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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

「人間を育てるのはひたすら人文学、読書だけ。」

 「人文学の危機」という言葉が出て久しい。大学で文学、歴史、哲学科は閉鎖し、
「文ソン」(文系で申し訳ありませんの意)という言葉にも慣れた。
しかし、本当に人文学は人生で全く役に立たないのだろうか。
自然科学は一つの質問から一つの答えを探し、社会科学は一つの質問から派生した
いくつかの答えのうち、妥当性の高い一つの答えを選ぶ。
しかし、人文学は一つの質問に皆が同じ答えを出してはいけない。人文学はすべて
の人の考えがすべて違うという多様性に基づいている。
こんな観点から東亜日報が、人文学が生活を豊かにし、社会問題を克服するのに
どのような役割を果たすのかをさぐり、人文学の底力を示そうという試みから企画
されたプロジェクトがありこの回は1920年4月23日生まれの金亨錫(キム・ヒョンソク)
さんの考えを紹介している。

             20240406 김형석교수103세
             1920年平安南道生まれの103歳の学者・キム・ヒョンソクさん

価値は数字で測定され、効率が最高とされる時代だ。
人文学が居場所を失っているという診断も出ている。延世大学の金亨錫名誉教授(103)
は、ソウル鍾路区(チョンノグ)の東亜メディアセンターで行ったインタビューで、
「『人文学の危機』という言葉に同意しない」と強調した。
「『人生の目的』を問う人文学の価値は消えない」ということだ。
金教授は、「人文学がすべての学問のルーツだ」とし、「最近、人文学の重要性がさらに
高まっている」と強調した。倫理的、理性的判断力を育てる人文学の土台の上に、
社会科学、自然科学が花開いたという。
彼は「個人のすべての活動はひたすら全体のために存在するという全体主義が氾濫すれ
ばするほど人文学が重要になる」と話した。
続けて「ロシアとウクライナの戦争、イスラエルとパレスチナ武装団体ハマス間の戦争
など葛藤が尖鋭だ」として「時代を和解させるために必ず必要なのが人文学」と付け加えた。
金教授は「人文学の伝道師」だ。全国を回りながら人文学講演を開き、専攻である哲学を
基盤に文学、歴史学を混ぜ合わせた人文学的思考を解きほぐす。
エッセイ『永遠と愛の対話』(1961年・キムヨン社)、『百年を生きてみると』(2016年・デン
ストーリー)など60年余りの間に多数のベストセラーを出し、依然として現役コラムニスト
として旺盛に活動する秘訣だ。
彼は「企業でも部長や役員など管理者が人文学的基盤がなければ多様な構成員の考えを理解
しにくい」と指摘した。
「三星(サムソン)など多くの大企業で講義したが、特に役員たちが人文学の価値を認めて
いました。それぞれ異なる考えを持った構成員を率いるリーダーシップを育てる方法は、
ひたすら人文学、読書です。」
金教授が人文学に魅了されたのは中学生の時だ。
彼は平壌・崇実(スンシル)中学校3年生の時、試練を受けた。帝国日本が神社参拝を
強要し、これを拒否すれば学校に通えなくなった。後に詩人になった同級生の尹東柱
(ユン・ドンジュ、1917~1945)にどうするのかと聞くと、「神社参拝はできない」
という答えが返ってきた。彼も尹東柱の後を追って退学した。
キム教授は「図書館に行って毎日午前9時から午後5時まで本を読みながら学業の代わり
をした」として「この時、文学、歴史、哲学の本を数え切れないほど多く読んだ。
読書が人文学への道だった」と振り返った。
陶山・安昌浩(1878~1938)先生の演説も彼を人文学の道に導いた。
当時、西大門刑務所に収監中だったドゥサン(陶山)が療養のため仮釈放されたが、
キム・ヒョンソク少年の住む平安南道大同郡松山里に来て演説をしたのだ。
キム教授は「幼い頃にはキリスト教的見解で世の中を眺めながら神学者を夢見たが、
陶山の演説を聞いた後、さらに広い見解を持った人文学者になることを決心した」と
話した。陶山・安昌浩(アン・チャンホは韓国独立の英雄の一人)。
「卵を割って出てきたひよこのように、世の中が再び見えました。
陶山の演説とその時に読んだ本が人生の肥やしになりました。」
キム教授は「生涯哲学を勉強したが、ロシアの大文豪フョードル・ドストエフスキー
の『罪と罰』を通じて人間について知ることになった。エドワード・カーの
『歴史とは何か』で判断力を学んだ」と話した。
生成型人工知能(AI)「チャットGPT」が登場して1年になった。
次第にAIが人間の労働を代替するようになれば、人文学の色が消えるのではないか。
彼は笑いながら、「とんでもない」と首を横に振った。
「AIができないことが一つあります。ヒューマニズムですね。ヒューマニズムがなけれ
ば、大人は弱い子供を相手に戦い、悪を悪で返します。AIが人間のために、人間が人間
らしく存在するためには、ヒューマニズムを育て生かし立てる人文学が消えることはあ
りえません。」 (東亜日報ベース)
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この汽車は4等車がなくてねえ

