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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

直接話法でものを言う90年代生まれの女性たち。

こちら韓国は、お正月は旧正月で行なう。この旧正月をソルという。
今年のソルは1月25日。前後2日が休みとなるので代休を含めて24日から27日までが連休となる。
元旦の1月1日は、年明けという意味でそれなりの挨拶をするのだけれど、
日本でいうお正月の気分は、ソルのときにはじめて湧いてくる。
だから、韓国には正月が2回あると言ってもいいわけ。
で、このほんとうの正月つまりソルが近づいてくると、
いつも問題、話題になるのが、嫁さんたちの動線。
今の50代以上の方々は、名節(ソルのような大きな年中行事。お盆に当たるチュソクなども名節だ)のときには
嫁さんは例外なく夫の実家(これを媤家という。発音はシガ)に行って、
掃除や料理作りなど女性の仕事をお手伝いすることが当然の決まり、不文律だった。
でもここ最近、特に1990年代生まれの女性が結婚し嫁さんになる時代になって、
その様相が少しづつ変わり始めている。
新しい考えを持つ女性が増えているからだ。
伝統的な家父長的文化に対して「そうじゃないでしょ」と直接話法で言い、
ジェンダー意識も強い独立独歩型の女性が増えているからだ。
これはとてもいいこと!。
筆者は男であるけれど、韓国の女性を心から応援したいと常々思っている。
実際のありさまをこちらのネットに載った記事などからご紹介したい。
90年代生まれの裵(ベ)・スジさん(仮名・30)は最近、夫と冷ややかな神経戦を繰り広げることになった。
昨年12月に結婚した裵さん夫婦にとって、今回のソル(=旧正月)は結婚後初めての名節だ。
夫は結婚前「名節には公平に両家に一度ずつ行こう」と言った。しかし結婚後、突然「孝子病」の症状を見せ始めた。 
孝子病(ヒョウジャビョン)とは、結婚後急に自分の親に対して気を使うようになる男(夫)を指す単語だ。 
夫はつい先日「うちの母一人で名節の労働をやるのはとても大変だったけど、これからは私たちが助けなければならないね」と言った。 
裵さんは夫の症状をバシッと直してやった。
「死んだ先祖に礼を尽くすために生きている人々が腰が砕けるまで働く文化を変えることこそ、母を助けることよ」と。
2020年になって、1990~1991年生まれの女性らが30代に入り、一部が結婚をし始め、
1990年代生まれの女性らが初めて嫁や「嫁さん予備隊」となって正月を迎えることになった。 
2010年代半ばから吹き始めたフェミニズムのブームによって、ジェンダー意識が相対的に充満した1990年代生まれの女性らは、
韓国の家父長主義的名節の慣習に、気苦労だけしているのではなく、直説話法で問題解決を試みる。
キムヒェナ(29)さんは最近、媤家の親たちから「それでも初めての名節なんだから、韓服着て来るんでしょ?」ということばを聞いた。 
あきれてものも言えなかったが、もっと悔しかったのはそのときの夫の沈黙だった。
恋愛期間中は、名節のたびに誰の家に先に行くか相談して決めようよと約束したこともある。 
なのに、結婚後夫は「ソル(=旧正月)の前日の午後にうちに行って1泊し、ソルの朝ご飯を食べて新年のあいさつをしてから
午前10時ごろ、君(=妻)の実家に行こうよ」、「君(妻)の実家が地方だからそれでも、母が配慮してくれたんだよ」と
恩着せがましくのたもうたのだった。 
キムさんは「結婚した周りの友達はほとんどが”名節の朝はダンナの家、午後は妻の実家”という動線だ」と言い、
