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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

米朝首脳会談(第二次) 

 米朝首脳会談まで1週間弱と迫る中、米と北の高官らが忙しく動いている。
ベトナムのハノイで開かれる第二次米朝首脳会談。
1950年の6月25日に始まった朝鮮の南北戦争(ユギオ、朝鮮戦争)の終戦宣言および非核化・平和協定などが
議題となる見通しだ。

理論的には、北が核施設のリストを提出したら米は経済制裁を解き、即終戦宣言へと進み
朝鮮半島は平和の象徴となる、というものだ。

しかし北が核リストを提出することはまずありえないと見られる。
経済制裁は一度「ここまで解きますよ」と宣言してもまたすぐに「あ、やっぱりここまではきつい。ちょっと縮小します」と常に言える。
ところが核リストは一度提出したら、もうそれでおわりだ。
つまり、「あ、やっぱりあのリスト返してください」と言っても、後の祭りということ。
どこに施設があるかが一度把握されれば、次に何を言ってもその事実は変わらないわけで、
米の攻撃対象になりイラクなどのようにイチコロになってしまうことは火を見るよりも明らかだ。
だから、米の「経済制裁の緩和」と北の「核リスト提出」は次元的に同等ではないということ。
しかし経済制裁が継続する限り北の立ち行きは非常に危ういものになりつつある。
どうにかして経済制裁を解いてほしい。

2月28日(たぶん27、28の両日よりは、28日一日)の米朝首脳会談の行方がどうなるのか、
目が離せない状況である。
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韓国のバス王、許明会。

明けましておめでとうございます。(ちょっとおそいごあいさつ;;;)