  あるネット掲示板におもしろい文章が載っていた。ご紹介したい。
シュバイツァー博士には多くの逸話が残っているが、その中の面白い
逸話の一つを書いてみたいという書き出しでネット民の文章は始まる。
以下がネット民の文章である。
                      20240320 Albert Schweitzer         
彼(シュバイツァー)はノーベル賞の授賞式に参加するためにアフリ
カを離れてパリまで行って、そこでまた汽車に乗ってデンマークに行
く計画だった。ところが彼がパリに到着したという知らせを伝え聞い
た新聞記者たちが取材をしようと彼が乗った汽車に押しかけることに
なった。
シュバイツァーは、イギリスの皇室から伯爵の称号を与えられた貴族。
それで取材競争に熱中した記者たちが一気に特等室にどっと押し寄せて
シュバイツァー博士を探してみたが、到底見つけることができなかった。
すると記者たちは再び一等車に集まって探してみた。が、やはりそこにも
シュバイツァー博士はいなかった。
記者たちは再び二等車に行ってみたが、そこでもシュバイツァー博士を
見つけることができなかった。それで記者たちは皆、虚脱のあまり疲れ
果てそのまま帰ってしまった。
ところが、イギリスの記者一人だけが、もしやと思って3等車両をのぞき
込み、思いがけずそこでシュバイツァー博士を見つけることになる。
貧しさに疲れた人々が硬い木の椅子に大根のようにぎっしりと挟まって座
っている、そのかび臭い悪臭に満ちた3等車両の片隅にしゃがみ込んでシュ
バイツァー博士は彼らを診察しているのだった。
驚いた記者が彼に特等室に席を移すことを勧めたが、シュバイツァー博士
は聞いたそぶりひとつせず診察に余念がなかった。
「先生、なんで3等車なんかに乗ってるんですか?」
「ああ、この汽車は4等車がなくてねえ」
「いや、そうじゃなくて先生がどうしてこんな不便な所で苦労していらっ
しゃるんですかっていう意味なんですけど?」
シュバイツァー博士はしばらくして、額の汗を拭いながら答えるのだった。
「私は楽なところを探し回るのではなく、私の助けが必要なところを探し
回ってるんです。特等室の人々は私を必要としません。」と。
謙遜は頭を下げるのではなく、心を下げることなのだ。
相手を尊重し、相手の立場に立って、心から率直に理解しながら認めること
なんだ。シュバイツァー博士こそ、本当に謙遜と奉仕と博愛精神を持った立
派な医学博士といえる人だ。
(ここまでは元々よく知られている文章の引用で、次からがネット投稿者のオリジナル文章)