「私の両親の家に行くのになぜ”媤家の許可”が必要なのか理解できない」と話した。
それだけ媤家の力関係が上という意識があるのである。
これがまさに韓国の家父長的意識世界観だ。
ベさんも"媤家が先とか親庭(チンジョン=妻の実家)が先とかいうのは、夫婦関係の不平等性を象徴する」と話した。
贈り物とジェサ(祭祀)もストレスだ。 
2020年の5月に結婚を控えているシム・ヒェジ(29)さんは、媤家にどんな贈り物を送るべきかこの一か月間ずっと悩んでいる。
友達と相談もした。ある人は"イシモチ"を勧め、ある人は"カリグラフィーで書いた手紙とキキョウ精菓"を推薦した。
これらは全部韓国の定番の名節プレゼントセットである。 
シムさんは「夫は、妻の実家のプレゼントになんかこれっぽっちも気にもかけていないけど、
私は礼儀正しくセンスのある役割を強要されるミョヌリノリ
(ミョヌリは嫁の意で、ノリは振る舞いほどの意。嫁としてのあるべき行動)をしている」と愚痴をこぼした。
キムソイ(29)さんはジェサ(=祭祀、先祖への礼。名節のときにお供え物をし祈りをささげる儀式)の問題をめぐり、
"十回以上も"夫と対話したけれどもまだ解決されていない。 
金さん夫婦は結婚前、家の中の家事を最小限にとどめようと話しあい、主に出前を頼んで食べる。
料理は主人が担当している。だからかなり「できた」ダンナといっていいだろう。 
しかし名節の時は違った。
「普段は自分の家でもほとんどしない家事を、なぜ媤家に行って1日中しなければならないのか、考えただけで頭が痛くなります。 
それに、好きな人も食べる人もいない食べ物(ジェサのときの伝統的料理。最近の女性らはあまり好きではないのだろうか)を
習慣的に際限なく作り続けるというのも納得がいかないですよ。しかし夫は状況を傍観するだけです」。
90年代生まれの(予備)嫁さんたちに、「名節に一番聞きたくない言葉はなに?」を聞くと、
一様に「子供作り計画はあるのか」という質問だという答えが返ってきた。 
ベさんは「たまに”それでも息子は一人いないとね”などと言われれるとどんな表情をしたらいいのか、もう気が遠くなるくらい」と話した。 
西江(ソガン)大学のある教授(社会学)はこう語る。
「90年代生まれの女性たちが不便な慣例や不当な慣習の当事者になり始め、そうした風習に強い疑問を持ち始めた」、
「名節の葛藤は60年代生まれの母と90年代生まれの嫁の対立ではなく、家父長制の当事者である舅や夫たちの問題だ。
名節の意味や機能に対して強い疑問を持つ若い女性たちが爆発的に登場しているので、
”家父長”たちがどんな役割の変化をしなければならないか、深く省察しなければならない時期に来ている」と述べた。
永遠に続くと考えられていた儒教文化に根差した家父長的伝統文化は、それでもこのように少しずつでも変わりつつある。
変わらない中心軸のような部分ももちろんあるかと思うけど、
時代に合わせて変わっていくべき部分も多分にあろうかと思う。
おもしろいのは、変化は決して強引になされるのではなく、
力を抜いた状態でも人々の意識が変わることによって「自然に」変わっていくということ。
90年代生まれの韓国女性らがどのようにこの世相を変えていってくれるのか。
とてもわくわくしながらわたしは見ているのである。
今回のコラムの中では、孝子病(ヒョウジャビョン)という単語に注目していただけるとうれしい。
韓国独特のキーワードの中の一つといえる。
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ロッテの一つの時代にピリオド。