年のはじめに縁起のよい文章で。
韓国のバス王と言われる許明会(ホ・ミョンフェ)さんのことをご紹介したい。

許明会さんは、1931年生まれで今年89歳のおじいさんだ。
2000年にMBCという放送局で放映した「成功時代」というドキュメンタリー番組が
最近また再放送されそれを偶然見てこれはすごいと思ったことが書こうと思った動機である。
1961年に大学4年生だった彼は「お金を稼ぐのに大学の卒業証書は必要なし」と考え、4年時に退学。
京畿旅客(ギョンギ・ヨゲク)というバス路線を運営する会社に入社する。
はじめはバスの配車を担当。
入社早々から午前4時出勤、午後11時半退社という日常。
入社当時から「20年後にはこの会社の社長になる」という決意をもって仕事をした。
すべての仕事が自分の仕事に見えた。
トイレ掃除からバスの整備・修理にいたるまで、
本業であるバスの配車(どのバスをどの時間帯に配車するかなど)の仕事は勿論のこと、
その他会社内で生じる仕事は全て自分の仕事と捉え積極的に仕事した。
あるとき、バスの修理担当の技師を手伝っていると、
バスの運転手から何の理由もなく「なんだこいつ、配車担当がなんでこんな夜遅くまで
バスの修理などを手伝っているのか、早く帰れ」と頭を強く叩かれるということもあった。
肉体的な厳しさよりこうした精神的なもののほうがよっぽど堪えがたかったが、
20年後の自分の夢を思ってなんとかがまんするのだった。
こういう情熱は当然会社の上層部にも伝わることとなり、
入社6か月にして30余台を保有するスンインドン営業所の所長、
4年目で部長昇進、さらに2年後の1967年にはじめてバスを所有する者となった。
バス路線を運営する会社というのは、会社の中のバスは所有者が別にいて、
さらに運転手が別にいるというシステムになっていた。
バスは高価だから簡単にオーナーにはなれない。
許明会氏は6年目にしてゼロから出発しバスのオーナーになったわけである。
1970年にはバスを13台所有する中堅のオーナーになっていた。
71年に、30余台を保有するヂョンノ(鐘路)・ウィジョンブ(議政府)間を走る路線の社長から
「会社を買わないか」と提案があった。この路線は花形路線なのになんでオレなんかに売ろうとするのか、
ギモンに思って路線バスに乗ってみた。客は常に満員だったが、問題は途中の峠の坂道だった。
ここでバスがエンコしてしまうのだった。原因は過酷運転に加えて整備不良および修理ミスだった。
許明会氏は修理のことなど何も知らないで会社に入ったけれど、
毎日修理を手伝う過程でほとんどが見えるようになっていたため
そんな原因もすぐにわかったのだった。
整備さえきちんとやり、過酷運転さえしなければなんとかやれそうだ、
そう判断した彼はこの会社を買い取ることを決める。
その後すぐバス料金が35ウォンから40ウォンへ値上がりするなど、
許明会氏にとっては追い風となってくれた。
78年、京畿旅客の株主総会が招集された。召集したのは許明会氏。
株主が集まっているところへ許明会氏が最後に登場し、
「わたくしがこの会社の株の55%を所有しています。明日からわたくしが会社の社長になります」と宣言した。
並み居る株主たちから殴る蹴るの暴力をうけたけれど、ほぼ無抵抗でやるがままにさせておいて
自分は実質だけを取った。20年後に社長になるという夢を2年短縮して晴れて社長になった許明会氏。
さっそく京畿旅客の大改造に取り掛かる。
経営のポイントは次の5つのキーワード。
その1.決済書類の簡潔化。
 決済書類を社員が手に持って課長、部長、常務などとハンコをもらって動く過程をなくし、
 社長みずからが社員のところに行って決済書類にハンコを押す。つまり社長が社長室にふんぞり返っている
 のではなくハンコをもって社員のほうへ行く。
その2.社員の福祉優先。
 社員は家族という思想の実践だ。運転手に対する給料を奥さんに直接あげるのだ。給料をもらうと必ず
 男たちは酒を飲んで花札などのばくちをするのが一般的だった。これを防ぐ方策としてやった方法である。
 食堂は健康なものを無料で食べれるようにし、クリーニング部門なども会社の中に作ってやった。
その3.工場と直接取引。
 バスの所有台数を増やすことによって、大量注文が可能となり、部品やタイヤなどを工場と直接に取引できるようにし、
 大幅な経費節減を図る。
その4.安全運転と顧客重視。
 営業所に香水を常備し、運転手は常に香水をふってからバスに乗るようにした。お客がいちばん先に触れるのが
 運転手。汗くさいにおいよりは涼しげの香水の香りのほうがいいに決まっている。
 またこれがおもしろいところだが、36歳以下は採用せず。血気盛んなためすぐ喧嘩をしたり事故ったりしやすいという理由。
 独身者もまた運転手として採用せず。チョンガーは責任感が弱いと。結婚していても家をもってない人もだめ。
 いい年をして家もないようでは人間としてどっか欠けたところがあるから。容姿も大切にした。
 たとえばヤーさん風の人は不採用だった。運転手には運転手としての風貌があると許明会氏は考えている。
その5.透徹した職業倫理。
 社長室には冷房も暖房もない。小さな机がちょこんとあるだけ。殺風景そのもの。自分からハンコをもらいに
 下に下りていくわけだから何もいらないのだという。
 また社長の車は中古車。修理に修理を重ねた年季ものだ。車の底が抜けそうになるまで使っていたと
 前の社長付き運転手は証言する。社長のこのようなマインドは社員たちにはすぐに伝わる。
 社長が一番苦労し働いているという認識が全社員にあるため、社長の指示や会社の方針は社員には100%受け入れられる。
 労使紛糾は一度もなかったという。
ここまでが2000年度の番組の内容である。
一つ書き忘れたことがあった。入社から2000年までの40年間で休んだのはたったの13日だけ。
77年に父親の葬式で5日。79年母親の葬式で5日。86年に白内障の手術のため3日。
公休日も入れて欠勤したのは締めてこの13日だけ。   
鬼のような会社人間だが、仕事が楽しいからなんの苦もないという。
ワークアズライフそのものの人生だ。ワークライフバランスなどくそくらえなのである。
2000年のドキュメンタリー放送当時、
会社が所有するバスは合計2000台であったが、2017年にはなんと5100台となり、関連会社は合計15個にまで。
市内バスを皮切りに市外バス、広域バス、空港バス、高速バスから観光バスまで運営する、
韓国一のバス会社となっている。
さらに大学をはじめとして高校、中学なども相当数所有するなど教育分野でも大活躍だ。
一兵卒から叩き上げ韓国一のバス会社のCEOとなった許明会氏。
4年ほど前に夫人に先立たれたが、今は息子の経営を補佐する立場でやりながら元気に日々を謳歌している。
こんな会社で働いている人たちは、さぞ幸せなことだろう。
許明会さんには娘が3人、息子が1人いて、その長女がわが妻と大学の同級生である。
長女が大学生のころ、(許明会さんがちょうど2年前倒して京畿旅客の社長となったころだけど、)
彼女は非常に質素で、全然目立たなかったということだ。
この長女のことや父親の許明会さんについては前から妻から聞いていたのだけれど、
再放送の番組を見てわたし自身が本当に感動し、今回のメルマガを書くことと相成った。
こういう化け物みたいな人が韓国にはときどきいる。