お金だけに目が眩みストライキをする我が国(韓国)の医師たちもシュバイ
ツァー博士を見習ってほしいところだ。
国民の皆様、
必ず病院に行かなければならない病気でなければ、しばらく病院に行くのは
やめよう。
大概の病気は薬局にいってお薬を買って飲んで体を温めれば治る。
不治の病の場合は静かに死のうではないか。
今のこの機会に医者の奴らのつけあがって傲慢で行儀の悪い性根をはっきり
と直してやろうじゃないか。
人の命をやたらと粗末に扱いながら命をもてあそぶやつら、お金だけ欲しが
るやつらは人間扱いしてはダメだ。
もっともらしいこと(教育の質が落ちるとか医者の質が落ちるとか)ばかり
主張しながら、その本音は集団利己主義じゃないのか。
年俸3~4億ウォンをくれるといっても地方勤務は嫌だと言いはって、政府に
ちゃんと対策を出せという。
こんな身の程も知らない傲慢な声に、頭にきている国民が頭を下げるべき
なのか?
命をも捨てる覚悟でドイツに行った1970年代の韓国の鉱夫たち、
中東の砂漠に行ってプラント建設に血と汗と涙を流しながら働いたあの世代。
(韓国では1970年代、自国で金を稼ぐことが困難だったためドイツの炭鉱に
鉱夫として行って働いたり、看護婦として働いたり、あるいは中東のプラン
ト建設に従事するために行って働いたりする時期があった。韓国の中ではこ
の世代の話は有名。)

勉強がよくできて医者になったんだろうけど、外貨を稼ぐために外国まで行
って苦労して働いた親世代に意気揚々と「おれは医者だ」なんていえるのか。
医者も技能職にすぎないじゃないか。なのに先生先生といわれてみんなが
ちやほやしてくれるからほんとに大したものにでもなったかのような錯覚に
陥っているだけなんだな。

今2,000人増員しても10年後になってはじめて体感する(おお、増えたな、
と)ハズなのに、また先延ばしにすれば国民はいつまで待たなければならな
いのか?

同窓会、町内会も病院の庭でデモしよう。全国民が医療界の「しつけ」作業
に参加しよう。

今回だけは、絶対に妥協しては駄目だ。
「お年寄りの方々、助けてください。僕たちが間違ってました」と医者らが
手をすり合わせて許しを請うまで国民の怒りをぶつけよう。
世界史上、どこに医師が患者を投げ捨て病院を飛び出して集団で騒いでデモ
をする国があるというのか?
医師免許を取り消して、彼らの傲慢さに鉄槌を加えなければならない時だ。
政府(ユン・ソンヨル)にだけ任せるのではなくわれわれ国民が立ち上がっ
て抗議すべき時だ。
国民全員が医者らに抗議すれば、道は開ける。
そして医者らを躾けることのできる方途は、国民全員が立ち上がるしかない。
全員が立ち上がれば、医者の立つ瀬はない。

ネット民の文章であるがこれが今の韓国の一般的な国民の平均的な感覚だ。
医療界の傲慢さをどこまで打ち砕けるか。これが今の韓国の医療界を取り巻く
状況だ。

韓国のブラックジャック

      20240309 Yang prof_01  

江陵峨山病院のヤン・グヒョン神経外科長(46)が7日午前8時、
同病院6階の神経外科病棟に入った。 短い半白髪の髪は乱れており、
両目は充血していた。 ヤン教授は「最近2週間、家に一度だけ入っ
て寝た」と話した。
普段も忙しかったが、「医療跛行(専攻医らのデモ)」以後は病院の隣の
家にも入る時間がないということだ。彼は看護師から一晩中患者の状況を
報告された。患者の皮膚と便の写真を見て回った後、病室を回りながら回
診(病室診療)を始めた。
患者の大半は高齢だった。「お母さん、今日退院するんで、きれいに
洗いましたね。外来でお会いしましょう」。
彼は一般病棟の患者を調べた後、すぐに4階の救急集中治療室に降りた。
彼が患者の状態をチェックして指示を出すと、若い専攻医が書き留めた。
ヤン教授は「先日、私が鼻血を流したが、その話を聞いて(辞表を出した)
教え子2人が戻ってきて集中治療室を守っている」と話した。 現在、この
病院の専攻医36人のうち15人が勤務している。
ヤン教授は黒い登山服のズボンにランニングシューズを着用していた。応急
患者が発生した時、滑らずにもっと早く患者に行くためには、登山服と運動
靴が最適だと言った。登山靴を履く時もある。午前9時ごろ、14人の
患者の回診を終えた。
続いて血管造影室に降りていった。歩き方が競歩選手のように速かった。 
重さ3.5キロの鉛服(放射能保護服)を急いで着て造営室に入った。 
病床には左側の脳血管の一部が塞がれ、手術を控えたおばあさんが横に
なっていた。ヤン教授は、患者の体に直径2ミリ以下のカメラ付きの管
を入れて、詰まった脳血管周辺を撮影した。モニターを凝視するヤン教
授の額に太い汗がにじんだ。「思ったより調子が悪くはないね。よかった」 
造影室を出た彼は膝を触った。鉛服を着て立って施術した後、膝が
痛いと言った。
彼はすぐ研究室に上がって診療記録などを見ながら、今日これからの手術
準備をした。くも膜下脳出血(脳の中のくも膜下出血)を患う44歳の
女性重患者だった。 彼は「脳動脈に出血があり、周辺の血管も微細に破
れて出血が疑われる重症患者」とし「このような大きな手術をする日には10
年ほど老いる感じ」と話した。