辛格浩(シン・ギョクホ)と聞いてもピンとくる人はいないはずだ。
ロッテといったらどうだろうか。ロッテを知らない日本の人はいないはず。
そう、あの有名な「お口の恋人」ロッテを作った人がこの辛格浩(シン・ギョクホ)氏だ。
辛格浩(シン・ギョクホ)氏の特集がいろいろの新聞でやられている。
朝鮮日報を土台としてご紹介したい。
辛格浩氏は、日本の植民地支配期だった1922年慶尚南道蔚山三南面ドゥンキリというところで、
貧農の家の5男5女のうち長男として生まれた。
彼は蔚山(ウルサン)農業高校を卒業して豚の飼育をはじめたけれど、もっと勉強することを願った。
1941年親戚のお兄さんが用意してくれた路銭83円を持って日本に留学し早稲田大学で化学を勉強することになる。
会社員の平均月給は当時だいたい80円から100円程度だったという。30万円くらい持って行ったということか。
彼の日本での名前は重光武雄だ。
青年重光武雄(=シンギョクホ)は、日本で昼は牛乳と新聞を配達し、夜は大学に通いながら学業に励んだ。
偶然に出会った日本人の事業家花光さんという人が彼を高く評価し、事業資金として五万円を貸してくれる。
辛格浩はこの金で1944年東京周辺に潤滑油工場を建てる。 
しかし工場は米軍の爆撃を受けて稼動もできないまま焼けてしまう。五万円はそっくり借金として残る。
1945年8月、日本は無条件降伏、韓国は植民地からの解放。
このとき、日本にいた韓国人が大挙して母国に帰国したが、
辛格浩は「私を信じてお金を貸してくれた人を置いて行くことはできない」と、
牛乳配達をしながら工事現場で肉体労働をやり、事業の元手を調達した。
彼は当時、雨が降っても雪が降っても、配達時間を破ったことがないという。
配達時間が正確だといううわさが広まり、辛青年のところに牛乳配達の注文がどっと舞い込んでくることになる。
こうして貯めたお金を全部まとめて1946年、東京に「ひかり特殊化学研究所」という工場を建てて石鹸クリームなどを作って売った。
石鹸は飛ぶように売れ、1年半後には借金を全部返すことができた。
辛青年は自分を信じ続けてくれた花光氏に借りた資金をすべて返したうえ、感謝の気持ちの表れとして家まで1軒買ってあげた。
以降、飛ぶ鳥も落とす勢いの辛格浩社長は、
1948年には資本金100万円、従業員10人の会社を設立して「ロッテ」の看板を初めて掲げた。 
ガム会社の(株)ロッテを創業、「ロッテ神話」の幕開けとなったわけである。
会社名の「ロッテ」は、ゲーテの「若きヴェルテルの悲しみ」に出てくる女主人公「シャルロッテ」から取ったものだ。
一時、作家の夢をもっていた辛格浩氏が、ロッテがシャルロッテのように愛される企業になることを願ったことから名づけられたという。
後年、辛格浩氏は「ロッテ」というブランド名を考えたことがわたしの最大の収穫ということばも残している。
ロッテは、ガムに続いてチョコレート、キャンデー、ビスケットなど事業領域を広げ、
日本屈指の総合製菓企業としての地位を固めてゆくことになる。 
1959年にはロッテ商事、1961年ロッテ不動産、1967年ロッテアド、1968年ロッテ物産、株式会社ファミリーなど事業を多角化し、
日本の10大企業にまで成長した。
日本での事業が定着すると、辛格浩氏は故国韓国に目を向けることになる。
辛格浩名誉会長(晩年の地位)は、1966年韓日国交正常化によって投資の道が開かれると、事業を韓国へと拡張して、
1966年にはロッテアルミニウムを、1967年にはロッテ製菓を設立した。
ロッテはジューシーフレッシュ、スピアミント、バタークッキーなどヒット商品を次々と打ち出して急速に成長してゆく。
飲料・氷菓会社を買収する一方、観光・流通・建設・石油化学事業にも進出した。
1973年にはソウル小公洞(ソゴンドン)に地下3階、地上38階規模のロッテホテルを竣工した。
1974年と1977年には七星(チルソン)ハンミ飲料と三綱産業をそれぞれ買収して、
ロッテチルソン飲料やロッテサムガン(現ロッテフード)に社名を変更した。 
1979年にはロッテホテルの隣にロッテデパートをオープンし流通業にも進出した。
平和(ピョンファ)建業社(現ロッテ建設)と湖南(ホナム)石油化学(現ロッテケミカル)を買収したのもこの頃だ。 
以降1980年には韓国富士フィルム、1982年にはロッテキヤノン・テホン企画などを設立し事業領域をされに広げてゆく。
ロッテグループは1980年代の高度成長期にタイミングよく乗り、相次ぐ合併・買収を通じて、
今日、韓国内の財界第5位の企業になっている。 
辛格浩名誉会長は、このような高速成長を背景に、1990年、米国経済専門誌のフォーブスが選定した
世界の億万長者番付の第九位に上がったこともある。
しかし辛格浩の時代は2015年7月、長男の辛東主(シン・ドンジュ)元ロッテホールディングス副会長と
次男の辛東彬(シン・ドンビン)ロッテグループ会長が経営権紛争を繰り広げることから傾き始める。
この過程で辛名誉会長は経営の一線から退くことになる。
2017年には、ロッテ建設やロッテジャイアンツ、日本ロッテホールディングス、ロッテアルミなどの取締役から退き、 
韓日ロッテの経営から完全に退くことになる。
日本で70年、韓国で50年間続いた「辛格浩時代」にピリオドが打たれたわけである。
辛名誉会長は昨年6月、裁判所の決定によって居所をソウル蚕室(チャムシル)にあるロッテワールドタワーから
小公洞(ソゴンドン)に移した。 
以後健康が悪化し入退院を繰り返しながら、1月19日午後、98年の長きにわたる人生行路にピリオドを打った。合掌。
韓国を代表する偉大な経営者である。
一代でこれだけの事業を展開するっていうのは、誰にもできるワザではない。
運と才能が錬金術のように昇華するとき、こういう奇跡が生まれるのであろう。
去年のボイコット・ジャパン(日本製品不買運動)のときには、
日本系の会社だということで散々の目に遭っている。
今もその影響がゼロとはいえないようであるけれども、
生粋の韓国人の作った会社なのだから、ボイコットだのなんだのと言うのはほどほどにしてほしいところだ。
いいものはいいと、素直に認めてあげたらいいのに。そう思う。