今年一年を振り返る。

去年2017年の8月ごろからソウルを火の海にしてやるぞと威嚇的な発言を続けていた首領様。
この首領様が今年2018年の年頭、
「核のボタンはオレの机の上にある」と言ってのけたことから2018年は始まった。
今年初めのころまでは、南の人々は(筆者も含めて)いつ北から核がぶっ飛んでくるのか、
本気でヒヤヒヤしていた。
しかし2月9日午後8時。平昌冬季五輪が開幕すると状況は一変した。
金委員長と血の繋がった妹、キム・ヨジョン(金与正)氏が
金委員長の親書をもってきていたのだった。
勿論相手は南の文大統領。
「できるだけ早いうちに北を訪問してほしい」
それが親書の内容だった。
ここから南北関係が双方のいがみ合いから仲良くしようやの方向へと大きく舵が切られる。
4月27日(金)午前9時半、板門店の南北境界線をまたいで
南の文大統領と北の首領様(金正恩国務委員長)が劇的な握手をかわすことになったし、
5月26日(土)には電撃的に第二次南北首脳会談が開かれた。
このとき金委員長のソウル答礼訪問が約束された。
「多くの人がソウルに行くなというけれど、わたしは必ず行く」
と金委員長が語ったと韓国のある国会議員が明らかにした。
が、今年中の答礼訪問は事実上困難となった。
そして6月12日にはシンガポールのカペラホテルで歴史的な米朝首脳会談が行なわれる。
米朝首脳による共同声明に署名はされたものの、
惜しくも声明の内容にCVIDの文言はなかった。
CVIDとはご存知の通り
「完全(Complete)かつ検証可能(Verifiable)で不可逆的(Irreversible)な
非核化(Denuclearization)」を意味する英語の頭文字を並べた記号だ。
6月12日の米朝首脳会談の成功を見たあたりまでは、
ああ、これで北の非核化もトントン拍子に進んでいくのかなと
思わせるものがあったのだけれど、
どうしてどうして、そうは問屋が卸さなかった。
北の非核化および南北関係さらには米朝関係など、
3人の中心人物(北、南、米)の関係は勿論、
それを取り巻く中国、日本、ロシアなど脇役たちの関係も、
そんなに具合いよく進んでいるとは言いがたい様相だ。
長く膠着状態が続いているので、
文大統領の人気もかなり下がってきている。
きのうも同僚の教授と昼飯をともにしたのだが、
「ムン・ジェインがしたこと、何があるんだよ?」
とちょっと喧嘩腰で筆者にのたまうのだった。
韓国人でもない筆者にそう言われても返す言葉もないのだが、
「いや、ソウル火の海説がなくなっただけでも、手柄っていえるんじゃないのかね」とわたし。
核をぶっ放すぞとわめいていた首領様。
勿論本当に核がソウルに飛んでくると考えている人はいなかったけれど、
しかし尋常ではないあの首領様のこと、いつなんどき何があるかわからない、
というのも大方の認識だった。
上述の繰り返しになるが、金玉が縮み上がっていたことは今ここに白状するしかない。
それが監視警戒所(GP)撤去で、南と北の軍人が丸腰でお互いのGP撤去跡を検証するという
これまでは想像もできなかったことが現実に起きている。
決して筆者はムン・ジェインのファンではないけれど、このことだけでも偉大なる成果といえる。
さらに12月17日には南北鉄道連結のための基礎調査が終わり、
12月26日には南北鉄道連結のための着工式が行なわれた。
これは、UNの対北制裁委員会が対北朝鮮制裁免除を正式承認することにより実現にこぎつけたものだ。
(この「対北朝鮮制裁免除の正式承認」がどの範囲までなのか筆者はまだつかんでいない。
     今回の着工式だけのものなのか、あるいは全面的な制裁の解除なのか。)
鉄道が連結されたとき、北の兵士が汽車に乗ってどっと南に攻め入り