20240309 Yang prof_02



午前10時、手術室に入った。「さあ、やりましょう。集中して」
彼はメスで患者の頭皮を切開し、頭蓋骨の一部を丸く切り取った。 
白い脳硬膜を切って広げて固定させた。手術顕微鏡に目を当て、針の穴ほ
どの切開をしながら、出血のある血管を探した。砂を一つずつかき分けな
がら砂金を探す作業のようだった。肉眼では見られない直径1.5~6
ミリの血管を扱うヤン教授は、息も大きくしなかった。目を顕微鏡に固定
したまま、映画の中のスローモーションのように右手をゆっくり動かし、隣に立って
いる看護師から手術用のナイフ、はさみをもらって手術部位に持っていった。 
問題の血管の周りから突然血が出た。彼は低い声で「オークション
(血を吸い込んで)してください。問題ありません」と述べた。 
伸び一度もできなかった手術は、7時間後の同日午後5時に終わった。
ヤン教授は手術後、患者と一緒に1階の血管造影室に降りた。手術が
うまくいったかどうか、血管の状態を撮影するためだった。モニターを凝
視していた彼は、外で待っていた患者の両親たちのところに行った。「経過を
見守る必要があるが、おそらく娘さんは歩いて退院できると思う」と話した。 
老夫婦の目に涙がにじんだ。
彼はこの日、朝食と昼食を食べなかった。大きな手術を控えては神経
が尖って食欲がなくなると言った。ヤン教授は前日も午前3時から6時まで
応急患者の手術をした。その後、昼12時30分まで外来診療をした後、
昼食を食べようとしたが、脳梗塞の救急患者が入ってきた。応急手術を終え、
直ちに脳出血患者の手術を行った。午後6時ごろ、手術を終えて病院の
隣の家に行き、干し菜っ葉の味噌汁で腹ごしらえをして、再び病院に戻っ
てきた。専攻医の離脱で夜に患者関連の指示を下すこともヤン教授が直接
している。彼は4坪の研究室で翌日、手術計画を点検し、2人用の灰色の
ソファに横になって寝た。
彼は「最近は病院の研究室にいるのが家に帰るより心が楽だ」と話した。
「夜に救急患者が入ってくる可能性があり、何度も病棟から『患者
が熱が出る』『頭痛がひどい』という電話も来る」とし「もう専攻医も
いないので、私が直接一晩中患者の面倒を見なければならない」と話した。 
最近は内科医の妻と小学生の娘と息子が病院1階のカフェにヤン教授
にたびたび会いに来るという。彼は「脳血管の救急患者は早く治療しなけれ
ばならないため、一度も他の病院に送ったことがない」とし「私が最後の医師
だと思って命を懸けてやっている」と話した。梁(ヤン)教授は、嶺東地域
で脳血管の手術と施術(ステントなど)をすべて行うことができる唯一の医
師として知られている。彼は「江原道に(患者が)住むことが罪になって
はならないというのが私の信念」と話した。
医学部の増員と専攻医の反発に対する考えも述べた。ヤン教授は「神経外
科専攻医たちは忙しいのに、2000人増員が本人の人生にどんな影響を与え
るのか深く考える時間もあったのではないかと思う」とし「多少性急に(患者の
そばを離れる)決定をしたのではないかと思う」と話した。 
また、「政府が最近発表した必須医療支援パッケージは具体的ではない」
とし、「今は成績1位のインターンが皮膚科に行く。精密な対策がなければ、
増えた医師たちも皆このように人気科に陥るだろう」と話した。それと共に
「特に教育の質が心配」とし「私も毎日外来診療と手術などで時間を全部
使う。今も専攻医に教える時間がないのに、増員されればさらに難しくなり、
被害は患者が受けるだろう」と述べた。続いて「もし医学部の増員で良質の
教育を受けた必須診療医師がさらに多く出るなら、2000人ではなく2万
人増員になっても構わない」とも述べた。
政府が発表した医療事故特例法については、「最善を尽くした医師は保護
しなければならない」と言いながらも、「一部の整形外科で麻酔患者が呼吸
をしていないのに、遅く対処した事例のように、基本技のない医師が出した医
療事故は、より重く処罰しなければならない」と述べた。
ヤン教授は「崖っぷちの患者を生かすのが医師だと思って神経外科を専攻した」
とし「後には東海(トンヘ)や三陟(サムチョク)のようにもっと深い田舎に
入って診療をしたい。1時間だけ早く治療していたら予後がもっと良か
ったのにという残念さをたくさん感じるから」と話した。(朝鮮日報参照)
☞バイタル(生命)医師
内科・外科・産婦人科だけでなく、救急医学科・神経外科・胸部外科
など、患者の生命と直結する必須診療科分野で勤務する医師を指す。