2020年、明けましておめでとうございます。

2020年、令和2年、明けましておめでとうございます。

ゴーンの国外逃亡で年明けを迎えた日本。
こちら朝鮮半島もそれほど穏やかではない。
朝鮮半島情勢は、また緊迫したものとなっている。

北の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の2020年新年の辞が、本来は午前9時ごろに発表となるだろうと
多くのマスコミが予想していたが、結局9時には、なにもなかった。

大晦日の2019年12月31日まで4日連チャンで全体会議をやっていたけれど、
さらに2020年1月1日にも延長してやるかもしれないという見方もあったようだが、ここまではやらなかったようだ。

いつもの年ならば1月1日に、労働新聞1面に金総書記の新年の辞が掲載されるのだが、今年はそれがなかった。
代わりに労働党7期5回全員会議の結果の記事を写真とともに掲載した。

労働新聞に新年のメッセージが掲載されないのは、
金正恩が国務委員長のポストになって権力を掌握した2013年以降今年が初めてのこととなる。

1月1日、普段より1時間早い午前8時から正規放送を開始した朝鮮中央TVも、例年と違って「新年の辞の予告」放送をしなかった。
2016年と2017年1月1日正午に肉声で新年の挨拶を放送したことを除けば、
政権後毎年午前8時45分に北朝鮮マスコミが、新年の辞の放送を予告し、午前9時金正恩の肉声で新年の挨拶を流した。
金正恩政権後の2013年から毎年1月1日、録画放送で肉声で新年のあいさつをしてきており、
通常の録画中継が終わった直後、労働新聞に全文が掲載された状態で発行されてきた。

今回はそのかわりに朝鮮中央TVは、年末の4日間進行された党全員会議の結果を記録映画の形で放送した。
これによって今年の場合、米朝膠着と制裁の長期化という厳しい局面で年が明けるという異例の事態となった。
年末の「4日連チャン全体会議」で決算した内容をもって新年のあいさつに代えることになろうという観測も流れている。

北朝鮮で最高指導者の新年の辞は、新年の分野別課題を提示し、通常は対内政策、対南メッセージ、対外政策などの順で構成され、
新年の辞で提示された課題は、北朝鮮では必ず執行しなければならない。絶対的な指針とされる。

権力闘争などの影響で、新年の辞の発表を欠いた年はあるものの、
金正日(キムジョンイル)国防委員長を経て、金正恩委員長に至るまで、ほぼ毎年最高指導者の新年の辞が発表された。
金日成主席がほとんどすべての新年の辞を肉声で発表したとするなら、
金正日は1995年から死亡直前の2011年までに新年の辞を、労働新聞と青年前衛、朝鮮人民軍3紙共同の社説の形で掲載した。

金正恩は、祖父と同じように毎年肉声で新年の挨拶を発表してきた。
昨年の場合、複数のマイクが置かれた壇上の上ではなく書斎を連想させる場所のソファーに座って
新年の辞を朗読する破格の演出で注目を浴びた経緯もある。