瞬時に南を赤化統一してしまうんじゃないのというギャグも今、南ではちょっと流行っている。
でも、まあ、そうはならないことを願っているしならないであろうけれど、
保守的な人々の中には結構本気で憂慮している方々もいらっしゃる。
南北関係以外では
1月末に一人の女性検事がJTBCという韓国一の有名テレビに出て
セクハラを訴えた「#meToo」の動きが記憶に新しい。
これを契機として韓国では「#meToo」の嵐が吹き荒れ、
多くの男たちが芸能界を去り、名誉を汚し、命まで落とす事件も発生した。
ノーベル文学賞の候補にもなってるような韓国文学界の重鎮も
「#meToo」を契機に失脚していった。
あらゆる分野で男たちのセクハラ問題が提起された。
浄化された社会ができることを願う次第だ。
女性が何も気にすることなく「普通」に生きられる世界が具現されなければならない。
一方、対日関係としては、
10月30日に出された韓国の大法院(=最高裁)の強制徴用賠償判決問題がある。
「賠償せよ」との判決だった。
日本は当然のことながら強い不快感を表わした。
この判決には筆者も正直驚いた。親韓的で有名な黒田福美氏も同様のようだ。
なにしろ1965年の請求権協定を覆す判決となっているわけだから、
どれほどの日本人がこの判決を快く思っているだろうか。
韓国でもそのような立場でものを言う人がいるくらいだ。
「解決している問題なのになんでまた今になって蒸し返してくるのか」という人(韓国人)が
実際にいるのだ。勿論ごく少数派ではあるけれど。
ただし12月に入って、徴用賠償判決の話題がピタと報道に出てこなくなっている。
韓国政府がマスコミに圧をかけているのか、自らすすんで報道しないコンセプトを立てたのか。
わからない。
テレビ新聞が報道しなければ、韓国の人もあまり興奮せずに時間の流れに任せることができるのだろうに。
テレビ新聞がばんばん報道するから、ありもしない敵愾心が自ずから湧き上がってくることになる。
理由はわからないけれど、今現在のようにあまり煽った報道をしないよう、
韓国のマスコミ界にはお願いしたいところだ。
朝鮮半島で暮らすものにとっての最大の関心は
南と北がいる統一するかということだ。
中国も米国も日本も皆、朝鮮半島の統一には消極的だと言われている。
中国としては子分のような北がいなくなって統一朝鮮になるわけなので
あまり気持ちよくはない。
米国としてはこれも子分のような韓国がいなくなるのだから、
武器も売れないし気分はイマイチだ。
日本もそうかもしれない。
今でさえ韓国からああだこうだといわれて苦労しているのに、
これにさらに北が一枚加わっていっしょの声を上げられた日にはどうなるべという気持ち。
でも、人類として人間として地球村の市民として考えるべきだ。
同じ民族が分断しているというのはあってはならない現象だ。
必ず統一すべきだしそうなる。
だったら早いとこいっしょになってもらったほうがいい。
さらには国という区別もなくなる世の中が来るものと筆者は確信している。
100年後になるか200年後になるかわからないけれど。
本稿でも以前お届けした「統一の予言」によれば、
だいたい2020年くらいから2025年あたりまでに統一することになっている。
あくまで予言だけれど。
もう何年も前のことのような感じがするんだけど、
スピードスケートの奈緒が泣き崩れるイ・サンファ(李相花)を抱き寄せるビジュアル。
平昌オリンピックといえばあの場面しか記憶にないのだけれど、
あの名場面が南北へと続き、さらに日本へと拡大されていくことを
強く願いながら、今年最後のコラムを締めくくろうと思う。
読者の皆さん、よいお年を。
そしてすばらしい新年(己亥年=つちのといどし)をお迎えください。