こういう真実の医師はどこの国にもいるものだが、
ほんとうに頭の下がる思いだ。こういう医師が一人でも多く出てくる
ことを願っている。

世界唯一、最重症障害者歯科医師。

体の不自由な歯科医がいる。小説の主人公としても信じがたい世界
唯一の最重症障害者歯科医師である盆唐(ブンダン)ソウル大学病
院の李ギュファン教授(45)だ。
世の中は簡単だった。勉強がよくできて、188センチと高い身長に
ふさわしくテニス・水泳などできない運動がなかった。医学部より
勉強が楽で(本人の言)、お金はもっと儲かるし、いっぱい食べて
豊かに暮らしたいと思い歯科大学(檀国大学歯科大学)に入った。
召命意識、そんなものはなかった。
卒業したらお金をたくさん稼いで、良い家で良い車を運転して旅行
して暮らすと信じていた。人生が思い通りに運ぶという自慢はある
刹那、一瞬間にして、くず折れた。
文字通り、折れた。歯科大学本科3年生の時の02年夏、友達につい
て行ったプールでダイビングして首が折れた。医学的に説明すると、
手足はもちろん心臓・肺を動かす主要神経が通る頸椎3、4、5、6番
が損傷した。四肢が麻痺して呼吸さえうまくできないまま集中治療
室で一週間で目を覚まし死ぬ日だけを待った。泣きながら祈ったり
もした。
「神様、私を立たせてください」。奇跡はなかった。