新年の辞を肉声で発表しなかったということは、多少、米や韓に対して譲歩した態度と見ることができるかもしれないけれど、
全体会議で「決意」した内容が度を越えて厳しいものだったからという見方もできる。
はたして大向こうを敵に回しながら、北がいかなる態度で2020年を始めるのか。
このブログも、また北の動向が第一の関心事となることだろう。
個人的なことも書いていきたいと思ってはいるけれど。


2019年_年末の韓国ラフスケッチ。

今回は韓国の最近の話題のラフスケッチをしておきたい。

10月14日にヂョグク氏が法務長官を辞任するという事態にまで発展したあと、
ヂョグク問題は妻の拘束をうけて一段落した。
現在は娘の大学入学の不正や、ヂョグク氏および妻のファンド不正などの疑惑をめぐって
検察と弁護団の攻防戦となっている。ニュースにはほとんど出ないようになっている。

このところのメインの話題は、軍事情報包括保護協定(GSOMIA、ジーソミア)」の破棄の延長を決定したことがまずある。
突然の延長決定だった。筆者も11月のあのときには驚いたものだ。
ほぼ100%、破棄するといっていた文政権だった。
それがその日(だったか前日だったか)に破棄しないと発表したのだ。
米の圧力があったともいわれているけど、どこまでの圧だったかはわからない。

北朝鮮国防科学院は「13日22時41分から48分まで西海(ソヘ=日本海)衛星発射場で重大な試験が再び行われた」と14日に明らかにした。
この東倉里衛星発射場は昨年6月、シンガポール、米朝首脳会談当時、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が
ドナルド・トランプ米大統領に廃棄を約束した場所でもある。
北朝鮮は今月7日にも、西海(ソヘ=日本海)衛星発射場で「重大な試験」を実施したと明らかにしている。

こうした北の挑発行為に対して米もこんなことをやっていると北に大きなダメージが発生するだろうと
警告性のメッセージを出してはいるものの、今のところ北の腹を探っているような様子だ。

北は以前、経済制裁の緩和をしてほしい、今年12月末がその限界期限だとのメッセージを出している。
12月末までになんらかの緩和策が出てこない場合は、
米にとってのクリスマスプレゼントがどんなものになるかわからないぞと脅しをかけていた。
ネット上には、朝鮮半島での戦争の雰囲気がだんだん高まってきているという内容も見られるようになってきた。
今後、北と米、北と韓国の関係がどうなっていくか。
この年末がまずはひとつの大きな山場となることはまちがいない。
日本に対しても何らかの挑発があるかもしれないけど、
順番としては米そして韓国、その次に日本というものであろう。
米にむけてのICBMの発射実験が行なわれるようなことになった場合、
米(トランプ)がどう出てくるか。

12月15日に米の北朝鮮政策特別代表スティーブ・ビーガンが、3日間の日程で韓国を訪問する。
ビーガン氏は南北軍事境界線がある板門店での北朝鮮側との接触を模索しているもようだが、
北朝鮮が相次いで大陸間弾道ミサイル(ICBM)関連とみられる「重大な実験」を実施するなど
米国への挑発を繰り返しており接触は難しいと思われる。

ビーガン氏は16日にソウルの外交部で李度勲(イ・ドフン)朝鮮半島平和交渉本部長と会談し、
北朝鮮が7日と13日に「重大な実験」を実施したとする北西部・東倉里の西海衛星発射場の関連動向について意見を交換し合い、
北朝鮮を再び対話の場に戻す方策を議論する予定。

両氏は会談後の記者会見で、挑発を自制し非核化交渉に復帰するよう求める北朝鮮へのメッセージを発表するものと見られる。
北朝鮮が最後まで挑発を続ける場合、追加制裁に乗り出すこともあると警告する可能性もある。

ビーガン氏は、海外出張中の康京和(カン・ギョンファ)外交部長官に代わり趙世暎(チョ・セヨン)同部第1次官とも会談する。
ビーガン氏は国務副長官に指名されており、就任すれば韓国側カウンターパートは趙氏になる。
そのほか金錬鉄(キム・ヨンチョル)統一部長官との懇談会に出席し、青瓦台関係者や朝鮮半島専門家らと意見を交換する。
同氏は訪韓後、日本を訪問し外務省の滝崎成樹アジア大洋州局長らと会談する予定とされる。