日本の街_ 学生エッセイ89 

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナー。
今回はその89回目で、女子學生 B S H さんの作品。(久しぶりとなる)。
<日本の街>
留学として初めて日本に行ったとき、桜が盛りの3月末のことである。
重たい荷物を持って不安でドキドキする気持ちで行き先行きの電車に乗った。
電車は間違わっていないか、降りる駅は過ぎてないのか、駅に着くと迎えに来た大家さんとはちゃんと話せるのかなど
いちいち気になって焦っていた。そんな中、ふと車窓の風景を眺めた。
線路に沿って桜の木が並んでいて、その後ろには写真だけで見た日本の木造住宅が桜といっしょに並んでいた。
私が想像していた日本そのままの姿だった。暫くの間その景色に魅せられている間、いつの間にか電車は駅に着いていた。
日本に来てから初めての週末。友だちと自転車に乗って家の周りを見回るついでに散歩に行った。
街のあっちこっちを歩き回りながら写真を撮ったり、コンビニに寄って食べたかったプリンを食べたりした。
そして自転車に乗って気持ちいい風に当たりながら走り着いたところは新川という川だった。
満開の桜が川岸に沿って長く並んでいて、その下で花見に来た村人たちが家族や友達とお弁当を食べたり、
お酒を飲んだりするのも見られた。
私たちもその川岸に沿って歩きながら写真を撮ったり、すれ違う人に声を掛けたりした。
ここに来てから有名な街と観光地、大勢の人からすすめられた場所など色んな所へ行ってみたが、
偶然に通り過ぎて出会った村の街と新川ほど記憶に残る場所はない。
韓国に戻ってきてからもちょいちょい懐かしくなるほどあの風景だけはまだ鮮明に覚えている。


<일본의 거리>
교환유학으로 처음 일본에 갔을 때, 한창 벚꽃이 피기 시작한 3월 말 무렵이었다. 
무거운 짐을 들고 설렘과 불안한 마음이 뒤섞인 채로 숙소로 가는 지하철을 탔다. 
지하철은 제대로 맞게 탔는지, 내릴 역은 지나지 않았는지, 역에 도착하면 마중 나온 숙소 호스트와는 제대로 이야기할 수 있을지 등 
하나하나 신경이 쓰여서 초조해 하던 와중, 우연히 차창 밖을 바라봤다. 
기찻길을 따라 벚꽃나무가 늘어서 있고, 그 뒤에는 사진에서만 보던 일본의 목조주택이 벚꽃과 함께 늘어서 있었다. 
내가 상상한 일본 그대로의 모습이었다. 한동안 그 풍경에 매료되어 넋을 잃고 바라보는 사이 어느새 전철은 역에 도착해 있었다.
일본에 도착하고 처음 맞는 주말. 같이 유학 온 친구와 함께 자전거를 타고 숙소 주변을 둘러볼 겸 산책을 나갔다. 
골목 여기저기를 다니며 사진도 찍고 편의점에 들려 꼭 먹어보고 싶었던 푸딩도 먹었다. 
그리고 자전거를 타고 따뜻하고도 시원한 바람을 맞으며 달려 내려온 곳은 ‘신’이라는 이름이 붙은 강가였다. 
만개한 벚꽃이 강가를 따라 쭉 늘어서 있고, 그 밑에서 꽃구경을 온 동네 주민들이 가족이나 친구와 함께 
도시락을 먹거나 술을 마시는 모습도 보였다. 우리도 그 길가를 따라 걸으며 사진을 찍거나 스쳐 지나가는 사람에게 말을 걸기도 했다.
이곳에 오고나서 유명한 거리나 관광지, 많은 사람들이 좋다고 추천해준 곳 등 다양한 곳에 가봤지만, 
우연히 지나가다 만난 동네의 거리와 신강 만큼 기억에 남는 곳은 없었다. 
한국에 돌아오고 나서도 가끔 그리워질 정도로 아직도 그곳의 풍경만큼은 생생히 기억하고 있다.   