助けてくれと言った祈祷は「どうか私を連れて行ってください」に
変わった。血をどくどく流すほど強く舌を噛んだりもしたが、
あまりにも痛くて死ぬほど噛むことはできなかった。
一日中、各種数値が上がったり下がったりするたびに「ピーピー」と
鳴る警告音と、自分の血管が炎症を起こし爆発し続けることより、
そばで怒鳴ったり泣いたりしながら死んでいく他の患者を毎日
見守るのがより辛かった。
「おれももうすぐあんなことになるんだ」という考えに狂いそうだ
った。踏ん張ったのではなく、成り行きに任せた。勝手に死ぬこ
ともできないから。
集中治療室なので、家族の面会は1日1、2回20~30分間許可され、
事実上24時間一人で天井だけを眺めていなければならなかった。
耐え難かった。看護師たちに10分でもいいから読み物を見せて
くれと言った。精神はまともなのに四肢麻痺した若い患者が可哀
想だったのか、時間があるたびに順番に『本の泉』雑誌や逆境を
克服した人々を扱った新聞記事など人生を肯定的に眺める文章
を広げて見せてくれた。時には中国武術漫画や『スラムダンク』
のようなマンガを持ってきた。
次第に希望が芽生えた。明日死んでもやりたいこと、どう考えて
もそれが歯医者だった。たとえだめでも努力だけでもして死に
たかった。みんな不可能だと言ったが、あまりにも切実だった
し、あまりにも無知だった。とりあえずぶつかった。
檀国大学病院を経てソウル大学病院の集中治療室から退院した後、
母親と2歳違いの兄が押してくれる車椅子に乗って学校に行った。
すべての教授研究室のドアをノックした。最初からドアを開けて
くれない教授もいたし、「この学生に何ができるのか、卒業させ
ることはできない」という厳しい言葉を吐き出す教授もいた。
「頑張れ」とか「力を出せ」と言いながらも「どうやって助けてやっ
たらいいか分からない」と困っていた。
しかし、たった一人。「やってみよう、助けてやる」と勇気づけ
てくれた教授がいた。今は故人となったシン・スンチョル学長
だった。「君がこんなにもやりたがっているのに、どうして転科
したり退学させたりできようか。学生が勉強したければ当然で
きるようにするのが教授の仕事だ。助けることはできないが、
するなということばはわたしの辞書にはない。途中でやめたと
しても、とりあえずやってみようじゃないか」。
私を信じてくれたことへの感謝の気持ちで、シン教授にこのよ
うに話した。「私、このままでは死にそうです。本当に死ぬ気
でやり遂げる姿をお見せします。」
危機はたちまち訪れた。床ずれがひどくなり、お尻の骨が丸見え
になるほど膿んでいた。医師は、「このままでは足を切断する以
上に、死ぬこともありうる」とし、直ちに手術を勧めた。回復ま
で少なくとも3か月はかかる大手術だった。手術を拒否して勉強
を続けた。また休学すれば、学校が絶対に二度と受け入れない
ような気がして、ひとまず夏休みまで待ってほしいとして持ち
こたえることにした。車椅子で気絶しながら踏ん張った。
床ずれ・敗血症···。死の淵を何度も越えたのはもちろん、何人か
の教授が本人の診療や実習や講義に近づくこともできないよう
に阻んだりもした。方法はたった一つ。バカになったように熱心
にすることだけだった。
麻痺は依然としてあったが、器具を手に結んで「怪物の手」にな
るまで数万回練習し、またした。不思議なことに、困難に直面
するたびに周囲から助けられた。その教授が席を外せば、後輩
教授が診療ができるようにしてくれて、卒業基準を合わせるこ
とができた。極限の苦痛を甘受して得た歯科医師資格証に「私
の努力は1%だけで、残りは周辺の人々が手を握ってくれた
おかげ」と話す理由だ。
復学後、唯一の願いは歯科医だった。なってからまた壁だった。
盆唐ソウル大学病院に入る前の1年間、大きな病院、小さな病院
を問わず、100回以上断られた。絶望して諦めようかな、とも思
った。ところが、経験が本当に怖い。一度塞がれた壁を越えて
みたが、もう一度できないことはないと思えたのだ。無条件で
挑戦した。実力が支えてくれるなら、壁であることを知りなが
らも叩くと必ずしも正門ではなくても横道くらいは作られる。
朝起きたら必ずインターネットで応募し「院長、副院長、企画室
長、センター長、行政室長に変えてほしい」と電話した。ずっと
メモを残した。そのようにして合格したのが盆唐ソウル大学病
院だ。05年7月に一度来て患者の診療をやってみるように言わ
れた。テストだった。病院長・副院長・課長・行政室長が全員来て、
どのように診療を行ない患者に説明するかを見守った。そして
先入観のない開かれたマインドで受け入れてくれた。後で「なぜ
合格させてくれたのか」と尋ねると、誰かがこのように話した。
「何べんも応募してきて面倒くさいから一度来てやってみろと言
ったのに、よくやったね^^」

       20240229 歯医者(障碍者)01



医師生活の初期には器具を手に縛ってやったが、傷があまりに
も多かったり、患者の目にも良くないため、今は人差し指には
める補助器具を直接注文製作して使用する。単純に見えるが、
業者に騙されるなど紆余曲折と10回余りのアップグレードを
経て、今の形になった。