今年末から来年2020年の年明けにかけて、朝鮮半島はまた目の離せない状況になってきた。
緊張が高まる中、韓国市民はいまのところ冷静にこれらの状況を見守っている。

クールコリア005 韓国のスローシティー

イタリアからはじまったスローシティ。発祥の地イタリアだけにイタリアのスローシティは多い。

日本では宮城県気仙沼市に続き前橋市が2都市目となる。
気仙沼は2012年ごろ、前橋市は2017年にチッタスロー協会に加盟することになった。

チッタスロー(Città slow)とはイタリア語。スローシティの意。


韓国のチッタスローつまりスローシティーは、以下の12か所がある。

スローシティーのマークと                                                                         韓国のスローシティーの地図。

sinbol            map

韓国のチッタスローの紹介サイト

現在、スローシティに加入できる条件は人口が五万人以下、都市と周辺環境を考慮した環境政策の実施、
有機農食品の生産と消費、伝統食べ物と文化の保存などの条件を満たさなければならない。
具体的な事項として、
環境にやさしいエネルギーの開発、車両通行制限および自転車利用、クラクションなどの騒音を減らす、植樹、
ファーストフードの追放、文化遺産の保護などを実践しなければならない。

韓国のスローシティはアジア最初に指定された全羅南道4地域
(新安郡・曽島、莞島郡青山島、潭陽郡昌平面三支川村、長興郡有治面)をはじめとして、
慶尚南道河東郡岳陽面(お茶の栽培地として、世界最初)、忠清南道礼山郡大興面、南楊州市チョ・アン面、
全州韓屋村、尚州市ハムチャンㆍイアン・ㆍ恭倹面、青松郡不動ㆍパチョン面、
江原道寧越郡(カンウォンド・ヨンウォルグン)金サッカ面、忠清北道堤川市水山面朴達チェ、、、、

以上12か所がある。以下にそれぞれの特徴などを簡単に書いた内容を載せる。

2013年に発表されたときは11か所だったけど、その後最近、
下に書いた4番目の長興郡有治面(ヂャンフングン ユチミョン)が追加された。


1.全南 新安曾島(ヂョンナム シナン ジュンド)
念願を実現する塩田と、もう一つの地球、干潟の物語

2.全南 莞島青山(ヂョンナム ワンド チョンサン)
ピングレ(朗らかに)笑う村、屋根のない自然のギャラリー

3.全南 潭陽昌平(ヂョンナム ダニャン チャンピョン)
永遠の未来、石塀の道と古宅の村

4.長興郡有治面(ヂャンフングン ユチミョン) 
昔は虎で有名だった場所。村長は画家、婦人会長が詩人、それに庵にはお坊さんが住む。風鈴の音がやさしい懐かしの村。

5.慶南 河東岳陽(ギョンナム ハドン アギャン)
お茶があってうれしく幸せな茶幸村樂

6.忠南 礼山大興 鷹峰(チュンナム イェサン デフン ウンボン)
全国で最高のつりの名所

7.京畿 南陽州 鳥安(ギョンギ ナムヤンジュ ジョアン)
鳥達がくつろげる楽園

8.全北 全州韓屋村 豊南洞 校洞(ヂョンブク ヂョンジュ ハノク マウル プンナムドン ギョドン)
韓国固有の建築様式で韓屋村を建設したのが最初。

9.慶北尚州 咸倉 利安 恭儉(ギョンブク サンジュ ハムチャン イアン コンゴム)
古来住みやすく豊かな農業の首都

10.慶北 青松 府東 巴川(ギョンブク チョンソン ブドン パチョン)
スローライフとエコフードがある山村スタイルのスローシティ

11.江原 寧越郡 キムサッカッ面(ガンウォン ヨンウォルグン キムサッカッミョン)
自然、人、文化芸術の息吹く本場

12.忠北 堤川 水山 朴達チェ(チュンブク ジェチョン スサン バクタルチェ)
山と水が解け合い美しさを弥増すところ。
ここは筆者も一度行ったことあり。とてもきれいなところだ。まさにスローライフ、スローシティ。

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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