雪嶽山(ソラクサン)に登ってきた。

韓国人の友と二人、一泊二日で雪嶽山に登ってきた。
この山は韓国ではもっとも有名な山の一つだ。1708メートル。

日曜日午前6時のバスでソウルまで行って、ソウルから雪嶽山の登山口であるハンゲリョン(寒溪嶺)まで。
ハンゲリョンには10時半ごろ着いた。
山登りの準備をして10時45分ごろに出発。
案内では5時間半ぐらいで山荘につけるとあったが、
実際に歩いてみると7時間半かかってしまった。
午後6時まで山荘に着けないと予約はしてあっても「はい、きょうは泊まれません」と
言われるという話だったので、ちょっと焦った。
ハンゲリョンからかなりの早足で歩いてはじめて5時間半であろう。
われわれもそんなにゆっくり歩いたはずはないのだけれど、
なんと7時間半。午後5時55分、つまり6時ぎりぎりに着けた。
われわれだけかと思ったら、1分後に男女の若者夫婦が到着した。
われわれと見るなり、「ハンゲリョンで、ちょっと遠くからお二人のこと見てました」とことばをかけてきた。
おっ、そうか。
われわれ、見られていたのか。ちょっと驚いた。
年配のオヤジ二人が1708メートルの雪嶽山に登るということに、ちょっと奇異の感がしたのだろう。
山荘の窓口に立ちながら、
「ネットの表示は嘘ですよね。5時間半では絶対にここまで着けないですよ」
とわれわれと同じことを口にしていた。
オヤジ二人も同意、同感。意気投合した次第だ。
山の6時はほぼ真っ暗だ。日本より1時間遅いとはいってもやはりほぼ真っ暗だった。
午後1時ごろ出発していたら、かなりやっかいなことになっていたわけで、
表示の時間をもう少し正確に書いておいてくれとは言っておいたものの、
直してくれたかどうかはわからない。
夜は8時に消灯。山荘の電気が全て消える。
しかしフラッシュやケータイの明かりモードで、そこここで、ごそごそと音はしている。
疲れきったオヤジ二人はすぐさますやすやモード。
夜中の12時ごろトイレに立ったとき、かすかに雪がひらひら。
吾妻山(天元台)を思い出した。
あしたは朝はやくに山荘を出て、頂上のデチョンボン(大青峰)に行く。
アイゼンが必要かなと思ったが、朝になったら雪は完全にやんでいて
アイゼンの必要はなかった。
5時半に起床。朝飯はラーメンライス。バーナーは友が一セットもってて、
山に行ったときはいつも彼の道具でメシを食う。ありがたい。
頂上である大青峰の日の出は7時くらいのはず。
山荘からは大青峰まで40分ほど。
急いで歩みをはじめた。
大青峰についてみると風もほとんどなく穏やか。                                          20181112_雪嶽山日出   朝日に立つ筆者。
下界を一望におさめて、すたこら下山だ。                                                   20181112_설악산일출2 山頂の岩
出発地点のハンゲリョン(寒溪嶺)ではなくオセクヤクス(五色藥水)という場所に向かう。                    二つは友が撮った写真。
5時間ほどの下山路程だった。
日頃スクワットなどで脚を鍛えているおかげか、
帰宅して、翌日の授業もなんなくできた。
身体は常に鍛えておくに越したことはない。そんなことを実感した雪嶽山路程だった。
山はいつ行ってもいい。
「山は山、川は川」という名言を残したソンチョル・スニム(お坊さん)のことばが偲ばれる。
                                                                                                                                             20181117Seoraksan_.jpg 
                                                                         
                                                                                                  雪嶽山は、こういう切り立った岩が魅力の山だ。
                                                       いたるところこんなふうに恐竜の背中のような岩のぎざぎざでできている。
                                                                      ここから写真をお借りした。(景色を写した写真が少なくて;;;)
<audio src="貼り付けたい音声ファイルのurl" controls>

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treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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