      20240229 歯医者(障碍者)02_ 指サック
実際の診療は別の壁だった。あるおじいさんが「あんなカタワ
ものに診療を受けろというのか」と大声を張り上げ、また別の
ある中年男性は「ついてねえの」としてドアを蹴って出て行った。
顔に唾を吐く人も多かった。悪口を言って唾を吐いた人々、
絶対に恨まない。むしろ理解する。私も診療を受けたくなかっ
たはずだから。
事故後になってやっと困っている人、人の事情が目に入った。
また、私ではない相手の立場で考える習慣がついた。ある意味、
自分が傷つかないようにそうしたようだ。悪口を言って無視す
る言葉を全部私の立場で受け入れていたら、心が腐って傷つい
て生きていけなかっただろうから。ところが、相手の立場から
また別の視線で見れば、すべて理解できる。
歯医者は怖い。怖くて診療を受けたくないのに、何も言えずに
座っている患者にいつも話していた。「私は仕事が遅いです。
でも実力は最高です。世の中で一番正確で几帳面に見てあげま
す。」 真心は結局通じる。最善を尽くして6か月ほど経つと、
わざわざと訪ねてくる患者がでてきた。
辛い時は、死なせてほしいと祈り、その次は歯科医師になるよ
うにしてほしいと祈り、職業を持たせてほしいと祈った。今は
何の願いもない。一度きりの人生をただ熱心に生きるだけだ。
最初は違った。後悔ばかりだった。あの日あのバスに乗らなか
ったら、プールに行っていなかったら···。後悔すると人生が過
去に進む。今を生きるのではなく、過去に閉じ込められる。
希望がなく、自らあまりにも悲惨で、可哀想で生きていけない。
それで事故を悪夢ではなく良い思い出と考えたら、私の人生に
感謝するようになった。障害者として不便で苦しい状況を体験
する時も不満の代わりにどう変えればもう少し楽になるか、
そう思う。
事故で人生のどん底よりひどい泥沼に落ちた時、両親は「状態
がどうで、これからはどうで、どう生きなければならない。」
 こんなことは全く言わなかった。泣いてもいない。今も同じだ。
事故前と変わらず、障害について何も言わず、何でも息子の決
定を黙々と尊重してくれる。
7歳になった娘を産んでからやっと分かった。その時、両親の
胸が数百回も裂けて泣き叫んだのだろう。大きくなる子供に
見せてあげたい。お父さんはこんなに一生懸命生きているんだ
よ、もっと誇らしいお父さんになろうと努力しているんだよ、と。
(中央日報ベース)

