイアスのかかった歴史観ではなく「普通」に見ていただく
だけでいいのだけれど。

運転手さん、ありがとう。

 今回は中央日報に乗っていた記事の中から、中国の心温まるお話を筆者のことばでお伝えしたい。
クールチャイナといえる内容だ。(このブログではクールコリアは設定してあるけど、
クールチャイナは設定してなかった。こんな話が何回か出てきたらそのときには
考えようと思っている)。
中国の大学入試試験「カオカオ(高考)」が6月7-8日に行われた。そんななか、ある受験生が
下校時に乗ったバスの運転手に伝えた感謝のメッセージが心温まる感動を与えている。
8日、中国官営メディアCCTV、新華社網などによると、陝西省西安の市内バス運転手
陳武軍さん(58)は4日夜、バスを掃除している間にメモ1枚を発見した。
「おじさん、こんにちは」
という挨拶で始まるメモには、筆者の名前も、受け取る人の名前もなかった。
その代わりこの1年間、最終バスを運行してくれた運転手に対しての感謝のメッセージが
込められていた。「高考を受ける受験生です」と紹介した筆者は、
「今日は恐らくわたしが最終の117番バスに乗る最後の夜になるでしょう。高校の夜間学習が
今日終わりましたから」とメモを書いた理由を記した。
そして、「毎晩、わたしがバスから降りる時いつも親切に"車に気をつけて"、
"安全に家までお帰りなさい"と言ってくださってありがとうございました」と記述。
「バスが終点に到着しても、そこは新しい旅の始まりになるかもしれない」とし、
夜遅くまで働くバス運転手の哀歓を慰めた。
手紙を読んだ運転手・陳武軍さんは同日、バスの中で最後に降りた一人の女子学生の姿が
思い浮かんだ。この1年間、いつも同じ時間、同じ場所で終電に乗ってきた学生だったので
覚えていたという。
バス内部の防犯カメラを確認してみると、この生徒は受験生活を名残惜しく思うのか、
下車する前に、空いたバスの随所を撮影したりもしていた。陳さんは「その学生はバスに乗ると
いつも頭を下げてあいさつをし、下車する時はいつも大きな声で"さようなら"とあいさつする
礼儀正しい学生だった」とし「メモはバス運転手経歴30年、近く退職を控えたわたしにとって
忘れられない最大のプレゼント」と感想を伝えた。
最初にメモを見つけた時は、ゴミと勘違いして捨てようとしたという陳武軍さんは、
「大きな間違いをするところだった。心の中にずっと残っているのでいつかまた会えるのでは
ないか」と名残惜しい気持ちを伝えた。また「その学生が良い成績で望む大学に入学することを
願っている」と、学生に対するエールを送った。どこにでもある話のようだけど、
なぜか筆者はいたく心打たれた内容だった。
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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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