救いたいと思うのが医者であるはずなのに。

ソウル大学医学部教授がMBCのテレビ討論に出演し、総合病院
奉職医(月給医師)の年俸が最近3億~4億ウォンまで上がった
と話したことをめぐり、余震が続いている。
専攻医(レジデント)が医療現場を離れ、手術や入院がキャン
セルされたことにより患者の不満が高まっている中、「4億ウォ
ン(4500万円)も受け取りながら患者を投げ捨て、縄張り争い
をしている」と世論は悪化している。一方、総合病院の一般の
医師らは「4億ウォンもらって働けば、悔しくもないだろうよ」
と怒りをあらわにしている。
政治畑に入る前に医師として働いていた「共に民主党」のシン・
ヒョンヨン議員は21日、自身のフェイスブックに「今日の医療
関連キーワードは『35歳医師の年俸4億』」とし、自身が2018年
に明知医療財団と漢陽大学で勤務しながら受け取った年俸の
源泉徴収領収書を公開した。
シン議員は「当時38歳。医師免許を取り、当時13年目の医師で
あり専門医(専攻医でない)として該当病院で勤務し、漢陽大
学医科大学専任教授として両機関で合わせた年俸を公開する」
とし、1億ウォン程度が書かれた源泉徴収領収書を提出した。
シン議員が医師時代の自分の年俸まで公開したのは20日、ソウ
ル大学医学部医療管理学科のキム・ユン教授がMBC「100分討
論」に出演し「2019年の年俸が2億ウォン余りだった総合病院奉
職医者(勤務医)の年俸が最近3億、4億ウォンまで上がった」
と言及し論難が続いているためだ。
キム・ユン教授は討論で「韓国で医科大学を卒業して専攻医を
終えて軍隊に行ってきて35才頃になった専門医が受け取る年
俸が3億、4億ウォン」とし「勉強ができて大企業に行ったのに
他の科を選択したという理由で1億ウォン程度しか稼げない
とすれば当然誰だって医大に行きたがるのではないか」と話した。
そのため、専攻医らがストライキで職場離脱が継続している
のをうけ怒った患者たちの不満はさらに高まっている。
爆発寸前だ。
あるネットユーザーは「すでに35歳の医師が4億ウォンも稼い
でいるというのに、彼らは一体いくら稼げば満足するという
のか。政府はこの非正常を正常にしようとしているだけなの
になんで集団行動に走るのか」という文章を載せた。
また別のネットユーザーも、「医師の年俸が4億ウォンを割る
のが嫌だからがん患者の手術を先送りし、出産間近の妊婦を
ほっぽり出して脅迫しているのか」とし、「医師免許を取り消
し、再交付を禁止して医者の年俸を4000万ウォン程度にし
なければならない」と熱いコメントをアップしたりもしている。
しかしこのような議論に医師たちはかっとなっている。ビッ
グ5病院でも、35歳の専門医が4億ウォンを受け取るケースは
なく、整形外科の開院医など少数のケース(膨大な利益)に
フォーカスを当てているだけで、全体の医師らが罵倒されて
いるという反応だ。
ある専任医(一般の医者)は「キム・ユン教授が言った年俸
3億~4億は整形外科開院専門医たちが受け取るかは分からな
いが、私たちのように大学病院で勤めていると実際に税金を
除けば月に300万ウォン程度を受け取るだけ」とし「専攻医
を終えて軍隊に行ってきて専門医になれば大部分40代になる
人々が、大学病院に残って必須医療をして(鬼患者らの)訴
訟と戦って薄給に苦しめられるよりは、この際必須医療をし
ないで他の病院に行くほうがマシということ」と話した。
あるビッグ5病院の関係者は「助教授級も年俸が1億8000万
ウォン程度だが、税金で無慈悲に取っていかれるため、税
金だけで3000万~4000万ウォンがなくなると見ればそれほ
ど多く受け取るわけではない。医学部教授といっても、表
示される金額はそれほど大きくない」とし「手当ても移植
外科の場合、突然移植が出れば手術をしなければならない
が、週末に時間に関係なく出る手当てが10万~20万ウォン
程度だけ」と述べた。
実際、専門医の中で奉職医と開院の賃金差はかなり大きい。
統計庁の保健医療人材実態調査によると、2020年基準で国
内全体医師の年平均賃金は2億3070万ウォンと調査された。
このうち、専門医の年平均賃金は2億3690万ウォン(2682
万円)、一般医は1億4231万ウォン(1611万円)だった。
専門医全体の年平均賃金である2億3690万ウォンは、他の
国と比べても高い水準だ。
最近、欧州のあるメディアが経済協力開発機構(OECD)の
資料を分析し、欧州25か国の一般医や専門医の年俸を分析
した結果、2020年基準で当時の平均為替レートを適用した
時、ルクセンブルクが25万8552ユーロ(3億4904万ウォン)
で専門医の年俸が最も多かった。
2位はアイルランド17万2882ユーロ(2億3339万ウォン)、
3位はオランダ16万869ユーロ(2億1717万ウォン)をそれ
ぞれ受け取った。
韓国専門医の年俸が2位のアイルランドより高い。ちなみ
に日本の場合は、一般病院で約1,491万円(1億3000万ウォ
ン)、一般診療所で約1,071万円(9500万ウォン)である。
韓国の方がずっと高くもらっていることがわかる。
ある大学病院の必須医療科の教授は「実は金の猛者にな
っていたら、この仕事はできなかっただろう」とし「使
命感で家族にも会えずに患者の世話をしてきたが、国民
が医師をこのように非難するだけで、心が苦しい。後輩
たちが戻ってくるかどうか分からない」と話した。
このように一部の良心的な医師もいるけれど、大部分は
金の猛者になっているのが韓国医師の実像といえるだろ
う。だから国民は医師のストライキを容認することはな
くやればやるほど冷たい視線が強まっていくだろう。
韓国の医師の給料体系が高すぎるところが諸悪の根源な
のだ。日本くらいの水準にすれば医大生増員に反対して
患者の生命を担保にストライキをするような事態は避け
られるのではないだろうか。絶対に患者を離れないとい
うヒポクラテスの誓いを唱和して医者となった人たちで
はないか。金の猛者となって人々の軽蔑の視線を受けな
がら生きるよりも患者の側に立って生命尊重の立派な
医師として生きる方がはるかに価値ある人生ではない
だろうか。
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treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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